不正常を自称しても好かれる彼と、そうでない私の違い

私がフォローしている人(「フォロイー」というのが正しいのか)の中に、今まで見た中でも異彩を放っている人物がいて、彼の書いたとある一文が頭を離れない。

彼はたびたび、特殊(というか、おそらく彼に言わせれば不幸なのだろう)な家庭環境に育ち、心の障害を抱えていることを語っている。

書く記事は、それによる生きづらさと、オタク文化の考察が主である。こういう内容を書く人間は、「そういうとこやぞ」と言いたくなるような性根の悪さが滲み出ていることも多いのだが、彼はそうでなく、たくさんのフォロワーがついている。

そこらの他責クソ文垂れ流し野郎(私と同類)と、彼は何が違う?障害とかは嘘で、コミュ能力高いオタ充が書いたフィクションなのか?と思いながら読んでいたところ、ある一文が目に入った。

つまり問題は、「みんな案外まともだった」から来ている。そういえば本当にまともじゃなかったであろうやつって、イヤな消え方をしていた。あのサブ垢で嫌がらせをしてたニートも虚言癖のニートも、BANなり糾弾なりされる形で消えていった。友達グループの「テスト勉強してねえ〜w」を真に受けて、俺と同じじゃん!と思っちゃったのですね。

そういえば私は昔、何かネトゲのβテストが始まると聞きつけてはインストールして来るもの拒まずなクランに入り、その後ゲーム自体に飽きても不満を垂れながらズルズル入り浸って、移住先が見つかったら砂をかけつつ引退ということを繰り返していた。彼が言うところの「まともじゃないやつ」である。

一方彼には、彼自身が書いている通りにまっとうな部分がかなりあり、そのことが文章にも表れているというわけだ。逆に言えば、まっとうでなければスキがつく文章は書けないということか。

ただ、私を雇用している会社の名誉のために言うと、私の人間性全てが壊滅的だということにはならないはずだ。たとえ嫌われているにしろ、少なくとも表面上仕事のやり取りはできている。利害が絡まない場面での人間関係、ようするに友人を大事にできるか、という点の話だ。

そういう意味では、彼が目撃した「本当にまともじゃなかったであろうやつ」も今は更生してまっとうに生きているかもしれないし、そもそもリアルでニートというのは嘘で会社でストレスをためたリーマンだった可能性すらある。

だがそんなこと関係なしに、友達を傷つけた=あいつはおかしいという考えをするというのも、凄い健全な感じがするなぁ。やっぱり正常じゃないか()

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