インターネット老人がnoteを2年続けてみて
noteを始めて2年、色々感想が溜まってきたのでここいらで書き出しとく。雑多な話なので口調は意図的にゆるくしてます。
スキがついたりつかなかったりする
これは本当にいい。ブログってよっぽど有名じゃないと何の反応もないイメージがあるけど、noteはフォロワー0からでもスキがつくので目安とモチベーションになる。
一方つかないこともあるってのも大事だと思ってて、つかないからダメってわけじゃなく理由を考えて消すか残すか決める。もちろん気にしないのも一つの手。
コメント・引用は少ない
コメントが来たり引用されたりっていうのはスキより深い交流といえるんだけど、どちらもほとんどなかった。他のSNSと比べてどうかは私には分からない。
文字ベースの交流は楽しそうでも、受け答えが義務になったら疲れると思う。それに私はコメントしやすい環境だと上から目線で寸評をしがちなんだけど、自分はされるのも見るのも嫌なのでこの方がよさそう。
note上の人間関係のようなもの
記事書いて読んでスキついてつけて、たまーにフォローされてだけだと人間関係とか一切作ってないように見える。
だけど相互フォローはもちろん、スキをつけたり記事を書くだけでも相手に名前が認知される。特徴的な記事を書く人は嫌でも名前を覚えるし、もしかしたら私を認知してしまっている人がいるかもしれない。
note上だけでも一種の人間関係が生まれているんじゃないか、って気づいて一時期視線恐怖症みたいになってたんだけど、人の目を少しくらい気にするのは当たり前だと思うようにした。
好きに書いてはいけない?
好きなようにばかりやっても成果が出ないのは世の常で、数字が欲しいなら我流を捨てて仕事のごとくやるのが一番早いんだと思う。
そういうものは求めずに自分が書きたいものを書くにしても、単に憂さ晴らしで書いたものはそれ以上にはなりえない。
私の場合、性格とか育ったネット文化圏的に、人に好かれる文章は自然体では書けないと思っている。あまり自分を偽るのは嫌なんだけど、単に皆が思っても言わないだけのことを書いたりするのはみっともない。
note公式に「何でも書いたらいい」とあっても、実際のところ「何を書くかは自分で決めないといけない」と言った方が正しいのでは。
記事の口調
この記事のゆるい口調は元々使っていなくて、もっと堅い「だ・である」口調のほうが本来だと思っている。
自然に書いたら「だ・である」になったので変えるつもりもないけど、あまり勧められていないみたいだ。「ちゃんと書いている」「いい大人である」感が出る一方、後から読み返した時あまりにも見合わない内容で恥ずかしくなることもある。
これを「です・ます」調にしても堅く書いたら同じことだろうし、ラクに書きたい人はもっと砕けた口調にするのがいいかもしれない。
1記事にかけるエネルギー
今のところ、スキがつきやすく自分でも質が高いと思える記事は
自分である程度時間と労力をかけてやったことを
見直しを繰り返しながら丁寧に書く
を満たしていて、つまりインプットとアウトプット両方にエネルギーがかかっている。
毎日投稿とかやっている人も多いけど、自分の場合平日仕事の後に欠かさず書くのはちょっと無理だ。最初は毎週投稿していたけど、作品として残したくないレベルになってしまうことが多かったのでやめた。(今毎週書いてるアニメ感想も、記事の質としては高くないと思う)
残す勇気
読者を敵と味方に分けるような記事はあまり書くべきでないと思う。批判や炎上はもちろん嫌だし、何より「敵の敵は味方」のような形になりやすくて不毛に感じる。
ただ、それにあてはまるものは全部引っ込めるというわけではなく、自分にとって本当に大事ならば残すべきで、それで怒りを買うならしょうがない。
むやみに争いを生むことはないが、ここは自分のnoteであり、記事は自分のコンテンツだという意識で望もうと思う。
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