見出し画像

『地産地消』っていう言葉にいろんなものを詰め込みすぎじゃない?と思った話

先日、県内の農家レストランへランチをしに行った。一般的に農家レストランでは、自家生産されたもの、もしくはその地域で生産されたものを美味しく調理して提供してくれる。ただ地元で収穫されたというだけで、とても新鮮で瑞々しい気がするし、どこで作られたかわからないものを食べるよりも安心感があり、ときに特別感すら感じられるから不思議だ。最近は、意外と利便性の良いところにもこの農家レストランがあったりして、男女問わず人気が高い。

そんな爽やかな贅沢気分を味わいながら、楽しいおしゃべりと美味しい料理に舌鼓を打っていたそのとき、あるポスターに目がとまった。それは『地産地消』の周知を目的としたもので、『農家を応援しよう!』というようなことが記載されていた。

いつもだったら、特に気を留めることもなかっただろう。だけど、そのときはなぜかもやもやっとした感情が湧いてきた。おそらく自分の中にもともとあった、『地産地消』に対するちょっとした違和感のようなものがひょこっと顔を覗かせたのだ。

(ん?なんだ、このもやもやは…?『地産地消』ってある土地で採れたものをその土地で消費するってことだよね…)

地元の野菜を食べよう、ということに対して特に疑問はない。むしろ良いことだと思う。『身土不二(身と土は切り離せない、つまりその人が生まれ育った地域の食べ物が身体に良い、とする考え)』という言葉もあるとおり、身体的にも理に適っているし、なんなら「昔からそうじゃないの?何をいまさら…」とさえ思う。

農家さんを応援することも大賛成。実は世界放浪の旅から帰国後、農業をやろうと本気で考え、『半農半X』的な生き方を模索していた時期もあったほど。自分で食べるものを自分で作れるなんて、最強だなと。その考えは今も変わらず、農家さんを尊敬しているので、応援できるならぜひしたいと思っている。

では、何にもやもやしたのだろう。自分自身に問いかけてみる。『地産地消』という言葉を味わうように何度か繰り返すと、そこに僅かに閉鎖的な空気が生じた。

(ある土地で採れたものをその土地だけで消費しちゃうってこと??それってなんだか自分たちだけが良ければいいみたいなニュアンスがしてあんまり好きじゃないなぁ…。それに、地元で採れた野菜を食べるにしても、とは言え一方で、北海道の海産物だって食べたいし、沖縄の南国フルーツだって食べたい…。それは『地産地消』の考えに反するってことだよね…。
でも、農家さんだって全国のたくさんの人に食べてもらいたい、喜んでもらいたい、って思ってるんじゃないのかなぁ。この言葉の意味するところがよくわからなくなってきた…)

確かに、旅行などに行けば、地元のものを食べるのが楽しみであることも事実。わざわざ足を運んでその地を訪れるからこそ、堪能できる贅沢や喜びがある。でもこれだけグローバル化が進み、流通システムや技術が発展した現代において、なんだか時代にマッチしていないスローガンなのでは、、という疑問が浮かんできて、ますます頭の中が「???」でいっぱいになった。

そういうわけで、まずは『地産地消』について調べてみたので、以下共有。


①成り立ち・・・1981年に「農家の食生活改善と健康促進」を目的に農林水産省が計画立案化した取り組み。当時の農家の食事は「ごはん・味噌汁・漬物」が中心で塩分が高く高血圧などの要因となっていた。さらに外国からの輸入品は高価でなかなか食べることができなかったため、もっと国内における西洋野菜や緑黄色野菜の生産を増やし、手軽に食べられるようにして、農家の食生活を改善しようと考えた。
②現在の定義・・・地域で生産された食用の農林水産物を、その生産地域において消費するという取り組み。食料自給率の向上に加え、直売所や生産者自身が加工するなどの取り組みを通じて、6次産業化にもつながると近年ますます注目されている。
(6次産業化とは生産者が加工と流通・販売も行い、経営の多角化を図ること)
③消費者にとってのメリット
 ・生産者の顔が見えるなど、生産状況を確認でき、安心感が得られる。
 ・旬の農産物を、身近な場所から、新鮮なうちに、より安価で手に入れられる。
 ・生産と消費の関わりや伝統的な食文化について、理解を深める機会となる。
 ・環境に優しいライフスタイルにつながる。
④生産者にとってのメリット
 ・流通コストの削減により、収益性の向上が期待できる。
 ・消費者のニーズを把握でき、効率的な生産を行うことができる。
 ・直接販売することで、少量の農産品や不揃い品、規格外品なども販売可能となる。
 ・消費者の反応や評価が直接届くことで、品質改善や顧客サービスのモチベーションアップにつながる。
⑤消費者にとってのデメリット
 ・大量ロットでの配送ではないため、コストが高くなる可能性がある。
 ・品揃えが偏り、欲しいものが手に入らないことがある。
⑥生産者にとってのデメリット
 ・出荷や販売のために、追加の労働力が必要になる。
 ・品質管理や販売促進など生産以外の能力が求められる。
 ・地産地消であればどんな地場産品でも必ず売れるというわけではない。
⑦取り組みの導入例
 ・直売所の運営
 ・学校給食への供給-子どもたちの食育につなげる狙い
 ・病院や介護施設への供給
 ・観光地としての付加価値を高める活動
 ・加工品の開発


わかったような、わからないような…。時代とともに意味が変遷する言葉は他にもたくさんあるだろうから、別に驚くことでもないけれど、さすがに40年前の目的だった「農家の食生活改善と健康促進」は風化してしまっていると感じる。(ただわかりやすさは抜群。)

では、現在の目的は何だろう。定義にあるように、「食料自給率の向上」?「6次産業の推進」?なんだか実利重視みたいな匂いがぷんぷんするけれど、むしろそうやって言い切ってくれた方がシンプルでスッキリしている。だけど、それ以上に「食の安心・安全」を求める人がいたり、「環境保全・エコライフの実現」をのぞむ人がいたり、「食文化への理解」を深めたい人がいたり、さらには「地域活性化」につなげたい人もいる。はじめはメリットのひとつと捉えられていたものが、それこそ変遷して主目的にランクアップみたいな。

そうなってくると、いやいや、さすがに『地産地消』に意味を詰め込みすぎじゃない?という気がしてくる。一石何鳥を企んでいるんだろう。一見、良いことをあれこれ並べているように見えるけれど、それぞれのベクトルが全然違うのに、『地産地消』で全てを成し遂げようなんて、さすがの『地産地消』にも荷が重いのでは…?だいたい、「6次産業の推進」に注力したとして、その先にあるのは『地産地消』どころか、『地産他消』につながるはず…。もはや支離滅裂。


40年も前からある言葉であるにも関わらず、現代に至るまでそれほど浸透していないのは、正直、そこに原因があるのではないかと思う。いろんな人のいろんな思惑が絡みすぎて、その言葉の重みが薄れてしまっている気がするのだ。それぞれがそれぞれの目的に向かってあっちこっち向いてしまっているイメージ。どれだけ強いエネルギーで動いたとしてもそれでは分散されてしまう。もちろん、ひとつの政策で一石二鳥でも三鳥でも結果が出せるのであれば、とても効率的で良い政策なんだろうけれど、この場合、せめて教育や環境問題と経済政策は分けて考えたほうが良いと思う。


なんて言いつつ、別にこの言葉の意義が大事なわけではなく、エシカルな消費活動をしていくうえで、なんでもかんでも『地産地消』=「良いこと」としてしまうのは、危険なのかなと思ったということ。食の安心・安全を担保しつつ、環境保全やエコライフに貢献しているつもりでも、それが知らないところで誰かの経済活動に寄与することになってしまっているかもしれない。もちろんそれ自体が悪いわけでは全くなく、要するに、自分でしっかり考えて消費を選択していくことがやっぱり大事だということ。


八ヶ岳の農家でお世話になったときの写真


今回、『地産地消』について考えながら思い出したのが、八ヶ岳の農家さん。上で「農業をやろうと考えていた」と書いたけれど、実際、住む場所を探しながら日本各地、何ヶ所か田舎の村を訪れた。そのうちのひとつが長野県の八ヶ岳で、2~3週間、農家さんの家に滞在させてもらいながら農業のお手伝いをした。その農家さんは、農業でお金を儲けるというよりは、自分たちが食べたいものを食べられる分だけ作るというスタンスで、多品目を少量ずつ作っていた。その理由として、アレルギー体質のお子さんのため、安全に食べられるものを完全無農薬で自分たちで作るしかないという結論に達した、とのことだった。ご本人たちも多品目を少量作ることについて、「効率は悪いんだけど…」とおっしゃっていたが、そのこだわりと姿勢がとても素敵だなと思った。そしてその年の出来高に応じて、直接受注して日本全国に発送していた。

『地産地消』で地元の農家さんを応援するのも良いけれど、離れていても顔が思い浮かぶ、自分が惚れ込んだ農家さんを応援するのもまた良いと思うのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?