第二回 amazarashiと哲学

こんにちは、筋肉んです

第二回ということで前回解説した実存について考えた哲学者について解説してもいいのかなと思ったのですが、やっぱりやるならamazarashiと絡めたいなと思っていたところメーデーメーデーの歌詞が耳に飛び込んできました。
中古本100円均一のハイデガー」
まさか哲学者の名前そのものが出てくるなんて、、
ということで今回はメーデーメーデーおよびハイデガーについてつらつらと書きたいと思います。

ハイデガーとamazarashi

メーデーメーデーの歌詞には多くの哲学要素があるのですが、まず始めの始め
「思考なきマスゲーム 堕落の行進曲」
「突き立てられる喉仏 己を殺せ」
「近代合理主義のここどん詰まりにて」
「己を忘却してはいないか?」
という歌詞が秋田ひろむのめちゃんこ良い声で歌い上げられます。
この歌詞の意味するところとはつまり、考えることをせず、個性や自我が近代合理主義の無理な推進により死んでいるということだと私は解釈しました。

ここで冒頭のハイデガーの思想について触れてみましょう。
ハイデガーの著書には「存在と時間」という世界3大難書に数えられるものがあり、私自身も完璧に理解してるというわけではないため、自分なりの解釈になってしまうのですが、ハイデガーを語る上で外せない固有名詞で「Das Man(ダスマン)」というものがあります。
これは没個性というような意味合いです。ハイデガーはこのダスマンで、今を主体的に生きることをせずに社会に埋もれてしまっているような人間を批判しました。
これはまさに歌詞の通りだとは思いませんか?思考をせずに己を殺し己を忘却してしまっている。
またハイデガーは物質的でないものの価値判断は、実用的であるか否かという価値尺度では測れないとしました。
つまり人間や心の価値はお金や権力、地位などの社会的実用性では測れない、ということですね。これは近代合理主義と真っ向から対立する考え方です。

ここで例の歌詞を見てみましょう
「中古本100円均一のハイデガー」
この歌詞を、ハイデガーの思想とこの曲との関係性を考えた上で見てみるとまた違った意味合いが出てくると思うのです。
僕が考えるに、ハイデガーが指摘し、批判した人間像になってしまっている人があまりに多い現代社会では、ハイデガーの本は中古の100円圴一のワゴンセールに押し込められ、誰も見向きもしなくなってしまっていることを歌った歌詞なのではないかと思うのです。
僕は初めてこの歌詞を聴いたとき心の底から震えました。近代合理主義の侵食をこんな風に言い表してしまうのか秋田ひろむ!と。

ニーチェとamazarashi

もう一人紹介したい哲学家がいます。それはニーチェです。
ニーチェはなんとなく聴いたことがあるかも、なんて人もいるかもしれませんね。
ニーチェの思想はメーデーメーデーの
「背徳とはなんだ 善は悪を孕んだ」
「21世紀ようやく迎えた人類の反抗期」
という歌詞に僕は見出しました。

ニーチェの思想は今までの哲学的常識を全てひっくり返すようなものでした。まさにコペルニクス的回転。
なんとニーチェはその時代に常識とされていたキリスト教的観念を真っ向から否定しました。
しかし日本の現代社会では宗教というものはあまり一般的でないため、関係ないと思う人もいるかもしれませんがそれは違います。
むしろ科学の発達によって神という存在が身近に感じられなくなった現代にこそ必要なんじゃないかと僕は考えます。
まずニーチェという哲学家はその時代の常識を徹底的に疑いました。その時代では当たり前とされていた道徳、認識論、宗教などなど、、とにかく疑い抜きました。
その時代では、人々の善悪や美醜といった価値判断は歴史や文化に沿って行われるとされていましたがニーチェは人々の価値観はどんな法則も持つことはなく、個々人の解釈のみが価値観であるとしたのです。
まさに「善は悪を孕んだ」であり、誰かが善と解釈したものでもすぐ隣の誰かには悪と解釈されているかもしれないということであると。
そして近代で主流であったキリスト教的道徳も疑い、真っ向から批判しました。つまり「背徳とはなんだ」であると。
またニーチェを理解するにあたって大事な用語が二つあり、それは「ルサンチマン」と「ニヒリズム」です。
ルサンチマンとは自分の今いる現状を直視せず自分より豊かな者に対して卑屈な態度を取ることです。ルカの福音書6章20節の「貧しい人々は、幸いである/神の国はあなたがたのものである」という節がわかりやすいかとか思います。自分は貧しい者であって富める者ではない事を認めず、独自の解釈で無理やり自身を肯定していますね。ニヒリズムとは虚無主義のことであり、どうせみんな死ぬし、人生はあまりにも辛すぎるし、人生どーでもいいや!という考え方のことです。虚無主義に抗えというフレーズは馴染み深いものかも知れません。
そしてニーチェはルサンチマンの発達、加速によってニヒリズムが呼び起こされるとしました。
哲学史、宗教史は人類とニヒリズムとの壮絶な戦いです。類人猿が人間に進化し、考え続けた結果、ニヒリズムはその根を伸ばし侵食し続けます。
そこから時は流れて、人類はキリスト教などの宗教によって死後の世界に救いを見出すことで、ニヒリズムを克服します、が、しかしそれは一時的な対処でしかなく、根本的な解決にはなっていませんでした。宗教の興りから少しの間人類は穏やかな時を過ごしましたが、科学の発達によって新約聖書に書かれていることの大半は否定され、天国や地獄、神の存在もあり得ないとされてしまった近代においてもう誰もニヒリズムの侵攻を止めることはできない、、そんな絶体絶命のピンチに現れたのがニーチェでした。ニーチェは今までの宗教がニヒリズムの解決策にならないことを指摘し、またニヒリズムを克服する方法を提示しました。
このようにニーチェは正しいとされたことに真っ向から挑み、覆しました。
これこそが「人類の反抗期」なのではないでしょうか。ようやく迎えたとあるように、マイナスなものでは無い所から見ても僕はこの解釈を気に入っています。

ここまでご覧になっていかがでしたでしょうか?このようにamazarashiには哲学的背景を理解するとより味わい深くなる歌詞がたくさんあります。あなたも哲学の世界に飛び込んでみませんか?ここまでお付き合いくださりありがとうございました。またこの曲のことを書いてほしい!などございましたらDMで送ってくだされば嬉しいです。


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