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02.奉仕の生い立ち

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マザーテレサがインドで何十年もボランティア活動を続けたことと、ボランティアが西洋やアングロサクソンの国で発達していることには共通する理由がある。
西洋、アングロサクソンが富める者で、その他が貧しい者という意味ではない。
根底に宗教が関係している。

もともとボランティアは、富める者が貧しい者にではなく、貧しい物が富める者に仕える行動のことを指した。
それは人が神に対して仕えるということを基本にする。
そして神の慈悲が届かない貧しい者、文字通り貧困にある者や病気にある者に対して、教会を中心に「奉仕する」という考え方が生まれた。

これとは別に17世紀頃のヨーロッパで、志願兵のことをボランティアと意味するようになった。
現在でも英語では、志願兵のことをボランティアと呼ぶ。

ここからは仮説になるけれども、16世紀のローマ法王領に傭兵ではなく市民兵である志願兵を中心に組織したチェーザレ・ボルジアという人がいる。
彼はバチカンを中心として(父親が教皇であったために)ローマ領の軍隊を組織し周辺国家を制圧した。
一見結びつきのないように思える宗教と軍隊も、このような部分で接点があったのではないかと思われる。
いずれにしても、奉仕活動であるボランティアは西洋を中心として発達してきた。

余談になるけども、東洋でこの精神が発達しなかった理由は3つあると考えられる。

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ひとつ目は、儒教の発展。
日本は例外だけども、中国を中心とする周辺国の多くは儒教の影響を受けており、儒教は家族と血縁を大切にするところに価値観を持つ。
家族・血縁が助け合いをする価値の社会では家族が最も大切であり、他人に奉仕される必要がないし、いわれもない。
血縁関係が円満であれば、極端な貧富の差が出ることもあまりなかった。
親戚同士が助け合いを行うからである。
そして家族・血族がいない者は不品行の者であり、乱暴に断定してしまうと助ける価値がないということになる。

ふたつ目は、農業主体の社会に原因がある。
農業を行う民族は移動をしない。村社会を形成する。
毎年春に種蒔きを行い、秋に収穫をするという決まりごとを続けるためには、和が大切な価値観となる。
和は閉鎖社会のルールである。
必然的に家長制度と村の決まりで社会が運営されるようになる。
その社会では奉仕される人は存在しない。
ルールを守る人と役割を果たす人だけが存在する。
そして農業社会では多くの場合、ルールを守っていれば極端な弱者は生まれない。だから奉仕の概念は必要とされない。

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みっつ目は、インドなど南アジアを中心とするカーストなどの階級社会である。
そもそも弱者は弱者、強者は強者として決まっている社会では、弱者救済や奉仕の考え方は生まれない。

現代に入って、ボランティアは様々な国に広がりを見せ、奉仕を体系的に行うようになった。
組織化し、システム化することで、より多くの貧しい者に対して奉仕を提供することが可能になった。
組織化されたボランティアには、ボランティアのコンセプトと奉仕の内容を決めることが必要になった。
と同時に、運営を維持するための経済性をどのように解決するかも課題になった。
現代のボランティアは、コンセプトを出発点として、富める者が貧しい物に対しどのような奉仕を提供するかを決め、実際に奉仕することで成り立つ。


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奉仕を体系的に行うのはNPOやNGOをはじめとするボランティア団体がある。
奉仕は、企業によっては提供されない。
企業の目的は収益を上げることで、奉仕を行うことではない。

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多くの企業はボランティア活動にかかわる場合、寄付という形を取る。
寄付は金銭と共に技術提供を含んでいる。
だから企業が奉仕活動を行っているとはいえない。

同じように、公共サービスも奉仕活動を行わない。
公共サービスの中にはたとえば、各市町村の行政が生活保護というしくみを持っている。
何らかの事情で働くことができず、収入を得ることができないために、生きていくことが難しい人に対して毎月一定額を給付する。
富める者が貧しい者に、持てる者が持たざる者に提供するという意味で、奉仕でありボランティアであると考えてしまいがちである。
しかしこれはボランティアではなくサービスである。
奉仕ではなく公平性と富の再分配という社会システムである。

公共のサービスは、システムの実行によって社会を安定させることを目的に行われ、貧しい者を救済するために行われているわけではない。
社会構築に必要なことを行うのであって、誰かを助けるために行うわけではない。
公共のサービスでは道路作りも生活保護も、社会構築に必要な(だと考えられている)しくみのひとつであって、奉仕の精神から行われているわけではない。

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ボランティア組織は、通常商売上の組織である企業ではなく、NPOやNGOなどのボランティア団体によって運営される。
サービスの目的である社会貢献ではなく、商売の目的である収益の追求でもなく、ボランティアの目的である貧しい者に対する奉仕の提供という目的で組織される。
組織はNPOであれ、NGOであれ、名称と形態に重要な意味はない。
目的と成果によってボランティアの価値が決まる。
目的があいまいで、成果を上げることができないボランティアは、どんなに組織が大きくてもボランティア失格だといえる。



前話: 01.奉仕の特性 提供と被提供の関係
次話: 03.ボランティアにサービスを組み込む



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