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遺伝と人生

最近、人生は遺伝の影響を強く受けることがわかってきているというような内容の読み物やら言説を目や耳にすることが以前に比べて増えました。
みなさんあまりその種のことを公然と口にすることこそ少ないですが、そのこと自体はさほど驚くこともないと思います。ある程度公然の事実みたいな感じで扱われていますものね。
例えば「ウチはガン家系」だの有名スポーツ選手の両親を持った一流スポーツ選手のことを「サラブレッド」だの普通に言いますから。
とは言え、あまり公然と言いにくいのは、やはり差別の問題があるからでしょう。
私たちは幼い頃から、全てのことは努力でなんとなかなる、というような意味合いの教育を受けてきています。人生を色んな意味で豊かにするためには、もちろん努力は大切だと思います。
でも、人の「資質」、もっとベタな言い方では「才能」はやはり生まれつき備わっている部分が大きいはずです。これは自らを省みた場合でもそう思います。
ただ、言いたいのは才能がどうのこうのというような事ではなく、努力以前の問題をどう捉えるかということです。
以前にこんな内容の文章を書きました。

周知のことなので今更私が書くほどのことでもないのですが、問題を起こして少年院に入っている未成年や犯罪を犯して収監されている人たちには、そもそもなんらかの発達障害があることが多いらしいです。
実際、福祉の仕事をしている私自身、相談現場では明らかに発達に問題のある人たちだと感じることが多々ありました。
現在のようにICTを使い倒して、多くの情報を扱い、それらを有効活用することで経済的利益を生んだりできるような、それこそ複雑なRPGのようにさまざまなパラメータを最適化することで、自らの人生をも最適化可能となりつつあるような現代社会の中では、明らかに頭脳の差が人生の質の差として現れてしまいます。
単純反復作業はとうの昔にロボがするようになり、ホワイトカラーの仕事もAIができるようになるような中、果たして発達に問題を抱えた人たちは何をしてお金を稼いでいけば良いのでしょう?

今は世界的に格差が広がっているようで、共産主義社会である中国でも超格差なんて訳のわからないことになってます。アメリカなんかは言うに及ばず、日本でもかなりなことになっていますよね。
だからこそヨーロッパなどではベーシックインカムの議論が出てきているのでしょうが、この問題は複雑過ぎて私などでは軽々と意見を言うことすら困難です。

でも、自分の身近なところから、純粋な感想を述べることくらいは許してもらえるでしょう。
実は私の子どもは若干発達に問題があります。とは言え既に成人して働いていますがね。子どもの頃はそりゃぁ心配したものです。
子どもってのは残酷ですから、容赦なくいじめやら何やらやっぱりありましたからね。そんな時に親として思う事は「なんとか穏やかに安心して食べていけるようになって欲しい」これひとつです。
私ができた事は、自らがアクセスすることのできる全ての手段でもって、なんとか本人の特性を生かしつつ無理なくできる仕事を探すことに協力することだけでした。

「進撃の巨人」でミカサ・アッカーマンも言っていましたが、やはりこの世は残酷ですから、生まれつきの能力の差や家庭の経済力など、本人の責任や努力ではどうにもならない問題は確実に存在しますし、今後も無くなる事はないでしょう。
とは言え、生まれつきの資質や才能に恵まれず、運にも恵まれない人たちが確実に不幸になるような社会は、あまりにも悲し過ぎます。
この世が「楽園」でない以上、全ての人間が幸福となる事は現実的ではないのでしょう、しかし生まれついた能力や環境のみで人生の質が決まってしまうような社会ではあって欲しくないものです。

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