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共感に救われる

こんにちは。Natsuです。

双極性障害(昔で言うところの躁鬱病)と診断され、服薬治療中です。

これまでの経過を振り返ると、

精神疾患!?一生治らない!?と動揺してみたり

いや、そうじゃん前にもそういう診断されてたじゃん…と落ち着いてみたり

いややっぱり「病気」じゃなくてこういう「性格」なのでは??と思って聞いてみたら「こういう性格の人を医学は病気と呼ぶ」と言われたり

いつハードなうつ期が来るのかと怯えていたらそんなものは案外来なかったり

更新が滞っておりましたが、この後はこのまま落ち着いた日々を過ごしていました。しかし引越し前最後のメンクリにて「あなたは1週間単位で軽躁と鬱を繰り返すラピッドサイクラーです。落ち着くまでだんだんに薬を増やしていくしかないですね」と恐ろしいことを言われてしまっていました。

毎日、特に何ということもなくフラットで穏やかに暮らせているなぁと思っていたら、その状態を見た医師に「とても頻繁に軽躁と鬱を繰り返してる」と言われたらもう……




は?




ってなりますよ……。わたくし、「は?」って言いそうになりましたもの……。

嫌なことがあったら落ち込んで、悔しいことや悲しいことがあれば泣いて、でも幸せなことや嬉しいことがあれば笑って、それを日常生活をこなしながら生きていくのが人間じゃないんですか?それが極端に激しかったり極端に平板なのを「病気」と呼ぶって、そういう話じゃないんですか?わたしの場合は「極端に激しい」が治療対象ということになっていて、まじめに服薬して生活も気をつけていたし、結果的に人生つまんなくなるくらい落ち着けたのに、「もっと薬を増やすしかない」

初診時から「このお医者さんを、わたしは全然信用できない」と思いながらも、仕事や保険の関係と、継続して経過を見てもらうために通い続けて来ましたが、最後の最後に失望がピークに達しましたね…。なんなんほんとに…。この傷は結構深いです。愚痴ってしまいすみません!

まあ、最後の最後だったのでもうどうでもいいんですけど!

現在飲んでいる3種類の薬(エビリファイ、バルプロ酸ナトリウム、ラモトリギン)の種類と量、経過などを書かれた紹介状を持ち、いざ新たなメンクリへ!


森羅万象は、ピンキリである(Natsu,2020)


合わないなと思ったら次に行くしかない、それを呟きながら心療内科で問診票を書き書き。主訴も経過も、どれくらい細かくどんな風に書くか迷いつつ、結構細かく書きました。主訴に関しては今気になっていることは睡眠の質が悪い・夢見が悪いくらいですが、就寝時刻でコントロールして寝不足にならないようにしているので問題なし。

【YODAN】山形にいた時は仕事関連で叱責される悪夢(※現実世界で仕事で怒られたことはないのに)か水の中で溺れる夢を繰り返し見ていました。地元である福島沿岸に引っ越してきてからは、地震の夢や津波関連の怖い夢をよく見ます。やっぱり、起きている時に何を考えているかに夢も引っ張られるんでしょうか。人間って面白いなぁ。ていうかわたしの深層心理(?)闇属性すぎて心配になりません???


結論から言うと、新しいメンクリの先生は、めちゃめちゃいい先生でした。かつ、飲む薬の種類も3種類から2種類に減りました。


ヤッターーーーーーーーー!!!!!祭!!!!祭だ!!!

盆と正月が一緒に来やがった!!!!!!!!!!!


聖母のような先生だったので、マリア先生と呼ぶことにします。

今回わたしは、初対面のマリア先生に対し、とにかく思っていることを全部言ってみる作戦を取ることにしました。

思っている全てとは

①そんな酷い病状じゃない、言うて困っている症状がない

②「再発」時の状況は特殊かつ逆風が吹き荒れていた

③「再発」時、発症した院生の頃の症状が出ていない

④紹介状を書いたその医者は正直言って信用ならない

⑤時間をかけてでいいので減薬したい

です。後は細かなことを少々。

心療内科医のマリア先生は、「ものすごい傾聴!」といった感じでもなく、かといって事務的に捌くのでもなく、必要なことをわたしに質問し、答えを聞いてはメモして、ほどよい距離感と間を保ってコミュニケーションをとってくれました。

わたしが「こうやって引越しや転職のスパンが早いのも、喋るのが早いのも、病識がないのも、全部典型的な症状に見えるのはわかります、わたしがする話が被害妄想かもしれないって思われるかもしれないけどその上で話します」とめんどうくさい前置きをしてもマリア先生は「はいはい、どうぞ〜」ととにかく続きを聞いてくれました。


なんていい先生なのでしょう。


わたしの当時のお悩みについて、もちろんここでは詳しくは書けないのですが、医師は秘密保持義務があるのでわたしが苦しんでいたことについてかいつまんで話すと、「それはまた…」とか「悪いことしようとしたんじゃないのにねえ」とか「よくそこで割り切れましたねえ」とか、飛沫飛散防止のアクリル板の向こうで目を開いたり細くしたりしてくれて、それがすごく嬉しくて救われました。声が届いたことにホッとして、返事がくるのが嬉しくて、話している途中から、わたしはもうベシャベシャに泣いてしまい、待合室に戻るのが恥ずかしかったです。

薬や治療方針のことについてもお話を聞いてもらい、様子を見ながら薬の種類と量を減らしていくことになりました。今飲んでいる分がなくなったら、まずは増量していく前提で飲み始めていたラモトリギンをカットします。

これでラモトリギンをなくした途端わたしが発狂したりしたら、また飲まなくてはならなくなりますが(例が雑)、まずは自分の希望したやり方をトライさせてくれるっていうのが嬉しいです。ほーーらやっぱこんなに薬いらんかったやんけ!!!とオニノクビトッタドーーーーするには早すぎですし、やってみてダメだったらそれはそれ、というのは百も承知です。

少なくとも精神の領域において、「いい先生」とは、言ってしまえば「わたしにとって都合のいい先生」です。わたしが探し求めているのはレビューの星数が5に近い先生や出している論文数が多い先生ではなく、わたしがして欲しいことを医師の権限を使って適切に処理してくれる先生です。

あまりにも自己中心的な物言いですが、それでいいと思いませんか。

メンタルクリニックなんて、自分が楽になるために行くところなのだから。

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