見出し画像

【コラム】「構造社会学」が・・・・オモシロイ!! #040

さっき事務処理的なことがあって、その間待っていないといけなかった・・・時に考えたこと。社会学というか構造のことなのでオモシロミで読んでほしい。

シアトルがなぜボロいのか?というテーマでどこかで話すか書くかしようと思っていた。そういえばエアビーのサイトで、アメリカで物件を探すとどこも結構「古いな」と感じていたことも思い出す。特になんというか、家具、内装的なものが古い。他の国でも古い物件はいくらでもあったけど、なんとなくアメリカは😎「とにかく中が古いなぁ」という印象があった。
何十年も前のソファ・・・というケースもあるけども、壁と天井の隙間が空いてる(割れてる)とかそういう印象が強い。

それで「アメリカってでも一人当たりのGDPは日本の倍(以上)だし、国は世界一。なのにどうも街なり家なりに反映されている気が全然しない。日本など到底及ばない格差社会だから、ニューヨークとかサンフランシスコ、フロリダの金持ちが集まるところに集中しているのか?と考える。
人口を調べると古い記憶にある2.5億はとうに昔の話で3.3億だった。

食料が不足している地域や土地で、人は戦闘的になることがわかっている。人を思い遣っていると自分が死ぬからだ。ギスギスした空気が生まれ、ルールは強化される。一方豊かな土地の人はおっとりとした性格になることが知られている。日本だと縄文時代は世界でも珍しく争いがなかったことが、武器が発掘されないことで推測されている。おっとりは戦う思考の文明発展を「しなくて済む」ので、例えばアボリジニのように目の前に厳しい環境があっても自然と共に生きる人たちも戦闘化しにくい。相手を殺すより協力して狩りをした方が有利な人数というのがあるように思う。

で、人数が多くなるど・・・アメリカや日本はもちろん、中国やインド、インドネシアとアフリカの人口増の国などは、人が知覚できる判断の数を超えているので「早く取らなければ自分が損をする」と、食料なり金銭が十分にあってもギスギスする傾向がある。実際貧富の格差はどの社会でも生まれるので、事実資源が十分でも損をすることがある。その損は数の多い他者と比較して明らかに自分だけが割を食っていることがわかるのでよりギスギスしたり、諦めに支配されるようになる。
つまり数が多いというだけで豊かになることは難しくなる。これは数が少なすぎるというだけで豊かになることが難しいことと同じだ。

じゃあ人数が多いことを減らすことはできないのだから、別の解決方法はないのか?というと、なくはないがないとも言える。

解決方法のようなもののひとつは、土地や空間を広く使うことだ。いわゆる密度を下げる。ただ、密度が低いけど資源もないとなると中央アジアの国のようにウラ寂しい失敗感覚が出る。
資源さえ十分にあればスペースが広いというだけで余裕が出る。
「ない」というのは、もう少しマスで見てみると、一国の人口が8000万人程度を超えるとどうもギスギスし始めるように思う。検証はなくあくまで感覚。一方2〜300万人以下になると、なんとなく無力感があり、500〜1000万人の国には余裕があるように思う。もちろんこれは、ある程度領土がある一部の国の話で、絶対則ではない。たとえばシンガポールは550万人の人口を抱えているが、密度の問題で余裕があるとは思えない。同じ人口のフィンランドはかなり余裕があるように思う。

経済の問題なり、国土や文化、人種などいろいろな問題が関係しているのはもちろんそうだけど、単純に人数の傾向というのはある。
有名なところでは親しい人は7人の壁があり、組織の限界人数は150人だと言われている。国単位んで人口爆発はまだ1世紀の歴史しかないので、誰も検証しきれていないけど、世界中を見て回って、社会法則をいろいろ知っていくと、完璧ではないにしてもかなり近い判断かなと思う。



今、ちょっとした「不備のあるルールを守れ」という日本でよくありがちなマウント連中と対峙してるんだが

①食料が少ない(現代ではお金)
②人口が多い
③密度が低い(→②だけでなく①の問題も関係)

この3つの条件に当てはまるところほど、ルールによる支配性が高まることがわかっている。アジアから中東を経てアフリカに多い。アジアは穀倉地帯で文明が発達し、結果人口が増えたこと。中東からアフリカは砂漠地帯でそもそも食糧難の常態にあることが理由だと見ている。


フォローやシェアをしていただけると嬉しいです。 よかったら下記ボタンからサポートもお願いします。 いただいたサポートは大切に松原靖樹の《心の栄養》に使わせていただきます!