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蓋をしてしまった“自分の本音”の取り戻し方 ~HSP(とても敏感な人)の当事者研究~

みなさん、はじめまして!
あだっちです。

僕は、HSP(Highly Sensitive Person =人一倍敏感な人)の当事者の一人なのですが…同時に場づくりカレッジ「えすけーぷ。」という団体の代表をしていて、この団体で、「HSP(とても敏感な人)の当事者研究会」というイベントを定期的に主催しています。

このマガジンでは、「えすけーぷ。」の研究会の魅力を発信すると同時に、今「生きづらさ」や「困りごと」に直面しているHSP当事者さんにとって、何か生きやすさのヒントになる考えやアイデアを書いていけたらと思っています。

当事者研究って何ですか?

「当事者研究」とは、最近福祉や医療、対人援助の現場で注目されてきている、“生きづらさ”をほぐして“生きやすさ”に変える自己理解ツールです。
その特徴は、生きづらさや困りごとを、当事者が「自分自身の専門家」として、「研究」という視点で掘り下げていくことにあります。
専門的な言葉ではなく、自分の納得できる言葉で、自分自身の生きづらさを話して、理解していくことを大事にしています。

「えすけーぷ。」のHSP当事者研究会はこれまでに計20回開催され、毎回、繊細さや敏感さの特性を持った当事者さん達と一緒に、それぞれの生きづらさについてお話したり、研究できる場を作ってきました。
そしてその中で僕らはこれまでに、多様でユニークな、より自分達らしい「自分自身の助け方」を沢山発見してきました。

僕らがその「助け方」を独占している今の状態は、あまりにも勿体ない…!
というわけでこのnoteでは、これまでに僕らが蓄積してきた様々な知見を、もっと色んな人に発信したていけたらと思っています。

今回は2020/4/5に開催された、
HSP(とても敏感な人)の当事者研究7かいめ【Zoom開催】
の中から、
「蓋をしてしまった“自分の気持ち”の取り戻し方」
をテーマにちょっと記事を書いてみます。

“困りごと”のプロフィール――自分の本音が良く分からない


「最近、自分の本音と上手く向き合えていないことに気付いた」
というある参加者さんの声からスタートしたこの研究。
自分の中にある気持ちや感情に対して、どうも自分はこれまでずっと蓋をして見ないようにしてきたのかもしれない、とお話してくれました。

これまでの計20回の「えすけーぷ。」HSP当事者研究会の歴史の中で、似た種類の“困り事”のお話を聴くことがよくありました。
HSPの敏感さの一つに、「人の気持ちを察する力が高い」という特徴があります。
これは上手く活かせば、気配りが上手くて、その時必要とされている適切な共感を示せるという強力な力になると思うのですが…
その力の活かし方を学べる環境や経験があまりないと、人の顔色に凄く敏感になり過ぎるあまり、他者の期待にばかり反応して、逆に自分の気持ちや感情を見失ってしまうことがよくあるようですね…(^^;

でもこのお話、実は僕自身も分かるところが多くてですね…
というのも、以前は僕も「自分の気持ちに蓋をしているHSP」だった気がするんですよね。
僕もかつては、人の顔色に敏感で、また自分の気持ちには鈍感で、上手く自分の本音が捉えられない…という感じでした。
けど気がつけば、最近はもうそういう自分になっていることはいつの間にか少なくって…。
じゃあそういう変化が起こったのは何でなの…と聞かれると、何故かちょっと困ってしまう自分がいます。
その変化の前と後で、どういう経験があったのか、多分自分でもあまり良く分かっていないのですね…(^^;

蓋をした自分の本音の取り戻し方


さて、それではどうしたら一度蓋をした“自分自身の本音”を、改めて取り戻すことが出来るのでしょうか…?

会の中では、「自分も以前はそういう状態にあったけど、最近はそれって和らいで来ているかも」とお話してくれる参加者さんもいました。
その方が言うには「HSPという概念に出会ったことが、変化のきっかけになった」とのこと。

なるほど!
と思いながら僕はそのお話を聞いていました^^
僕自身に起こった変化も、このお話を聞いて説明できるんじゃないかって気がしたんですね。
というわけで以下僕なりの、「自分の本音が分からなくなってしまう」の“研究仮説”を書いてみます。

「自分の本音が分からなくなってしまう」のメカニズム

確かに僕にも「HSP」という概念を知ることが、自分の本音を知ることを勇気づけてくれたような印象があるんですよね…。
それってつまりどういうことなのでしょう?
当事者研究会でそのお話をしてくれた方は、こういう風に話していました。
「HSPという概念を知ることで、自分がどういう生き物なのか客観的に捉えられるようになり、徐々にそういうことには悩まなくなっていった」

例えばここに五人の人が居るとします。
この五人は友達同士です。
それで、この五人が道端でお喋りをしているところに、自転車に乗った人が通りがかって、ベルを鳴らしながら走って来たとします。
その内の四人は、ちょっとびっくりして、道を譲ることでしょう。
けど、残りの一人は内心では「ちょっと」どころではなく、「とても」驚いていました。そのベルの音がかなり大きく感じられたからです。その一人は音に随分とショックを受け、その影響の残った、ざわざわとした心を抱えながら道を譲りました…。
けど、見回してみると、自分以外の四人は、特段そのベル音には驚いていないようです。「びっくりしたぁ~」と軽い感じで言いながら、また元のお喋りに戻っています。
とてもびっくりしてしまったその一人は、もしかするとこんな風に思うかもしれません。
「他の四人は、自分程には音にショックを受けていないようだ。自分は恐がりすぎなのかもしれない。こんなにびっくりするべきではないし、そんなのってちょっと恥ずかしい。だから他の四人と同じように、もっと自分も平然としているべきだ」
結果、この人は本当はとてもショックを受けていたのに、「びっくりした自分」をなかったことにして、他の四人と同じように、お喋りに戻ろうとするかもしれません…。

そしてこういうことが何度も積み重なる内に、気が付けば「自分の本音」が分からなくなってしまう、ということが起こるのではないでしょうか…?

この時この人に一体何が起こっているのかと言うと、多分「自分の気持ちや感情に、自信が持てなくなる」という現象なのだと思います。
つまりそれは、
「どうやら自分は周りとは違う感じ方をしてしまっているようだ…。それはきっとおかしいことで、自分の感じ方は間違ってるから、だからもっと周りと同じように正しい感じ方をするべきだ」
という風な、言うなれば“自分自身の感性の否認”とでもいうべき事態です。
この“感性の否認”は、誰にも起こり得ることでしょうが…もしかすると人の気持ちに敏感なHSPは、そうでない人よりもその敏感さの分だけ、起こりやすい傾向があるかもしれませんね…。

いずれにしても、人間ってやっぱり社会的な動物なので、周囲の反応に左右されてしまうことって、誰しも多かれ少なかれありますよね…。
周りにそういう“敏感さ”を理解したり、共感してくれる人が居たらまた違うのでしょうけど…そうでない環境に置かれれば、誰だって周囲に精一杯合わせている内に、いつの間にか周囲とは無関係な、自分自身の正直な気持ちがよく分からなくなっていってしまうのも、無理のないことのように思います…。

「HSP」の概念を知ることが生きやすさに繋がる


で、そこで昔の僕のことを考えると、そんな自分の気持ちに自信が持てなくなってる時に「HSP」という概念を知れたことって、やっぱりかなり救いになっていたと思うんですよね。

「HSP」という概念は、自分の「敏感さ」という特性のことを許してくれます。
人よりも何かに驚いたり、ショックを受けてしまう自分のことを「それでいいんだよ」と言ってくれます。
何故ならHSPは「そういう種類の生き物」だからです。
「それは変なことじゃないし、普通のことだから、別に直そうとしなくていいんだよ」と言ってくれます。
やっぱりこれって、とても救われることだと思うんですよね。
僕にとって「HSP」という概念を知ることは、「たとえ周りに自分みたいに敏感な人が誰も居なくても、あなたは敏感な人として生きていい」と、自分自身を許せるきっかけになったんじゃないでしょうか。
そう、無理して周囲に合わせてがんばるんじゃなくて、生まれ持った自分の気質を自分自身で許してあげられる方が、人生って格段に生きやすいんですよね。

だからもしふと、
「あれ? これって“周りに合わせなきゃ”と思ってる自分が発動してない?」
って気付く瞬間があったら、そこで一旦立ち止まってみて、「周りに合わせなきゃ」と思う前の自分だったら本当はどうしたいと感じるか、ちょっと想像してみるといいかもしれませんね。

HSP当事者の集いに行ってみよう!


あ、あと会で他に出たお話の中には、こういうものもありました。
「HSP当事者同士の集いに行くようになったことが大きかった」
そうなんですよ!
HSPの自助会や交流会に行って、同じHSP当事者と話をしてみることは、自分の本音が良く分からなくなっちゃった人にとっても大事なことだと思います。
当事者だからこそ理解し合えることって、やっぱり大きいんですよね。
いくら「HSP」の概念を知ったところで、周りにそれを理解してくれる人が全然居なくても、自分一人だけで「それでいいんだ」って言い続けるのってちょっと限界ありますよね…。
だから同じ特性を持った人同士で、共感できる環境って大切だと思うんです。
さっきの自転車の例じゃありませんが…周囲に「こういうことに敏感です」と話してくれる人が沢山いるからこそ、「ああ自分もそういう風にびっくりしていいんだ」って、自分を許す経験が得られるんですよね。
人の話に共感したり、自分の話に共感してもらうことを通して、蓋の下に仕舞ってある自分自身の正直な気持ちを、少しずつ許せるようになることが、蓋をしてしまった”本音”を取り戻すことに繋がるんじゃないでしょうか。

というわけで、もしこれを読んでいるHSP当事者さんで、これまでに当事者同士の集いに参加したことがない人がいましたら、よかったら一度覗いてみて下さいね。

以上「蓋をしてしまった“自分の気持ち”の取り戻し方」の研究でした^^


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【宣伝】
現在、「えすけーぷ。」のHSP当事者研究会は、
オンライン通話を使って定期的に開催しています。

次回の開催は、
4月13日(月) 18:30〜20:30

参加費は無料。

詳細とお申込みは下記からお願いします。
HSP(とても敏感な人)の当事者研究会 8かいめ【オンライン開催(Zoom)】

今、不安を感じていたり、今困りごとを抱えている
HSP当事者さんの力に少しでもなれたらって思ってます…。

よかったら気軽に遊びに来てくださいね^^

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