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競争することはイケないことでしょうか?

小学校などで「競争」をさせることが年々減ってきているような気がします。特に運動会や体育祭などの行い方や種目の在り方などが見直されてきています。

ボクは子どもたちが何かを「競争」をすることが「悪いこと」だとは思いません。

よくないのは競争の「仕方」だったり、「結果の表し方」だったりするような気がします。

優劣をつけることは子どもが自分の得意なことを見つけるチャンスでもあると思うのです。

自分が他の人より上手なことは何か?

それがイチバンわかりやすく教えてくれるのは人と比べることだと思います。

そして1つの分野においての優劣をつける際に一番重要になるのは、劣る側に入ってしまった子どもたちが、他の分野で「優」のグループに入れるような環境づくりをすることだと考えています。

そういった意味ではこれまでの運動会のありかたや、学校行事のやりかたにはボクも疑問を抱いていますし、変わるべきだとも思っています。

でも競争すること自体をなくすのではなく、「競争の場」を増やし、たくさんの子どもたちが活躍できる場を創り出し、それぞれの行事が同じレベルの重要度をしめることが大事なのではないでしょうか?

例えば運動会では活躍できなかった子どもが、工作大会で活躍したり、工作大会で活躍できなかった子どもが、音楽祭で活躍したり、音楽祭で活躍できなかった子が、プログラミング大会で活躍したりなど、やりかたは無限にあるはずです。

「そんなにたくさん行事ばっかりできるわけねーだろ!」

と現場の教師さんたちからの声が聞こえてきそうですが・・・・

「できないですかね?」

得意なことがわからないのは子どもの所為ではない

親となった今では、よくわかるのですが、

子どもが小学校を卒業するまでに、子ども自身が「自分が何が得意なのかわからない。」と言ってしまうのは、親を含む教育者のせいだと思っています。

人ができないことが自分はできる。

人が10できることでも自分は100できる。

そんなことは必ずどの子どもにも存在します。それがわからないのは、それに気付けてないだけ。(子も親も教師も)

先にも書きましたが、それを一番わかりやすく教えてくれるのが、「他人と比べる・競争する」ことです。

大人になってからもそれは変わりません。

職業だってそうではないでしょうか?

Aさんにできないことをあなたがやってあげる。その代わりにあなたができないことをAさんにやってもらう。

至極当たり前のことですが、結局はそういうことだと思うのです。

できないことは悪いことではない。

「できないこと」を見つけてしまった時に、それを「悪いこと」として子どもに教えることだけはしてはいけないとも思います。

○○って難しいよねー。じゃあABCならどうだろ?

と、○○ができないからなんなのさっ!っていうノリでやっていけばいいんじゃない?って思うんですが、ダメでしょうか?

わざわざできないこと、苦手なことを何度も何度も無理やり「克服」させるよりも得意なことを見つけてあげることの方が簡単だと思うのです。

潔さを養う機会でもある。

また競争するということはどちらかが負けるということ。

でも人はそんな負ける経験もするべきです。

負けたからといって、勝者を妬んではいけない。

勝ったからと言って、敗者を馬鹿にしてはいけない。

そういったさっぱりとした潔さのようなものも早いうちから養っておくと大人になってからも助かるんじゃないでしょうか?

実際、社会にでると競争の嵐です。しょっちゅう誰かに勝っては、誰かに負けます。それでも潔い競争をたくさんしてきた人は負けたからと言って、相手の悪口をいうこともありませんし、勝ったからと言って相手を見下すこともありません。(理想論ですね。でも頻度は低いハズです)


我が娘は今の所、潔くありません。w

なにかをして負ける度に噴火します。

手は焼きますが、将来困らないようにも、こちらは落ち着いて見守り、
励まし、何度でも挑戦させたいと思っています。

ボクも姉にゲームで負けた時なんかはよく、「電源切り」という底辺中の底辺な行為をしていましたが、何度も流した涙のおかげで、ねちっこいことは絶対にしなくなりました。w


あぁ、初期のマリカーが急にしたくなった。。



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