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Gunung Ijen /イジェン山で青い炎

1、Gunung Ijen

Gunung Ijen(イジェン山)はジャワ島東部、バニュワンギの近くにある成層火山群で我々の今回の旅の目的地の一つである。

ジャワ島の東端、バリ島が近いのでバリ島観光とセットのBlogやツアーも目立つ。

火山群というくらいなのでいくつかの山の集まりをさしてIjenというのだろう(八ヶ岳みたいな)が、最高地点の標高は2800Mほどとのことだった。Ijenにはもともとジャワ島東の端のBajyuwangi 方面から行く予定だったのだが、スラバヤ空港でガイドたちにあったところで直前の豪雨で道崩れがあったとのことでルート変更し、より火山に近いところで一泊して仮眠を取ってから出発することになった。なんならもともとの旅程では最初にIjenに登る予定だったが、月に一度の(?)清掃日ということでCLOSEなのでといわれて日程を変えていた経緯もある。この山は昼間のハイキングもいいのだろうが、有名なのがクレーターの中で見れるという「Blue Fire(青い炎)」がNational Geographic誌の紹介以来有名となり国内外の観光客がやってきているらしい。今回に関してはコロナの影響もまだあるからなのかわからないが思った以上にインドネシア人観光客が多いな、と思ったが欧米からの観光客もけっこういた。

ネットの記事とか(英語)

2,雨の中、闇の中

手違いでヒーターのないホステルに泊まったがなんとか乗り切れた。2時半出発だったので、2時頃に起床したが、残念ながらまだ雨が降っている。雨合羽をきてヘッドライトをつけて、ガスマスクを渡されていざ出発。

ゲート

宿から歩いて5分くらいでゲートにつく。寒いかなと思って、半袖インナー+長袖シャツ+雨具、でいったが、雨は本降りではなく幸い小降りだったこともあり、登り始めて熱くなってきたので10分ほどで早々に中に着ていた長袖シャツは脱ぐこととなった。ところどころ東屋みたいな休憩スポットがありスナックや水も売っている。

結構人多い雨なのに


雨の中だが結構人は多く、道は迷うことない一本道で道幅もそれなりに広い。台車で人を運ぶビジネスもやっており、タクシーとよばれていた。

「タクシー」で運ばれていく人(人力)

途中、小屋みたいなところがありそこで少し休憩をする、看板によるとここは2214Mのようだ。

小屋。なんかお茶とかコーヒーも売ってるらしいけどこの時はまだお湯がないとかなんとかで買えなかった。ラーメン食いたかった。
2214mと記載あり。雨はやんだ。

ここまで休憩含め小一時間だったが比較的速いペースと思われる。そこから少し道の雰囲気が変わり、片側(進行方向右側)が崖みたいになっているところがあるので、暗く特に人が少ない場合は注意を要する。足元は木の根っこなどは目立たず火山性の細かい岩や礫のようなもので比較的歩きやすいと思う。小屋から30分ほど休憩無しで歩くと、登りきった感じのところで、どうやらここがクレーターの縁のようである。人が少なくなるところでは、ヘッドライトやスマホの明かりの干渉がないため、すごく綺麗に星が見える、いつの間にか雨もやんでいた。硫黄採掘も行っているようで、採掘された硫黄の塊を棒と籠で(天秤棒?)運んでいる様子も観察できる。

硫黄
ヘッドライト消すと真っ暗



3,青い炎へ
クレーターの縁から青い炎を目指してクレーターの中に入っていくと景色は大きく変わる(といっても暗くてあまり見えないのだけど)。ヘッドライトの明かりなどから見えるのはゴツゴツした荒涼な風景で、首元にかけたガスマスクも相まってどこか他の惑星にいる気分にもなる。

風向きなどで変わるようだが、硫黄臭がしてきたらガスマスクを着用するほうがいいと言われた。
ゴツゴツとした岩場をどんどん下っていき、30分強くらいすると小さな小川のようなものが流れておりそこを越えると人だかりがある。青い炎だ。残念ながら状況が良くはなく、ちいさーくしか見えなかったが青くゆらめく炎はたしかに見える、なんで青いのかわかんないけど不思議だなァ、という気分である。(硫黄の燃焼っぽい)

青い炎

結構普通に近くまで寄れるのだが、急に炎の大きさも変わったりするようなので結構そのあたりは危ないんじゃないかなと思った。
後ほど山の上の方で会った欧米人のナイスガイによると、我々が去った少し後に炎の大きさが変わったようである(写真も見せてもらった)。
このあたり自然現象なのでその場その場のコンディションによるのだろうが、いずれにせよ全く見えないということはなく、その神秘的な青い炎を見ることができたのでよかった。ガスマスクをしながらクレータ-を登っていき、薄明るくなってきた空に近づいていく。炎の次は、朝日だ!ということでクレーターの縁から朝日をみようという算段ってわけ。

クレーター内部での夜明け

4,夜明け
クレーターの縁まで戻ってくると徐々に空も明るくなっていき地形や周囲の様子が見えてくる。

うっすら朝日



イメージする火山!って感じの地形で、先程まで我々がいた青い炎を擁するクレーター内部、そしてその奥にある薄いターコイズブルーの火口湖が見える。

火口湖


インターネットで調べたところでは、この火口湖は強酸性でPH1以下とかなんとか。暫く朝日が昇るまで待機、たくさん人がいる。残念ながらこの日は前日の雨もあってか、雲が多くすっきりと晴れてきれいな朝日をおがむことはできなかったが、雲の切れ間から火口湖などが見えてきれい。暫くクレーターの縁にいて天気がよくなるかを待ちながら、付近をハイキング。

クレーターの縁に立っている

火口湖と反対側の山がきれいに見えたり、火口湖や雲・対岸のクレーター越しに遠くの山並みの様子も見える。

火口湖と反対側はきれいな山

下山の際に、昨晩麓であって声をかけてきてくれたインドネシアの歯学部の女子大学生グループと再会し、結局麓まで一緒に下山した。彼女たちは学校のテストが終わって休暇にはいったので、Jemberにある大学から二人乗りの原付きで雨の中やってきたようである。夕飯の際に麓の食堂で会って少し話をしていたのだが、宿はとらずに食堂で2時か3時の登山開始まで待機していたとのことでさすが若いというか、元気である。下山時にはすっかり明るくなっているので登りの際には見えなかったら周りの景色や植生などが見えて楽しい。

硫黄採掘の加工物
こんな景色だったのか....
植物も生き生き

話しながらのゆるゆる下山だが、クレーター縁→小屋(30分)、小屋→入口ゲート(30分)という感じでおおよそ1時間位での下山。下山後、宿に戻ってチェックアウトして朝食を食べて、Ijenに分かれを告げる!温泉もう一回行きたかった!

小屋
麓まで戻ってきました

5、余談。旅は道連れ世は情け。
Ijenを後にして、山を下り、次の目的地に向けて再びロングドライブとなった我々だったが、うとうとして起きるとどうやら車にトラブルがあったらしく山道の途中で路肩に止まった。路肩の脇は崖になっているようだが実はコーヒーの木なども生えていて地面にはコーヒー豆がたくさん落ちていて発酵だろうかやや不思議な酸っぱい匂いもする。友人を呼ぶとかBanuwangiから替えの車を手配するとか色々試したようだが、結局ひとまず下だれるところまで下るという結論になったようで、
明らかに調子の悪い車で下り坂の位置エネルギーを利用しながらくだっていく。途中の民家でどうやら修理業者の聞き込みをするが、その先に行ったところでは対応できなかった感じ。

聞き込みをした民家

結局バナナ畑の途中で車はとまってしまい、為す術をなくした私たちは熱帯の太陽のもと、バナナ畑の脇の朽ちた民家の傍にあるくちかけたベンチに腰をかけ、ビーサンからのぼってくるやたらとでかい蟻と戦って時間を潰した。

左側がバナナ園
なす術を失った僕たち

ドライバーがどこからか捕まえたバイクにのって近くの修理業者にいってくるということで、ひたすらぼけーっと待つ。同行の友人は明らかに苛立ちはじめているし、僕も普段ならこうした行程の狂うアクシデントには不寛容なのだが、熱帯の空気ゆえかここまでの旅の満足感ゆえかあるいは友人の苛立ち故か(飲み会で自分より酔っ払っている人がいるとなかなか酔えないみたいな)この日僕の心は終始穏やかだった。数十分後に、ドライバーが戻ってきて当座を凌ぐ修理を行ったが、この先はまだ長い。近くの街の修理業者にいって再度様子を見る必要があるという。選択権はないので、とりあえず修理業者にいくが、無慈悲にもある程度本格的な修理が必要とのことで2時間弱かかるだろうとのこと……。

修理中

さすがにガイド側も申し訳無さそうに伝えてくるし、友人はあからさまにテンション下がっている。僕は逆に覚悟が決まり近くで飯でもくおうと提案し、Google MAP頼りに5分ちょっとあるいたさきの食堂にはいる。もちろん英語は通じないので事前にかじってきたサバイバルインドネシア語でなんとか「辛さ控えめ」とか「砂糖抜き」とかカスタマイズを含めた注文ができ、小さな達成感。日陰が気持ちいい外席で結局やることもないので飯を食い、ドリンクをおかわりで注文し、店先の木陰で昼寝をするおじいちゃんを眺めたり、たまにおばちゃんたちに話しかけられたり(答えられないのでとりあえず笑顔で返して不審者じゃないアピール!)してぼけーっとした時間を過ごす。

暇すぎて2杯目に頼んだ謎のピンクジュース(susu soda)
The ローカル食堂
無事サバイバルインドネシア語で注文できて達成感。手前はnasi goreng, 真ん中がtempe goreng dan tahu goreng

普段の生活ではなんだかんだ、選択肢が多いとまず選ぶことに疲れてしまうし、選んだとしてもこの選択肢でよかったのか考えてしまうので、ときに選択肢がない状況、とりわけ自責でなく不可抗力や自分でコントロールできない状況で陥ったこういう選択肢のない状況というのは、ある種誰のせいにすることもなく「何もしない」を正当化できるいい機会なんだな、と思いながら南国の風にふかれながら車の修理を待つこういう時間こそ、数年後も旅をふりかえって思い出す光景なのかもしれないな、と思ったのであった。ちょうど2時間後くらいに修理が終わった車がきたので機嫌が戻った(開き直った。もしかすると同じような事考えてたのかもね)友人とともに次の目的地に向けて再びジャワ島ロードトリップは再開されたのだった。余談、長くなったけど振り返るとなかなか印象的でした。

こういうこともあるよね、と

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