顔見知りだらけの客席からの脱却法。
【from地方の現場から】2018.4.3
東京や大阪で観劇して、感動した作品の上演許可を取って自分たちで上演する。地方の演劇シーンで見かけます。「自分たちがやりたいから」その原動力に異論はありません。モノ作りのエネルギーはそこから始まります。
上演するなら知っておいてほしいことがあります。あなたが感動した公演は周到に準備して行われていることを。制作部の仕事は裏方なので、お客さまが気付くことは少ないでしょう。お客さまに舞台に集中していただくため快適で安全な観劇環境を作る...パンフレットに並ぶ制作の名前は、当日の場内案内の人ではありません。
席数が数百人規模になると、出演者が制作を兼任するのは危険です。開演前や上演中に何か起きたとき、舞台上や楽屋で出番を待っていて対処できますか?万一の場合の判断、指揮や誘導、責任は誰が取るのでしょう。客席にご高齢の方もいらっしゃるかもしれません。観劇中に具合の悪くなられたお客さまは誰が守るのでしょう。すべて「お客さまの自己責任」ですか?
制作のいない公演は、お客さまに不便を強いたり不快や不安に感じさせます。どんなに舞台がすごくても、それでは公演として失敗。
準備段階から見ていると専任制作の大切さがわかるでしょう。観客目線を常に失わない。チラシデザインから告知方法、チケット販売のプレイガイド配分...お客さまの利便と安全を最優先に考えて、ときに演出に注文を出したり、「このエンディングではお客さまが気持ちよく帰れないから」ラストシーンの変更をお願いしたり。
あらゆる公演責任と公演中止の権限を持つのが制作プロデューサーです。
出演者や演出側から見ると利益相反関係の敵に見えることもあります。でも、それは一途にお客さま側に立っているから。この関係のおかげで作る側は創作に専念できるんです。ここが出演者と制作の兼任が難しい理由。もし兼任すれば、ほぼ確実に観客目線から離れます。
客席数の多いホール公演で出演者がスタッフを兼任していたり、制作者名が無く団体名だけ...そのような公演は十中八九「場内が寒くてお芝居どころじゃなかった」「休憩中トイレの行列に並んでいるのに開演ベルに急かされた」観に行って快適に感じられない点や不便な点が出てきます。厳しく言えば公演中の安全快適が担保されない危険な公演。舞台を30年見続けてそう感じます。
それでも繰り返されます。ただ舞台がやりたい人が集まって上演する。上演と公演の区別がつかない人たち。制作がいないまま公演を行うとどうなるか?何度も失敗したのに全く活かされず、迷惑を受けるのは観客ばかり。
予約して楽しみに劇場に行くと満員で入りきれず受付で帰らされたり。一番良い席と言って完売後にその前列を売り出したり。大事故を起こしながら事故を事故と気付かず、まだ制作業務の重要性に気付かない。おそらくもっと大きな事故が起きるまで続けるでしょう。このままでは危険です。警鐘を鳴らしておきます。
情報が発表になり「これに出ます!」張りきる出演者。意気込みに水を差すつもりはありません。とても良いと思います。すごい舞台を作るのと同じくらい、お客さまが気持ち良く観劇できるように、どうか努力していただきたい。公式サイトや情報発信にお客さま目線が感じられなければ、もはや公演ではなく出演者と身内の自己充足感のための発表会でしかありません。
誰もが気軽に情報発信できるようになった現代。地方で観劇人口を増やしたいなら、出演者一人ひとりがこの問題をぜひ真剣に考えていただきたいと思います。
最後に今日 Twitterで見つけたプロの名言2つ。
自分の気持ちとなんとなくシンクロしました。
いわゆる「地方ボス」は誰からも「ダメ出し」されません。ロビーや制作業務ならなおのこと。そのあたりをお伝えしていきたい。僕はそう思って、北海道から九州まで飛び回っています。