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03.ヴェネツィアの胴回り

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ロンドン事件から8年後、2002年正月。

友人夫妻と訪れたイタリアのヴェネツィアで、私はロンドンの事件とは反対の経験をした。
起こった物事は全くの正反対でありながら

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という意味では、実は同じ物事だった。

その滞在で私は、ヴェネツィアの老舗有名ホテルであるダニエリに泊まり、サービスに定評のあるハリーズ・バーで食事をした。
歴史的事件現場の確認という観光の目的がありながら、同時にサービスに定評のある各店舗を経験しようと決めていた。

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そうした観光のほとんど済んだ最終日前日。
翌日からヴェネツィア共和国時代の海運の経由地点であり、城塞都市であるクロアチアのドゥブロブニク(ラグーザ)に3日滞在し、あとは帰国するだけというスケジュールが残っていた。

つまり、イタリア滞在はその日が事実上最終日であって、私は自分の好きなファッションブランドの、ジョルジオ・アルマーニの服を買いに出かけることにした。
ジョルジオ・アルマーニの店舗はどこでもそうだが、洗練されていて全体の空気、雰囲気がいい。
私は買い物を楽しむためにカジュアルなスーツに着替え、ホテルを出た。

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店に入ると目の合った女性スタッフに唯一知っているイタリア語で挨拶を交わす。
まずメンズのマフラーを探していることを伝え、何本か用意してもらう。
説明は終始シンプルで、つかず離れずの距離感が上手いスタッフだった。
一本のカシミアのマフラーを選び、あとは自由に店内を回らせてほしいと伝えた。もちろん快諾される。

美術館を回るような、ゆっくりとした足取りで歩を進める。
それぞれの服を目で、肌で楽しみ、最後にスーツを見て回った。
この頃の私はスーツを着る仕事をしていなかったので、必要性の低さからスーツのコーナーを最後にしたのだった。
担当のスタッフは、まだ私を自由にしてくれていた。

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各デザインにつき一着ずつ並ぶスーツの中に、ひときわ私の目を引く濃紺のダブル、ピンストライプのスーツを見つけた。
買う予定のないスーツを手に取ると質感がいい。
ラインも綺麗で着てみたい衝動に駆られた。
担当のスタッフを呼ぼうかと思ったそのとき、近くにいたスタッフが私のニーズを先取りしてキャッチしてくれる。
試着室に案内されスーツを着ている間に、そのスタッフは私の担当のスタッフを呼びに行った。

ジョルジオ・アルマーニのスーツはどれもそうだが、体が優しく包まれている居心地の良さがある。服を着ているという感覚ではなく、包まれているという感触。そのスーツは完璧だった。
いわゆる衝動買いをしようと思ったそのとき、上着のウエストがぴったりとフィットしないことに気がついた。 つまり、胴回りがキツかったのだ。

その後に起こったことが、ロンドンの事件とは真逆のことだった。
私がこのスーツを気に入ったことと、しかし胴回りがキツイことを伝えると、私の周囲を担当のスタッフ、仕立てのスタッフ、私がスーツを見ていたときに近くにいたスタッフの三名が囲い込む。
元々買うつもりのなかったスーツだからそれほど執着したわけではなかった。しかし彼らの一生懸命な姿を見て、成り行きに任せてみようという気持ちになった。

三人がイタリア語で何かを議論し合っているのを見ていると、言葉は分からないものの一生懸命さは伝わってくる。
もちろん、三人で売り込みをするなどというようなナンセンスなことはしない。
一通りの話し合いが終わると、「寸法を合わせて仕立て直すことは全く問題ない」と仕立てのスタッフが言った。
短髪で一見してセンスの高いゲイであるとわかる彼の説明も、とにかくシンプルで完璧だった。

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そういうことなら仕立てをお願いしますと言うと、急がせますので仕上がりに四日くださいと応える。
上着の胴回りの縫製をし直すのだから、パンツの裾上げなども同時に行うことを考えると時間がかかるのはよく分かった。実際、東京・紀尾井町のジョルジオ・アルマーニでも同じ仕立てを依頼すると一週間はかかるだろう。

しかし残念なことに、私にはその時間がなかった。明日イタリアを発つことを伝え「残念ですね」と言うと、短髪の仕立てスタッフはすぐにまた他の二人と一生懸命議論を交わし、数分後胸のポケットから携帯電話を取り出してどこかに電話をかけた。

二分ほどの電話が終わると、私の方に向き直り、笑顔で「明日の出発までに仕上げますので安心してください」と約束する。
私はその鬼気迫る仕事ぶりに思わず笑ってしまった。

私にとっては買っても買わなくてもいいスーツに、これほど真剣に応対してくれたのだ。
もちろんいい気分になったし、翌日仕立ての約束も守られた。
ハイクオリティのサービスの素晴らしさを実感することもできた。しかし、同時に疑問が生まれた。

翌日のクロアチアに向かう飛行機の中だったかクロアチアに着いてからだったか、私はロンドンの時に目撃したあの事件と白髪のマネージャーの説明を思い出していた。
あのときのサービスの世界と、今回のサービスの世界では一体何が違うのか?どちらが、あるいは何が正しいのか?

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今回の仕立ては4日かかるはずだった。
私の購入するスーツだけを仕立てるのであれば、プロの手にかかればプレスなどの工程を入れても2時間あれば余裕でできるだろう。
しかし4日必要だということは、私の前に列を作って並んでいる別のお客がいるということであり、その中にはおそらく急ぎの人もいたに違いない。
その列に割り込んでしまう私はお得であるし、現にスーツを手にして帰国することができたわけだが、サービスとしてそれは一体どうなのだろうか?という疑問が思い浮かんだ。

他のお客がこのことを知ったら、ジョルジオ・アルマーニに対するお客の信頼は崩れ去るのではないか。そういうことを考えずにはいられなかった。

最終的に、ロンドンの事件もヴェネツィアの対応も、根本のところでは同じ物事なのだ。

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に答える出来事であり、実はどちらも正しいサービスだったのである。

その詳細はこの後に続くサービスの歴史や、他のトピックスのコラムで詳しく見ていくことにして、次は

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の答えを先に見てしまおう。


前話: 02. サービスの約束
次話: 04.サービスはこう思われている 


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