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七夕 from New Zealand

先日の話になりますが、7月7日は「七夕」でしたね。
私がボランティアとして参加している日本語教室でもそれにちなんで、短冊に願い事を書いて飾りました。日本語での縦書きに少々苦戦しながらも、みんなで楽しく仕上げることができました。

教室にはいろんなアイデンティティを持った人がいるのですが、「愛する人と一緒にいられますように」「科学者になりたい」など、素敵な願い事にほっこり。


ふと思い返してみると、数年前の短冊には「幸せになれますように」と書いた気が。
じゃあ幸せではなかったのか?と聞かれると、公私ともに充実していたし何不自由なく生活はできていました。
ただ、若かりし頃の私は何となく「もっといいことが起きますように」というような意味を込めていたように思います。


さて、あれから4年。

あの短冊を振り返ると、今の私にとっての「しあわせ」とは、人生の中でのゴールではないことに気づきました。
例えると、「しあわせ」が目的地でそこに向かって歩んでいるのではなくて、常に幸せでありながら自分の人生を歩んでいるようなかんじ。

そして、しあわせは何か特別で大きなものではなくて、身近にもあること。
目に見えるモノばかりではないから、しっかり感じること。
たとえば、
早く起きて朝の新鮮な空気を吸うこと。
海の近くにいること。
おいしいコーヒーをのむこと。
大好きなチョコレートをたべること。
沈んでいく夕日をみること。
おいしいごはんを、大切な人といただくこと。

貪欲になるのではなくて、まず足をとめて身近にある幸せに感謝して味わうこと、ですね。


例えば、よく知らなかったり知識がないことを他人に説明するのは難しいように、自分にないものを他にシェアすることは難しいと思います。
自分が幸せでないと周りを幸せにはできないし、自分が楽しんでいないと周りも楽しませられない。

だから、まずは自分から。

自分を大切に、自分が幸せでいて、周りの人やものも大切に。


予想外に大切なことに気付けた、素敵な七夕になりました。

みんなの願いが叶いますように。


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