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赤~傷から見えた、命の色~

赤は活力を与える色。気分を高揚させたり、元気の出る色。

 色の小噺を書き始めて、黒についても書いているから、今すぐに頭に浮かぶのはスタンダールの『赤と黒』だけど、『赤と黒』の話だけで一つを書けるとも思わないので、私にとっての赤について書く。

 ただ、欝々とした印象や不快に感じる方もいるかもしれない。流血系の話題が苦手な方は読まないことをおすすめする。

 私にとっての赤は、血だ。私が中学生の時、父が屋根のつららを落としていた時、落ちてきたつららの付け根が父の額に当たり、父は眉間を深く切り、自分の出血で目が見えなくなりながらも壁伝いで這うようにして玄関まで助けを求めに来た。

 その後、父は救急搬送され、切り傷が視神経を傷付けていなかったため、目は見えるようになった。ただ、大きな氷の塊が当たったため鼻の骨は折れていた。

 母は父に付き添って病院に行き、私は祖母と二人で家に残された。父が救急車で運ばれてから、私は父がケガをした現場に行ってみた。今思うと、どうして行ったのかはわからない。

 家の裏に行くと、積もった真っ白な雪の上に鮮やかな赤があちらこちらに飛び散っていた。

 全て父の血だ。

 その時に見た、雪の上の真っ赤な血飛沫の光景は今でも覚えている。

 この事件の数年後、今度は私自身が血塗れになることが何度もあった。

 リストカットだ。

 祖父を亡くしてからうつ病を発病し、リストカットを繰り返していた。中学生の頃にもしてはいたが、その頃とは比べ物にならない深さで切るようになり、頻繁に皮膚科で縫合を受けていた。手首だけじゃなく腕も切っていたし、人に見つからないようにと内腿も切っていた。

 縫合を必要とするほど切ると、切ったばかりの傷からはぷくりと赤い血が玉になり、玉はどんどん膨らみ、そして隣の玉と繋がって滲み、腕を伝って落ちていく。

 自分の体から血が流れているのを見ると、不思議な安心感を抱いた。生きているから血が流れる。私にも血が流れている。そんな安心感。

 卒業論文でも書いたが、私の自傷の背景には希死念慮、自罰、安心感があったのだ。

 父の怪我、自分自身の自傷行為。これらが、私にとっての赤。

 生きているから血を流す。だから、赤は命の色。そう思っている。

 自傷行為は18歳で卒業した。

 今では、料理をしていて包丁で指を切っただけで大騒ぎするようになっている。傷跡は私のポリシーでそのままにしている。

 だけど、今、私の左手首には傷と重なるようにして、赤と黒のブレスレットが付いている。