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札幌の開発計画に思うこと。

徒然なる所感。
そもそも札幌に出ることがあまりないのだけど、新幹線の開通に向けて札幌シティは再開発状態にある。すでにオープンし始めている商業施設やホテルもあるし、これからオープンするものもある。

札幌はとにかく札幌駅がボロすぎるので、ぜひぜひなんとか改装してほしいというのがいちばんの希望。
まぁそれは話が逸れるのでいいとして、札幌の開発ニュースを耳にしていると、当然というか日本の他の都市と同じことをやろうとし、同じ発展をしようとしていることがわかる。
これが残念でならない。

震災直後、福岡が注目され、今も福岡は人口が増えている唯一の政令指定都市だ。福岡に住んでいた頃、札幌と同じような動きが出始め、結論を個人的ありきでいうなら過ごしにくくなった。
天神ビッグバンも進行中だけど、どのような構図になるかはほぼ何も知識がなくても予想がつく。

あまりにも多くの外国の都市を見てきて、ここまで密集型の詰め込みをするのは(詰め込みながらスペースを取ろうとする)日本の特徴的特徴だと思う。
古い時代からそうだから、スペース始め行政が大きく動くようなところは、そういう密集型でもまだなんとかなっている。福岡市長は飛行機の高度制限を論理的に打ち破って国に基準を認めさせた、とか。

ただ、街が醜くて、電柱なり狭い道なりが混在している中、できることは本当に限られている。そもそも都市計画があるのではなく、部分的なビルや駅の改修だけがある。多少連動があるとしてもそれは駅とビルだとか、地下街程度の話で、全然都市計画になっていない。

ちょうど一年前ヘルシンキにいて、郊外にいたし郊外を移動したり、都心部から郊外に行き来する中で気がついたことがある。
一戸建てがない。
低層の、しかしスペースを十分に取ったマンションが続く。景観は良くなり、人数の収容も可能になる。京都市が。財政破綻寸前の赤字を抱えていて、高層マンションを建てることができない高さ制限が問題だ、という意見がある。むしろ一戸建てを許可していることの方が問題だろう。
ヘルシンキと同じことはヨーロッパの街では良く見かける。最近だとフランクフルトがそうだった。フランスはどの街も都心部ではそういう感じがある。下町をありがたがる風潮やそこに手を入れると反対運動がめんどくさい、という傾向に結構大きな問題があると思ってる。

アメリカは土地の広さで事情がまた違う。イギリスは地下1階地上3階の住宅が多いように思う。やはり狭さを感じる。
バンコクでは大通りから中に入ると一軒家があり、香港は面積に対する人口が多すぎるので超高層マンションで賄っている。アジアはどうも印象が悪い。これは人口が多いことにひとつの大きな理由があると思っていて、人が多ければルールも多くなり、文句も多くなる。人のことを考えるより自己利益を取る方が優位になる。国単位で言うなら人口が5000万を超えるとアウト、という見方をしている。1000万を超えるスウェーデンあたりでもこう言う傾向が徐々に見え始める。人口や密度だけの問題ではないけども、とにかく人が多いというだけでさまざまなことが変化する。

話を札幌に戻す。
外資や日系のホテルが増え、商業施設が現時点でもいくつかオープンし、高層マンションも建つ。エスコンフィールドができたことや、インバウンドで新千歳空港から札幌までの鉄道はパンク寸前になっている。
思うに、こういうのを東京化していると言う。ハードな様子が東京と同じ。建物ありきも、商業施設ありきも、都市計画ではなくビル計画になっていることも同じだ。だが、東京のようにチャンスや機会に恵まれるかというとそんなことはなく、箱物と上澄だけ似せて人口が増える。
福岡の以前がそんなに良かったか?というと疑問があるが、箱は新しくてもなんだか汚れた気分になるのは俺だけか?

札幌の空気もそうなってきていて、人の49歩ほど先取りで残念な気持ちになっている。
もう少しヨーロッパ特に北欧のような雰囲気、あり方を反映できる余地があったのに、ここはどこまでも日本だなと思い知らされる。

一個人がどう思おうが、計画は進み街は発展する。
他の都市と同じような平均化にまみれる。
残念ではあるがどうしようもない。
もう少し旭川駅周辺の北彩都計画のように考えられないものか。この一点で旭川は日本でも最先端の独自性と素晴らしいスペースを手に入れたと思う。
帯広は駅が新しくなっても人は戻ってこない。
釧路は旭川駅前イオンを見習って大型イオンを招致すれば活性化すると思っている。近視眼的で嫌になる。

俺個人は、旭川が「やってくれた」ことの恩恵の上澄をもらっている。
それでもなお、それは一部であり、目線を街の反対に向けると高層マンションが建築中で(それが悪いわけではない)足元の通りはテナントが入っていなかったり、さらに外れると発展の可能性を全く感じさせない街の外見が目についたりする。

たとえば10年先、俺はどこに住んでいるのだろう?
俺に取って「住む場所」は極めて重要で、縁故や仕事で決めるものではない。ベストを狙うものだと思う。
思うに一生ベストを求めて妥協しない反面、大変でもありやや落ち着かないと思っている。葛飾北斎もこのような気持ちだったのかもしれない。


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