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私が夫を泣かせた日

2022年4月10日
私は夫を泣かせてしまった。

夫の涙は一生見ることがないのだろう…
そう思っていた。

実際、彼は、小学校低学年の柔道の大会で敗退して以来、泣いたことがないらしい。義理の父と母からも、「その大会以降、彼の涙する姿を見たことがない」と聞いていた。

妻となった私から見ても、夫はわりと社会の中では一匹狼的存在に映っているし、体も大きくてちょっと見た目も怖いので、そして異常なほどのタフさを兼ね揃えているように見えるため、この人が泣くことは今後もないだろうなと思っていた。

全米が泣いたという映画を観た時も、
長年飼っていた夫の実家の犬が亡くなった時も、
サッカーで複雑骨折をして激痛が走っていただろう時も、
車で事故に遭いかけて悲惨な状況となる一歩手前だった時も、
どんな時も夫は泣かず、それ以前にあまり動じることすらなかったような彼…

そんな夫を私は泣かせてしまった。

この日、昼間の温かさはどこへいったのか、夜は少し肌寒かった。
私たちは人気が全くしない公園のベンチに座って話した。
夫は、自分の発する言葉が自分自身の気持ちを適切に表せているか一語一語慎重に確認しているかのように、ゆっくりじっくり話していた。

そのためか、私は彼の声が震えているのに徐々に気付いていった。
そして、「こんな気持ちになったのは産まれて初めてだ」と泣いていた。

小さい子供のようにワンワンと泣いていたわけではない。
文字にするとシクシクと、であろうか、男泣きというものなのであろうか、
私はもしかしたら大人になってから男性が泣いているのを間近で見たのはこれが初めてだったかもしれない。

彼を横目に、私は夫の心をそれほどまで傷つけてしまったのだということを認識した。

喧嘩はひょんなことが原因だった。
詳細は割愛するが、私は彼の絶対的見方でいるべきところ、彼でない第三者の肩を持っていると彼に感じさせてしまったことがきっかけだった。彼にはそのことがとってもショッキングであったようだ。

「Etoileのことを本当に大切に思っていて、だからこそ俺は一番に考えているつもりなのに、Etoileがそうでないとしたら、それは本当に虚しくて悲しいなと思ったんだよね」
そう彼は言っていた。

原因は完全にミスコミュニケーションであった。
お互い順序だてて、どうして自分がその発言をしたのか、その行動をとったのかを伝え合い振り返り、認識のずれがあった箇所を洗い出して潰していった。

こうやって書くと、なんだか仕事の業務手順のようで堅苦しいが、
本当にこういう地道な作業が大切なんだと思う。

たった1つの小さなパーツをお互いが違う形に捉えてしまっただけで、全体が出来上がった時にはもう時遅し、全く異なるものが仕上がってしまう、そんなイメージだ。

私はみんなに良い顔をする。誰も傷ついてほしくないし、誰かを傷つけることで自分を傷つけたくないともおそらく思っている。

でも本当は、たとえしょうがなく誰かを傷つけてしまった、もしくは、誰かに嫌われてしまったとしても、夫は傷つけないようにするべきだと思った。そういう意味での強さと責任を私はもっと持つ必要があるのだと実感した。

彼の涙はいささか私の「彼」という人物像にインパクトを与えた。

いつぶりであろうか。
夫との久々の大きめな衝突だった。
ただ、ぶつかれて本当に心がすっきりした。
彼はいつも「自分たちの衝突は関係性の崩壊を及ぼさない、むしろ強化につながるんだ」と教えてくれる。

彼の涙を見た私と、私に涙を見せた彼。
一生この世に現れないと思っていた彼の涙を、訪れないと思っていたこの夜の出来事を、私はこれから何度思い出すのだろう。

#思い込みが変わったこと

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