見出し画像

2012年 J1昇格プレーオフ

今回は、2012年のJ1昇格プレーオフ決勝のことを書きたいと思います。
2012年は、私が大分トリニータに移籍して1年目。
プレーオフ制度が初めて導入された年だった。大分トリニータは、J2で6位の成績でプレーオフに進出した。
初戦は京都サンガに4-0と勝利し、迎えた決勝戦。前日の夜は、やけに落ち着いていて、いつもと変わらずホテルでテレビを見て、のんびりと過ごしていた。
そして、当日、国立競技場に乗り込んだ。

国立で試合するのは、3回目。
最初は、高校2年生のときの選手権準決勝。
次は、大学4年生のときのインカレ決勝。
そして、今回のプレーオフ決勝。
国立は本当に特別な雰囲気がある。天候が悪い中、遠く大分県からや、関東付近に住んでいるサポーターで、千葉に負けないくらいの青いサポーターで国立は埋め尽くされた。
私は、スタメンで出場し、後半の交代するまであっという間だった。どんなプレーしていたか、どんな試合だったのか、全く覚えていない。
唯一覚えているのは、試合も終盤になり、タケさん(林 丈統)が裏へ抜け出すと同時にベンチのメンバーも、外からタケさんとボールを追いかけていき、ゴールが決まった瞬間、興奮しまくったこと。
そこから試合終了までは、今までのサッカー人生で一番長いロスタイムだった。
そして、ホイッスルがなった瞬間、大分トリニータのJ1昇格が決まった。
ベンチのメンバー、監督、スタッフ、みんながピッチに駆け込み、喜びを爆発させた。
あの時の感動は一生忘れないし、サッカー人生で間違いなく最高の試合の一つだ。

あの時のチームは、今のトリニータみたいに器用ではなく、上手くはなかったかもしれないが、みんなの絆、チームのまとまりは決して負けていないと思う。それだけ一つにまとまり、全員が昇格を目指して、一年間戦ったから。

試合が終わり、サポーターへ挨拶して、記念撮影。私たちにはこれだけたくさんの偉大なサポーターがついているってことを改めて実感した時間だった。


両親と兄弟も国立に応援きてくれて、あのたくさんのサポーターの中でも、すぐに見つけることができた。
今まで両親には、わがままや苦労をかけてきたし、清水エスパルスでは、なかなか試合に出れていなかったので、少しは親孝行ができたかなと思った。

そして、そのまま羽田空港に向かい、大分へと戻った。
機内では、サプライズで昇格おめでとうのアナウンスが流れ、凄く驚いた。
けど、もっと驚いたのは大分空港に着いたときだった。
飛行機を降り、荷物を受けとるところに出たら、たくさんのサポーターが待っていてくれた。
「すげー!」と思った。何か有名人とかってこんな感じなんだろうなぁと。

本当に大分トリニータで貴重な経験ができ、たくさんのサポーターに支えられた一年間だったと思う。ここで、サッカーができて幸せだった。

あの時のことを振り返りながら、いっきに書き上げたので、文章と言葉使いが変なところがあるかと思いますが、みなさんに伝わればと思います。

長くなりましたが、今回はこれで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?