見出し画像

ネットに引き摺られていた3年と、ネットどころじゃなかった2ヶ月

まだやることは残っているけれど、今のうちに書いておく。

ここ2ヶ月の間、外せない用事で土日が埋まり、PCは壊れていて、そもそも家がないとも言える状態だった。しかもこういう時に限って仕事も立て込む。

スマホのカレンダーに予定がびっしり

コロナ禍の3年、PCで遊んでばかりだったのと比べると真逆とも言える。今も良い状況とは言えないが、ネットに魂を引き摺られていた当時は非常にまずい状態で、それよりは全然いいのではと思う。

あの時は、人生でやることがなくなった気持ちになり、「自分はこれで終わるのか」と自意識が肥大した結果、「何者か」になろうとすらしていた。今思うと、「これを達成して人生を勝ちにする」などという思考は、それこそ既に負けである。

なぜなら、勝ちというのは負けと比べることが前提になっていて、特定の誰かや状態を貶めることが伴っているからだ。結局、互いが(腹の底で)勝利宣言をしあう状態に行きつくと思う。みんなが勝っているという平和的な思想もあるだろうが、それなら勝ちなどという言葉を使う必要はないはずだ。

そうしてモヤモヤを抱えるのは、「見えない敵」との戦いでしかなく、終わりがない。一方、本当の問題が次から次へとやってくると、悩みや焦りで思考が止まったりもするが、解決すれば先に進めるので希望はある。

だから遊んでばかりの時よりも、目まぐるしい今のほうが中身がある、と言いたいところだが、実のところ苦労話として誇れる内容ではない。要件が続いて終わりが見えなくなっているのは、過去のツケを払っているだけだ。

ところで、日常生活にはPCは必要ないのではと前に書いたことがある。実際、この2ヶ月の間もインターネットは必要不可欠なものだったが、ほとんどはスマホで事足りた。

しかし、調べ物や計画をするのにPCを使いたくなり、ネットカフェに数回行った。仕事を含め、本気を出すならやはりPCということだ。逆にいえば、休日PCに張り付いて疲弊してたのは、休みが最も大事になっていたともいえる。

遊びを生きがいにするのを否定するわけではないが、仕事への誇りを大事にしたい自分にとっては、歪な状態だったと思う。別にゲームもネットも完全に断つわけではないが、生活の中でのバランスには気をつけることにする。

そう考えると、平和を健全に楽しむことができないのが私の問題なのかもしれない。ゲーム製作は良い部類のはずなので再開するとして、他にもまともな暇の潰し方を探すべきだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?