物語が「めでたしめでたし」で幕を閉じる理由
ディ◯ニーなどで代表されるように、多くの一般向け物語は「めでたしめでたし」で幕を閉じる。
もちろん、そうでない場合もあるが。
理解しやすいので恋愛系の物語で考えてみよう。
典型的なのは、
「いつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
というエンディングだ。
こういう時に決まって現れるのは
「大切なのはこの後だ。これは2人の始まりにすぎない」
のようなことを得意げに言う連中だ。
そんなことは知っているのだ。知っている上であえてここで物語を終わらせている。
何故か?
簡単だろう。
蛇足な上に退屈極まりなく、破局でもしようものなら最悪だからだ。
子供向けの作品だからという声もあるだろう。
だが、一般的に物語は起承転結なのだ。
例えば美女と野獣(有名な方)で考えてみよう。
出会う→少しずつ惹かれていく→共に困難に立ち向かう→困難を乗り越えて結ばれる
という流れなのだ。物語を続けるにはまた波乱が必要になる。
この後にもし、
予定調和のようにビーストとベルが喧嘩をして、別の男が現れてベルが別の男に乗り換え、最後にはビーストの元に戻る。
というような展開になったとしよう。
こんなゴミのような話を誰が見たいのか?
これではベルがしょうもない女になってしまい、ベルに惹かれたビーストもしょうもない男になってしまうだろう。
まあ実際、魔女に魔法をかけられた当時のビーストはしょうもない男だったのだが。
ガストンは元々しょうもない男なので問題はないが、こんなしょうもない男女の恋愛を扱えばしょうもない物語になってしまう。
こんなカスみたいな話で良いのだろうか?
前作の内容が丸々無駄になり、ガストンと結ばれても問題なかったという展開になるだろう。
こんなおめでたい頭の男女の話になんの価値があるのか。このような話では子供向け作品以下なのだ。
ハーレクインバージョンか何かか?
とにかく、完結した物語を動かすには波乱が必要になる。
そうでないなら、どこぞの夫婦のホームビデオをひたすら鑑賞するはめになる。
結婚式の余興で、新郎新婦がイチャイチャする映像を2時間くらい鑑賞したいだろうか?
アレは3分くらいだから微笑ましいのだ。
殊更、恋愛を主軸にした物語は終わりが肝心なのだ。
結ばれたら終わりでいい。その先の展開を描写してもロクなことにならない。退屈か失望しか待っていないのだ。
どのみち駄作だ。
だから「めでたしめでたし」なのだ。めでたいのは物語だけでいい。
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