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人は「記憶」でできている

WOWOWで「1640日の家族」というフランス映画を観た。

最近、養育里親になった自分たち夫婦にとってはとてもタイムリーな、里親と里子と実親の話だった。

あらすじを紹介すると、主人公の女性(アンナ)と夫は2人の実子とともに6歳の男の子(シモン)の里親をやっている。シモンの母は男の子が生後まもなく亡くなっており、父は一人で育てることができず、子どもを施設に預けた。そして、1歳半からずっと里親夫妻が育てていた。傍目に見れば、幸せそのものの家族である。

ところが、シモンの父親がシモンを引き取りたいと言い出し、家族に暗雲が立ち込めた。シモンは自分が里子であることは知っていて、父とも定期的に面会はしていたが、長く暮らした家族、とくに母親のアンナと離れたくない。しかし養育里親というのは、児相が「実親に返すべき」と判断したら、子どもは返さなければならない。そこから、養育家庭の葛藤が始まるのだった。

結末はネタバレになるので言わないけれども、共感する部分は多々あった。とくに強く感じたのは、実親がシモンに宿題をやらせなかったことや、生活が決して恵まれているとは言えないところが垣間見えてしまい、シモンを思うあまり里母が暴走してしまうところだった。子のことを思うなら、そんないい加減な親のところに返してしまって本当に大丈夫なんだろうか、うちにいたほうが幸せなんじゃないだろうか、と思うだろう。

しかし、それでも養育里親には何の権利もないのである。管轄する機関(日本だと児童相談所)が委託解除すれば、ある日突然子どもは施設や実親のところに戻ることになるのである。そして、多くの場合はその後会うことも連絡を取ることもできなくなる。

私の知る範囲では、親子げんかをしてしまったがために「子どもに暴言を吐いた=心理的虐待をした」ということで10年以上も育てたのに委託解除になったケースや、実親が自分以外の女性を「ママ」と呼ぶのが嫌だという理由で委託解除になって施設に戻されたケースがある。

戸籍が完全に書き換えられ、実子と同じ扱いになる特別養子縁組とは違って、養育里親と里子の突然の別れは「よくある話」なのだ。ベテラン里親の多くは、こうした辛い経験をしているのである。

それでも私たちが養育里親を志願した理由

この現実を知ったとき、最初は私も「特別養子縁組ができる子をお願いしたほうがいいのでは」と思った。やはり、虐待やネグレクトをしていた親に自分が短期間とはいえ手塩にかけて育てた子を返すことに納得できるとは思えなかったからだ。

しかし、夫の考えは違った。

養子縁組できればそれがいいけど、そうじゃない子でもいい。むしろなるべく引き取り手のない子を育てたい、と。なぜなら社会的養護は、大人ではなく子どものための制度だから、と。

夫のこの話を聞いて、確かにそうだなと思った。里親を志願する人の多くは、子どもに恵まれなかった夫婦が多く、実際に特別養子縁組ができる生後まもない乳児の希望者は長蛇の列ができている。一方で、ある程度の年齢に達した大きい子は、こういう言い方がいいのかわからないが、人気がない。どうせ里親をやるなら、そういう子を引き受けたほうがいいのではないかと思った。

親子が親子であると認識するのは血ではなく「記憶」

私がそのように考えたのは、もう1つ理由があった。それは私自身の生い立ちに起因する。

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