自己肯定感足りてる?

とか、「自己肯定感がー」とか「自己肯定感をー」という風に、時々耳にするこの用語。
どっかの心理学者が、自己肯定感のためにでっち上げたに決まっているが。自尊心という言葉でこと足りる上に、自己肯定感という用語を用いることにより、発した人の自尊心を損なわんとする向きがある。

自尊心、自己肯定感とは、弱肉強食で、階級社会である人類を覆い隠すための詭弁に過ぎないが、より良い社会、世界を目指すのには不可欠であるだろうという仮説に基づき、高尚な連中により乱用されており、カフェイン程度の依存度を持っているよ。

この用語が小市民のレベルに降りてきた時、この世界に漂う自信のなさが、いよいよ飽和していると気付かされるという意味で有用な会話言葉かもしれない。
ということに気付きました。
(と自己肯定感の低い小市民の私は叫びたい。)

そしてこの気付きにより、大きな自信を掴むことの出来る、素晴らしい用語として作用しているのも大きな特徴だ。

いずれにせよこの用語、言葉に出会った時は、そう、自己肯定感はアゲアゲのMAXとなるだろうが、それは魔法の、まやかしで、自然の摂理を離れたゴミのような占いや、自己肯定感に溢れるセミナー、教祖様のありがたいお言葉と同じなので出来れば口に出さぬが吉である。

頭の良い先生たちが使えば、それはそれは違和感なく使われるものなのだろうな。

いずれにせよ、造語した先生に訳を聞いて狙う意味を理解せぬことには、使っちゃならない言葉だな。一生つかわないぞう。

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