「自分は幸せだなあ」と思いながら生きれいられた方がいい!
「幸福な家庭はどれも似通ったものであるが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」
ロシアの世界的小説家のトルストイの代表作の一つ「アンナ・カレーニナ」の書き出しの言葉である。
家族みんなが心身ともに健康で、とりあえず安全に暮らせる場所があって、着る物や食べる物の心配もなく、平穏無事に暮らしていれば、それだけで十分に幸福な家庭の条件を満たしていると言えるだろう。
「いやいや、それだけじゃまだ全然足りないよ」という人もいる。
しかし、住む家どころか、祖国を失ったり追われたりした難民たちや、1日1ドル未満で暮らす多くの発展途上国の人々から見た、先進国に住む私達の暮らしぶりが彼らの目にどう映るのかを考えたら、納得せざるを得ないのではないか。
とりあえず、衣食住に不自由せず心身ともに健康でいられることが幸せの条件であると考えると、この世界には幸運のタネよりも、不運のタネの方が圧倒的に多いということに気付かされる。
例えば、私達に日常的に健康運がいいとか悪いとか言うが、健康な状態というのは、身体に何も異状がないことで、一つの状態しかない。
それに対して、人間がかかる可能性のある病気は相当数に上る。
そこに怪我が加わったら、それこそ健康を損なわせる悪運は無数にある。
それだけ不運のタネがゴロゴロと転がっている世の中で、少なくとも衣食住に困ることなく平穏無事に暮らしている人は、それだけで運がいい。
どうせなら、毎日不満を口にしているよりも、自分の幸福に対する感度を上げて、「自分は幸せだなあ」と思いながら生きれいられた方がいい。
実はそこにこそ、運がいい人と悪い人の大きな違いがあるのである。