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一線を越えてしまう心情『空から降る一億の星』

 2002年 北川 悦吏子さんの脚本で『空から降る一億の星』が日本でドラマ化(サスペンス)された。それを元に後に小説化 → 韓国ドラマでリメイクされている。

明石家さんま · 木村拓哉 · 深津絵里 · 井川遥 · 柴咲コウなど、とても豪華なキャストで、井川遥や、さんまさんは演技が下手とか言われてたり、内容が暗いとかの評価もあったが、さんまさんも素な感じで刑事の哀愁が漂っていて個人的には、とてもいいドラマだったと思う。

(深津絵里がとても綺麗で、柴咲コウはこのドラマきっかけで色んなメディアに出だしたようです)

崩壊した家庭から子供の頃逃げ出し、愛情を知らずに育った? 片瀬涼(木村拓哉)はフレンチレストラン「REVE」のコック見習いとして働きながら、人知れず犯罪に手を染めていく。

そんな中、片瀬涼(木村拓哉)は、自らを追う刑事 堂島完三(明石家さんま)の妹である、堂島優子(深津絵里)と出会い、今までに持ったことのなかった感情が芽生えてくる

結末はネタバレになってしまうので言えませんが、子供の頃の壮絶な印象が焼き付いてしまっていたことから、片瀬涼(木村拓哉)は以下のような心境を綴っています。

崩壊した家庭から逃げ出した、子供の時の片瀬涼(木村拓哉)の心境

走って、走って、走って、走って。どこに向かって走ってるか、何に向かって走ってるか、全然分からなかったけど、とにかく走った。誰かが待ってる気がしたから。でも、誰も待ってなかったけどね。で、目が覚めたら女の人に拾われてて、それが多分育った施設のシスター。』

11:30~

生き方を強く想い描いた時の、片瀬涼(木村拓哉)の心境

『僕には、神様がいない。誰も、何も、この手には与えてくれなかった。凍えた体をくるむ毛布もなければ、孤独な心を抱きしめてくれる人もいなかった。それが、僕の人生の始まりだった。だから僕は自分で神になったんだ。ー(小説)

そうすれば、何でも思うようになる。それが唯一世界が僕の思うようになる手段だ。待ってても何もやってこない。誰もやってこない。星も降ってこない。僕は欲しいものを何でも手に入れる。ご褒美なんかいらない。愛なんかいらない。僕は僕のやり方で僕の成果として手に入れる。例えば、ゲームをクリアするように。それが、僕の生き方だ。ー(ドラマ)』

25:30~

 犯罪を犯した者はそう括られてしまいますが、親の愛情を全く知らない、社会のどこにも居場所がないなど、社会が非寛容になればなるほど、受け入れられない人も出てきたりもするということ。

感情は人から人へと繋がり、連鎖する。良い連鎖を作るのも人、悪い連鎖を作るのも人。まき散らされる連鎖もあるが、自分で止めるという意識も大事である。

そういった環境にいたこともあるので分かるが、逃げ出したくなる気持ちは分かる。良い人だった人が悪くなっていく様子は見ていられない、それはとても悲しい気持ちになる。

「不寛容(ふかんよう)」とは、「心がせまく、人の言動を受け入れないこと」「他の罪や欠点などをきびしくとがめだてすること」という意味の言葉で
「非寛容(ひかんよう)」は、「寛容」という言葉の打消し語です。「対人関係におけるあいまいさへの非寛容」「歴史上の非寛容の実例」「非寛容さが広がっていく社会」のように使われます。

出典:https://business-textbooks.com/fukanyou-hikanyou/

↓ youtubeにありますが、恐らくそのうち消されます。(最終回は前半だけ)



このドラマのDVD 中国出張したときに全巻仕入れた記憶、正規品だと信じたい。。

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