藤堂高虎

藤堂高虎といえば、「津のお殿様」として三重県ではおなじみの武将です。津のご当地キャラ「シロモチくん」は、兜をつけた鏡餅のような姿をしています。その姿は、藤堂家の旗印「白餅 3つ」という、白い3つの丸餅が縦に並べられているデザインが由来なんだそうです。シロモチくんは、藤堂高虎が津に来てから400年に当たる、2008年に現われたそうです。

藤堂高虎といえば、やはり「築城の名手」として名高いですね。三重県にあるお城で言えば、熊野にある「赤木城」。何年か前に行きましたが、山奥にあるのに、見事な石垣が印象的でした。津にある津城にも立派な石垣があります。伊賀市にある伊賀上野城には、日本1,2とも言われる高石垣があります。

ほかにも、宇和島城、今治城、二条城などなど、築城したり、修築に関わったりしたお城が日本全国にあります。その特徴は石垣。そして、石垣のふもとにある犬走りと呼ばれる、細い道のような部分。

藤堂高虎は、とても背の高い人物で、身長は188センチもありました。当時の平均よりも30センチほど高いそうです。その上、子どもの頃から、一度も泣いたことがないという逸話があるほど、強者でした。

高虎の父親は武士として生計をたてていくことを目指していましたが、その願いは叶わず、農業と兼業しないと食べていけませんでした。高虎は、「父が果たせなかった夢を果たしてみせる。そのためには武功をあげるしかない!」と決意。そして、高虎15歳の時、初陣として出陣した「姉川の戦い」で見事、敵の武将の首をとる、という大手柄をたて、わずか3年で、父の夢を果たしました。

そんな高虎は生涯で7人も主君を変えました。主君が滅亡した。。。という場合もありましたが、主君の力量や将来性を見極めて、「この人に付いていてはダメだ」と見限った場合も多々あるようです。しかも、「武士たるもの、7回くらいは主君を変えないと一人前とは言えない」なんて開き直っていたようです。

でも、最終的には家康から信頼され、「国に大事が起った時は、一番手を藤堂高虎とせよ」と言わせるほどの国持ち大名になっていきました。

与えられるのを待つのではなく、自分で選び、実力でのし上がった、強い武将なんですね。

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