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阪神タイガースの優勝でふわっと思い出すおじさんの話

「阪神タイガースが18年ぶりに優勝したんやって。」

家族Lineに届いた母親からのメッセージ。「知ってるよ」と思いながらスーツのポケットに入れている家の鍵のついた黒い革製のキーホルダーを少し触る。SNSなどを見ていれば海の向こうからでも阪神が優勝しそうなことや道頓堀川にたくさんの警察が配備されていることは知っていた。

今は野球にはさして興味がないので、岡田監督は知っているけれども、現役選手となるとほとんどピンとこないのだが、前回の阪神タイガース優勝時、つまり18年前、小学校高学年か中学校くらいだった僕は何故か阪神タイガースを応援していた。パワプロにハマっていたからかもしれないし、祖父母が大阪にいて阪神を応援していたからかもしれないし、単に久方ぶりの優勝を目指すチームに乗じたお祭り気分からだったかもしれない。きっかけは覚えてない。いずれにせよ、たしかに当時の僕は立派な、「にわか阪神ファン」だった。

その頃、大阪の祖父母のところに電車ではじめて1人で遊びに行くことがあった。紀伊半島の片田舎からでも、半島中に路線網をもつ近鉄のおかげで、地域の中心にある大きい特急の停まる駅まで出てしまえば、あとは座っていれば大阪なのでそう難しい話ではないが、田舎の学生からすればちょっとした冒険のような感覚はある。そわそわしながら指定された窓際の席に座る。今だったらスマホをいじってストーリーかTwitterを更新して「大阪に入りました」なんてするのかもしれないが、スマホがない頃なので、暇つぶしに持参した阪神タイガースに関するムック本を読みながら電車にのんびり揺られていた。

隣の席の人は、50代後半から60代くらいに見える背広を着てメガネをかけた少し気難しそうなおじさんだった。スポーツ新聞で阪神の記事を読んでいたと思う。どちらから声をかけたのか覚えてはいないが、ひょんなことからお互い阪神のことを読んでいるね、今年は優勝しそうやね、とひとしきり盛り上がった。今より幾分穏やかな時代ということもあり、電話番号とか住所を紙に書いて交換してそれぞれ目的の駅で別れた。

これが、おじさんとの出会いだった。

それからは、卒業や入学など節目ごとにお祝いの図書カードをくれたり年賀状をはじめとした季節の挨拶をハガキでやりとりしたり祖父母ほども歳の離れた近鉄特急でたまたま隣の席に座っていただけの阪神ファンのおじさんとの文通をメインにした交流は細々と続いた。

同じ県内の少し離れたところに住んでいたおじさんの家には何度か挨拶にいったが、ゲーテ全集や分厚い百科事典がたくさん並び、高そうな舶来物のウイスキーが置かれてる応接間に通されると少し緊張もした。奥さんが用意してくれたであろうケーキやチョコレート菓子をいただいて、難しい話の多いおじさんの話を聞いていた。哲学や文学などにも造形があったであろうおじさんの話は多少小難しい話が好きな方だったとはいえ中学生や高校生にはやや難しく、適当に相槌を打ったりしながらも少し背伸びをした気分で話をしていた。

おじさんは仕事で米国への駐在を経験している人だったこともあってか、とにかくこれからの世代の人は、ちゃんと英語を勉強しなさいという助言をくれた。僕はそんなに英語は好きじゃなかったからおじさんがくれたちょっと古めかしいテープ式の英語の教材はほとんど開かず図書カードでは別の好きな本を買った記憶がある。でもなんとなく漫画とかを買うのは違うな、と思って、好きだった地図帳とか地理の本を買ったはずだ。

僕が地域でそこそこの進学校である高校や、第一志望だった大学、海外にも関係するビジネスをしている今の会社に受かった時など、親戚でもないのに節目節目にお祝いをくれたりと、気にかけてくれた。お金にも余裕があったからできるんだろうけど、社会人になった今だから思うけどお金に余裕があることはまた別の問題だ。いつも達筆でなんて書いてあるか解読が難しい手紙だって時々送ってくれた。

その解読には時に家族総出になるほど達筆だったおじさんだったが、ある頃から加齢につれて目や手元が不自由になり手書きが難しくなったということでメールでのやりとりが主になった。葉書は実家においてあるが、手元に1通だけメールのやり取りが残っていた。

10年弱前、大学生の頃の僕に宛てたメールの中には、外国への留学に向かう僕に向けたエールや当時の時事ネタに関することなどが書いてあった。その中に以下の言葉があった。せっかくなのでおじさん言葉少し世に残してあげようと引用する。

私の物の見方は、① 本質か枝葉か ②巨視的視点か短期的視点か ③ 客観的か主観的か の三つの観点から洞察し、概念を引き出すことを基本にしています。手法的には戦略的に(25年先・一世代)を見ながら、現実の課題を如何に戦略的に解決するかであり、その為に現実を正しく把握せなばなりません。

多分今だっておじさんが思っていたようなところは掴めていないんだろうが、当時よりは少し色々経験してなんとなく言いたいことはわかる気がする。


僕は次第に阪神のことを応援しなくなっていった。野球観戦自体から遠のいて行ったが、おじさんは時々手紙やメールで阪神のことなどにも触れていた。

そんなおじさんだが、残念ながら数年前に亡くなった知らせを奥さんからもらった。祖父母のように近しくもないから涙は出なかったが、色々と思い出して不思議な気持ちになったことを覚えている。生憎コロナや僕の海外赴任だったりでもう一度会うことはできなかったけど、今回、阪神タイガースの優勝の報を聞いておじさんのことをふわっと思い出した。

もらった英語の教材はほとんど使わなかったけど、イタリアに行ってきたんだ、といつかもらったフィレンツェと文字の入った革製のキーホルダーはつける鍵が変われどいまだに愛用させてもらっている。いつもらったか正確には覚えていないが、もう15年近く使い続けているだろう。先日たまたまフィレンチェに旅行に行ったので、同じものをひたすら探したが、全く同じデザインは見つからず、仕方ないので似たものを一つ買った。

その間、僕自身も旅行や仕事でいろんな国に出かけたが、家の鍵をつけているので基本的にはずっと肌身離さず持っていることとなる。普段は全く意識しないけど、阪神タイガースが優勝したことで、日常の中に溶け込んだモノのちょっとだけ不思議であたたかい偶然のエピソードだったりちょっぴり堅苦しい応接室でいただいた優しいチョコレートの味だったり、連れて行ってもらった洋食屋で食べたグレイビーボートに入ったカレーを思い出した。

「阪神、18年ぶりの優勝ですね!」と空に向かってぼそっと呟きたくなったが、たぶん、「もう知ってるけどね」、と言われそうだなと思った。きっと空の向こうで阪神タイガースの今年の快進撃をわくわくしながら見ていたのだろう。

前回阪神が優勝した時に近鉄特急で仲良くなった男の子がいたなぁ、なんてことも僕と同じように思い出してくれてるのかな、と思った。空の上からだったらあれ以来野球をろくに見ていないこともばれているかもしれないし、なんとかなるけどまだまだ伸びしろのある英語に「だから言ったじゃないか」と言われてしまうかもしれない。

次が何年後になるかはわからないけど、たぶん阪神が優勝する度にまた僕はふとこのちょっと不思議な出会いを抗えない時の流れによる風化を経ながらも思い出すことになるのだろう。

少し斜めに構えているかもしれないが、メール本文(3)の点も踏まえて上記に引用したおじさんからのメールを久しぶりに読んで、人は「他人にささやかな影響を与えたい」と思うものなのかもしれない、と思った。その時に対象が子どもや生徒といった「なるほどね」で規定される関係性ならともかく、そうではない他人の場合その塩梅は職人技かもしれない。

机上の藁半紙を後ろの席からふうーっと息を吹きかけて決して床に落とすことなく、しかし微かに裏面が見えるくらいふわっと浮かせる確かな力加減。少なくともこのおじさんは18年かけて(それは一つの野球チームが次に優勝するまでの期間、といえばそう長くは聞こえない)僕の心にふわっと着地したような気がした。

おめでとう阪神タイガース!

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