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うまい写真を撮る人は写真がうまい人じゃない。

ダンサーや役者の写真を撮る。
被写体に興味を持ってもらえたらうれしい。

気に入った街の風景を撮る。
街に興味を持ってもらえたらうれしい。

人や街のさまざまな表情や景色
その魅力を伝えたい、感じてほしい。

そのためには「うまい」写真であってはならない。

観客は写真世界に入る前で腕前に足止めされてしまう。
撮影技術に感動してほしいわけじゃない
「こんなの誰でも撮れそう」くらいがいい。

そうやって初めて

「ここどこ?こんなところに行ってみたい」
「この人なんだかイイカンジ。会ってみたい」
観客を写真世界に誘い込むことに成功する。

技術は写真を底で支えていて
技術そのものは見えない見せない。
そこに技術を費やす。


あなたの技術を写真で見せたい?
そういう競技会もある。
コンテストの大半はそんな趣旨だ。

けれども写真作品を作るなら
写真で何かを伝えたいなら
写真をコミュニケーションツールと考えるなら

ひとりよがりな写真は
一方的に大声で喋り続ける人のよう
どんなに内容が良くても
通行人は聞く耳を持たない


ほんとうに写真がうまい人は
うまそうに見える写真を撮る人じゃない。


俳優、ダンサー、ミュージシャン
一流と呼ばれるベテラン表現者たちは
とても謙虚で好奇心が強い普通の人。
けれど実はそう見えるだけ。

勢いのある若手は大きく見せようとするけれど
彼らの技術はそこ止まり

ほんとうにすごい人ほど
ちっともすごく見えない

すごく見せる必要が無いのだ
技術は他のところに使われている。

さて、

あなたが写真で見せたいのはなんだろう。
あなたは写真でなにを伝えたいのだろう。


すごいね。うまいね。がんばってるね。


そこで満足すると、そこで止まってしまう。
気持ちいいから、次もその次も繰り返してしまう。


表現を志す人はその先に向かおうじゃないか。


自分のフィルターで色を付けて
それが自分らしさだ、自分の表現だ、と言う前に

自らの視覚聴覚触覚、五感を肌を使って
そこで感じたまま、見た感じのままを再現する。

よけいな調整用のソースをかけない
食材そのままの味を再現する
そのとき
あなたの体験を観客は追体験して
撮影者のあなたの気分を共有する

巧く作った料理より
おいしい料理が食べたい
上手く作った写真より
イイカンジを味わいたい


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