【正期産児編】胎便吸引症候群には二つのヤマがある
胎便吸引症候群(MAS)は読んで字のごとく、胎便を(肺に)吸引したことによる呼吸障害のことです。以前、呼吸障害で入院した正期産児のプレゼンで研修医の先生が臨床経過の最後に「胎便吸引症候群と思います!」と締めくくってくれたのですが、「羊水混濁は?」と聞くと「ありません!!」と自信を持って答えてくれたことがありました。出てない胎便を勝手に吸わせてしまってはいけません。
さて、胎児徐脈など胎児期に低酸素状態になると、まず交感神経が活性化し優位になります。そうすると、カテコラミンの作用により消化管・皮膚等の血管が収縮し、脳・心臓・腎臓といった重要臓器の血流を維持しようとします。これはα1受容体の分布が組織により異なることでアドレナリンに対する血管収縮性に違いがでることによります。その後は交感神経の緊張が解け副交感神経優位の状態となります。そうすると消化管の動きが促進され、筋も弛緩しますので胎便排泄が起こります。この反応は潜水反射(Diving reflex)として説明されます。潜水反射は陸上で生活するすべての脊椎動物が持つ生理学的な反応であり、たとえばクジラやイルカのような潜水動物で酸素を心臓と脳に優先的に分配することで長時間の潜水を可能になる反応です。胎内で低酸素になると、アシドーシス、pCO2の上昇が起こり、頸動脈小体に存在する化学受容器が感知し、心臓に対する副交感神経の作用(徐脈)と血管系に対する交感神経の作用(血管収縮)につながります。そうして重要臓器への血流の相対的に増加させるブラッドシフトを起こして生命活動を保とうとするわけですね。その他にも脾臓が収縮し、プールされている赤血球が放出され、心拍数の低下に対して酸素運搬能を増やすことで低酸素状態を緩和することも起こっています。
胎内での胎便排泄は正期産児でも10-15%は見られるもので、特に予定日を超えてくると増えてきます。これは胎盤機能のピークが40週0日付近にあるためで、これは必ずしも仮死につながる病的なものではありません。胎便吸引症候群の臨床経過は仮死の有無、肺の拡張不全に引き続いて起こる遷延性肺高血圧症(PPHN)の有無に大きく左右されますので、RDSや気胸のようにクリアカットにはいかず複雑です。ここでは仮死やPPHNのない状態、正期産児で出生時に羊水混濁があり、いくばくか肺に吸い込んでことでおこるMAS単独、すなわちヒトは胎便を吸い込むとどのような経過をたどるかについてを述べていきます。
嚥下機能の低下したご高齢の方達の誤嚥性肺炎では、①誤嚥による気道閉塞(窒息)、②肺内への吸引物による生体の反応及び化学性肺炎、③吸引物に付着していた細菌による肺炎、と3つの段階が存在します。①の対応は口腔・気管内異物の除去による気道開通、③は抗菌薬で対応できますが、②については自然経過での改善を待つしかありません。生体の反応が強い場合は急性呼吸窮迫症候群(ARDS)のような状態になりますので、それに応じた治療になるかもしれません。
新生児のMASでは基本的に③の細菌性肺炎はありませんので、①と②のみです。①への対応は、生まれたときにしっかり、しかし吸引刺激による徐脈や無呼吸を起こさないよう優しく口の中を吸引して、吸い込まないように予防しておくことが大事です。新生児蘇生法(NCPR)ではルーチンの吸引はしないと記載されていますが、あれはあくまで新生児蘇生のガイドラインであって、MAS防止のためのガイドラインではありませんので、口の中に混濁羊水があるのに吸引しない理由はありません。最近は滅多に遭遇することはありませんが、豆スープのようにドロドロで粘稠な混濁羊水を気管内に吸引したような場合には気管支が閉塞し人工呼吸で換気ができないこともあります。その場合には速やかに気管挿管をして気管内吸引を行わざるを得ません。これもルーチンでやりなさいとか、やってはいけないという話ではありません。必要な場合には気管内吸引をせざるを得ない場合があるということを蘇生に立ち会う者は頭の片隅に置いておく必要があります。NCPRの教科書には、「気管挿管に熟達した術者の場合は、気管挿管して気管吸引しても良い」、と記載されておりますが、そもそも詰まってしまった気管を開通させるには熟達していようがいまいが、それ以外の方法が無いのです。気管内吸引については新生児科医にとってレジェンドの一人、仁志田博司先生もメーリングリストで同じような内容を言及されたことがありました。
仮死児の場合には出生時に筋緊張が低下しており呼吸筋を動かす力も弱まっているために肺の拡張に時間を要することがしばしばあります。その場合でも基本的には待っていれば徐々に筋力が回復するし肺が開いてくることで、呼吸も少しずつ楽になってきます。呼吸の補助を行い肺を広げることでその時間は短縮されます。人工呼吸ないしCPAPを行うことになりますが、MASの場合には吸い込んだ胎便で気道が不完全閉塞し、陽圧換気やCPAPでチェックバルブの機序により肺気腫や気胸を起こすことがありますので注意が必要です。やるのであれば優しく呼吸補助を行ってあげましょう。サーファクタントによる気管内洗浄は胎便が気管上部にある場合にはよいですが、末梢気道まで進んでしまうと洗浄して吸引することは通常できませんので、最近はほぼ行われなくなり、単純にサーファクタントの補充のみ行うようになりました。
【極論かましてよかですか】
MASには気道閉塞と遅れてでてくる呼吸障害の2段階がある
NCPRはMAS予防を目的とはしていない。胎便を吸い込まないように吸引は手早く、しかししっかりと行え
②については細菌に無関係な呼吸障害なので、抗菌薬を使っても良くなりません。あくまでも異物に対する生体の反応なのです。胎便は脂肪分も多く含み、サーファクタントの効果を減弱させることも知られておりますし、免疫細胞が肺胞内に遊走してくる過程でもサーファクタントの効果が減弱しますから、時間がたつと一段呼吸が悪化する経過をたどります。時間経過で悪化する呼吸の順序は前に書いたとおり、多呼吸→呻吟→陥没呼吸の順です。この反応は蘇生が終わってすこし時間がたってから起こってきますので、呼吸が落ち着いたと思っていたお子さんが数時間後に呼吸が速くなったというような顕れ方をします。また、免疫反応が惹起されれば白血球数もCRPも上がります。感染症の初期に白血球数が下がることが多いのとは対照的です。現実的には呼吸障害や炎症反応の上昇をみれば世間一般では抗菌薬を投与されることがほとんどだと思います。かく言う私もかつてはCRPが生理的上昇にしては高いと感じたような場合には、症状がないお子さんでも入院させて抗菌薬を使いながら経過を見ていた時期もありましたが、一方で本当にそれが必要なのかと常々疑問に思っていました。MASについても検査値をみると抗菌薬をいかざるを得ないけれども、それで良くなっているわけではないのだろうと思っていました。結論を言うと実際それらの非感染症ケースでは抗菌薬での治療は不要ですし(感染症ではないから当然ですよね)、報告によっては生後早期の抗菌薬投与で将来のアレルギーのリスクが増えるかもしれないという話もあります。昔よりも児の様子を見て判断する能力が身についたこともありますが、今は感染ではないと確信できるケースについては治療しないことにしています。たとえば羊水混濁があって生まれた正期産児で、非常に元気が良く哺乳力も良いのに、生後多呼吸が出現。しかし、SpO2も全く下がらず、呼気延長や呻吟、陥没呼吸も全く見られず、診察しても感染らしさを感じず(この右脳的判断は伝えにくいんですよね)、白血球も正常値ないし高値であるようなケースでは、入院はさせず産科病棟の付属児のまま経過観察にしています。中には翌日CRPが11mg/dLくらいまで上がったりしたお子さんもいましたが、その時点で診察してもやはり感染症で困ってるようには見えない状態でしたのでそのままにしました。むしろそんなにCRPが上がっていて、これが感染症だったらこんなに元気でいられるわけないでしょう、と逆の意味で安心してました。採血されていない児の中にも、実際にはこういう検査値の経過をたどっているケースは少なからずあるのでしょう。プロカルシトニンもプレセプシンも一時期片っ端からはかってみたことがありましたが、MASと感染症の区別には全く役に立たないことを実感しました。そういうバイオマーカーは今のところ存在しません。唯一経験的に言えるのは出生早期にWBC高値はMASの可能性が高い、低値はまず感染で間違いないという傾向があるくらいです。検査値をみてしまうと心配になって治療せずにはいられなくなってしまうのは医療者の性ですね。ただ、どうしても区別しきれないものもありますので、その場合は抗菌薬の投与を行いながら呼吸障害の経過と炎症反応の経過とで最終的に判断するしかありません。
なお、抗菌薬を使わなかったMASのCRPの推移は翌日跳ね上がり、その翌日にはピークを越えて少し低下し、以降は1日ごとに2/3~1/2になるくらいのペースで低下していきます。感染症の場合も感染がおさまっていれば同じようなペースで低下していきますので。これがCRPの自然な低下速度なのでしょう。
もう一つエビデンスのない経験的な話をすると、感染症とMASの呼吸障害は児を見たときに受ける印象が違います。感染症の場合は苦しそうな表情であったり、何となく辛そうな様子、一生懸命呼吸する様子があります。私の師匠は「情けない顔」という表現をしていました。何を言っているのか以前はわかりませんでしたが、今は確かにそんな表情だな、と思えるようになりました。MASで多呼吸があっても、一生懸命頑張って呼吸をしているような様子ではなく、元気でよく泣き、力強く哺乳もできるような印象です。こういう目を養うには、人に教えてもらうだけでは身につかないですし、教科書に書いてあるというものでもありません。結局赤ん坊に教えてもらうしかないのでは思います。そうでないとガイドラインや病棟の決まり事にある治療以外できず、児の様子を無視して検査値の治療ばかりをする医者になってしまうかもしれません。私は総合周産期センターNICUの研修中に医者から教わった記憶はありません(反面教師としてはいろいろ学びましたが)。その代わり最初の1-2か月は極力夜も遅くまで残って入院中のこどもたちがどういう経過をたどるのかを理解する時間に費やしました。予想通りにならない場合には必ずそこに原因があるはずですが、通常の経過が分かってないと次の日に来た時に全く予想していない状態になっているかもしれないですし、家に帰ってから次の朝来るまでの間に何が起こっていたのか皆目見当がつかないからです。逆にそこが分かってしまうと安心して帰ることができ、当直中でも家からでも急に呼び出されて対応することもそんなに難しくなくなります。その様にして子どもたちから教えてもらったことはたくさんあります。それでもここまで到達するのに10年くらいかかってしまいました…。かつて日本のNICUを見学に来た欧米の医者が「日本の成績がいいのは当然だ。医者がこんなに働いているのだから」と言って帰っていったという逸話があります。しかしそのようなブラックな働き方はこれからの時代にはなじみません。日本でも限られた非常に優秀な医師が100点満点の治療を突き詰めるような病院はなくなり、80点くらいの医療で満足し、残りの20点に入るこどもについては「仕方がない」と誰もが疑問を持たなくなる、そんな時代になるのだと思います。
【極論かましてよかですか】
感染症の呼吸障害とMASの呼吸障害は児の様子は全然違う
MASに抗菌薬は不要、感染を否定する眼がなければ抗菌薬をやらざるを得ない
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