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《9/3単行本発売に伴い修正》『ルックバック』の修正に強く抗議します


9/3に単行本か発売されましたが、たくさんの加筆修正とともに、下記で問題としていた部分もWeb公開時点の内容からさらに踏み込んで京都アニメーション事件の犯人を明らかに踏まえた描写となっていました。
この修正により、私にとって『ルックバック』は日本マンガ史、いや世界の芸術史に残る傑作に“戻った”と感じています。
藤本タツキ先生と集英社の決断に、敬意と感謝を伝えたいと思います。
本当にありがとうございました。

※以下の文章は本作品についての参考情報として、削除せず残しておきます。

はじめに

2021/8/2、藤本タツキ先生による読み切りマンガ作品『ルックバック』について、公開中の内容に一部修正が行われました。


このnoteは、『ルックバック』の読者に下記を求めている者がいることを記録し、集英社に対してお伝えすることを目的に書かれました。

①修正を実施したことへの抗議
②単行本化に際しては、修正前の表現としていただきたいこと
(指摘されている問題点については注釈や解説で補足等を行う)

想定される第三者からの反論として、「作者側から修正したいという申し出」があった以上、読者が余計な口を挟むべきではない、というものがあると思います。

(作者からの修正申し出があったというニュース記事)

先回りして反論しておくと、作品を手にとり、味わい、そしてそこからなにかを受け取るという行為は、作者の用意した”答え”を当てるゲームではないと私は考えます。
発表された作品をどのように受け取るかは受け手の自由であり、それが嫌ならば他者に対して公開するべきではないと思います。

私は一読者として、今回の修正で『ルックバック』という作品のテーマがゆらぎ、日本のマンガ史に残るべき傑作である作品の価値と、私という受け手が作品から受けた感動が著しく毀損されたと考えており、抗議の声を挙げたいと思います。

そしてこの考えは『ルックバック』という作品の(修正前における)テーマにも通底すると感じています。

『ルックバック』をどのように受け取ったか

ここで自分の言葉ではなく、他者の批評を参照いただくことは不精ですが、上記のhamatsu氏の素晴らしい批評に私は大変親和性を感じており、私の『ルックバック』解釈は上記に準じるとご理解ください。

起きた場所、犯行の手法などが違っているとはいえ、本作が公開された2021年7月19日というタイミングなどからして、多くの読者が、この2019年7月18日に起きた、京都アニメーション放火殺人事件を想起するであろう。劇中のこの事件によって、12人の命が失われ、京本もまた犠牲者のひとりとなる。

私は、『ルックバック』を藤本タツキ先生が自身のマンガ家としての半生を踏まえながら、”京都アニメーション放火殺人事件”を藤本タツキ先生本人がどのように受け止めたかということを、先生の得意とするマンガを通じて表現した作品だと考えています。

そして『ルックバック』を通じて藤本タツキ先生は、創作することの善の面と悪の面を見つめ直し、創作の意義について、藤本タツキ先生なりの答えを描いた、と私は解釈しました。

京都アニメーション放火殺人事件とはなんだったのか

この事件については、あまりにも痛ましく、詳しく語る気にはなれません。
ただ被告人が犯行の動機として、「自分の小説を盗まれたから」と主張していたことを記憶されている方は多いと思います。そして修正前の『ルックバック』においても、犯人は京本に対し、自作を盗まれたと主張していました。

私自身、京アニ事件はあまりにもショックが大きかったためはっきり記憶していませんが、事件と犯人に対してまず感じたこととして「なぜよりによって京アニが」という思いを抱いたのではないかと思います。
そして今もそう思っています。
その理由は、オタクの方なら共感いただけるのではないでしょうか。

京都アニメーションといえば、一見して「美しい・可愛らしい」と感じる絵柄・色彩・音楽で構成された、非常に丁寧な作りのアニメ作品をコンスタントに生み出す製作会社であり、作品テーマも主に恋愛や青春などを用いて、人間の「善・美」の側面を主として描いてきた、という印象を私は持っています。
識者の方からの反論はあろうと思いますが、恐らく一般的な消費者が京都アニメーションに抱く印象に近いのではないかと考えます。

そんな「美しいもの」「善なるもの」を描き続けた人々が、よりによってなぜ殺されなければならなかったのか、しかもその中でも焼死という非常に苦しい方法で死んでいかなければならなかったのか、理屈にあわない、あまりにも理不尽ではないか、と私は感じました。

藤本タツキ先生が同じように感じたかはわかりませんが、例えば犯罪をテーマにした作品や、ホラー作品のような一部の受け手が眉を顰めるような創作ではない、万人が好ましく感じるような創作にも関わらず、それが受け手に恨みや憎しみ、嫉妬という負の感情を惹起し、創作者とその関係者を死に追いやる原因になった、という事実に、私は深い絶望を感じました。
一消費者でしかない私がそうなのですから、実際に創作されている方の中には、比較できないほどの衝撃を受け、創作の存在意義を疑ってしまった方もいらっしゃるのではないかと思います。

そして、創作というものは、それ自体決して楽しいだけのものではなく、生み出す過程もまた辛く苦しいものです。

そんな辛く苦しい思いをしながら、“善”ではなく”悪”を引き起こしかねないものを生み出すことに意味があるのか?そもそも創作など存在しなければよかったのではないか?という問いが、修正前の『ルックバック』にはあったと私は考えています。

『ルックバック』の作中で、京本を理不尽な殺人被害によって失った藤野は、妄想の中で彼女を助け出します。その妄想の中では、藤野と京本は出会うことなく、たまたま美大で襲われかけた京本を藤野はカラテキックで撃退します。
そして助かった京本を、実はマンガ家の夢を諦めていなかった藤野がアシスタントに誘う、というご都合主義な展開を藤野は幻視します。
そんな藤野の妄想を現実に引き戻したのが、京本の部屋から滑り込んだ4コママンガでした。

それは京本の手による、小学校時代の藤野作品のタッチを模倣し、ストーリーも藤野作品を彷彿とさせるシュールなオチのギャグ作品でした。
それまで京本が小学校で描いてきたような、プロレベルの絵だがストーリーのない作品とは全くかけ離れたものでした。
(このマンガの内容が、藤野の妄想とあまりにも重複していることから、並行世界で京本は助かっているのでは?という理解をされている方も多く、これも藤本先生の読者に多様な解釈を委ねる見事なテクニックだと思います。
ただし私は、シン・エヴァの渚カヲル風に言えば『ルックバック』はイマジナリではなくリアリティの世界で藤野が再起する物語である必然性と、物語としての美しさがあることから、このシーンは並行世界ではなくあくまで藤野の妄想と考えています。)

自分のタッチとストーリーを模倣した京本の4コマを見た藤野は気づいたのでしょう。確かに自分の創作が京本を引きこもりから外にでるきっかけを作ってしまい、そのせいで京本は死ぬことになったのかもしれない。


しかし、京本は藤野の作品を本当に心の底から愛しており、模倣するほどにリスペクトしていた。
創作を否定することは、京本の創作への愛、自分への思い、そしてそれやきっかけに始まった自分と京本との楽しかった思い出をも否定することにつながってしまう。

京本の部屋に入った藤野は、京本が自作の単行本を一冊だけではなく複数集めていたのを見つけます(打ち切り回避の応援のためでしょうか?尊敬する藤野の作品を友人にでも配るためでしょうか?そこまではわかりません)。

そしてさらに『ルックバック』のタイトルが回収されます。
かつてとっさに書いた自分のサインを、京本が大事に自室のドア(毎日絶対に目に入る場所です)に飾っていることに気づきます。

京本が死んでしまった原因は、確かに藤野のせい、そしてそれはマンガ(創作)のせいかもしれない。
しかし京本は藤野との出会いを心から感謝し、その作品の心からのファンであった。藤野はそう確信をすることができた、そのようにこのシーンを私は解釈しています。

なんのために作品を描くか

作中に明確な言葉では書かれていませんが、その後の展開もまた素晴らしいものでした。読者=京本が、自分の作品を読んで喜ぶ姿を思い出した藤野は、再び立ち上がり、机に向かいます。
それをただ藤野の背中のみで表現する(ルック・バック=背中を見ろ!)という藤本先生の演出と、タイトルをここまで多様にリフレインさせる発想に、私は感嘆しました。

「元々オレのをパクった」というセリフは必要だったか

上記の繰り返しになりますが、私は『ルックバック』という作品は京都アニメーション放火殺人事件を想定していることが明らかであり、その犯人である青葉被告を想起させる物語上必然性があると考えます。

修正前の表現は特定の疾患をお持ちの方を貶め、攻撃するといった意図はなく(仮に問題はあっても許容範囲内であると私自身は考えていますが)、少なくとも「元々オレのをパクった」というセリフは作品のテーマに不可分なものであり、今回の修正は不適当であると考えます。

再度の繰り返しになりますが、この修正により、『ルックバック』という作品のテーマがゆらぎ、日本のマンガ史に残るべき傑作である本作品の価値と、私という受け手が作品から受けた感動が著しく毀損されたと考えており、強く抗議いたします。

よって私の希望としては、現在公開中の内容についてはそのままで構いませんので、単行本化の際には修正前の内容を収録していただきたく、お願い申し上げます。
精神疾患の方への偏見を助長する可能性等については、単行本に文章等で解説・補足いただくことが適当ではないかと考えます。

補足・私の考える最大の問題点

今回の『ルックバック』について、私は作品自体には問題なかったと考えておりますが、公開日を京都アニメーション放火殺人事件のちょうど2年後の日付としたことは問題だと思います。
公開日について藤本タツキ先生の意図があったにせよ無かったにせよ、最終的に決定し公開したのは集英社であり、特定の事件を想起させる可能性のある作品に、作品中では明示していないにも関わらず、公開日で連想をさせる仕掛けは過剰演出であったと言わざるを得ず、その責は集英社が全面的に負うべきと考えます。
(公開日を別の日にしても作品自体の価値は変わらなかったと思います。集英社はこの『ルックバック』という作品のポテンシャルを過小評価していたのではないか、と苦言を呈させていただきます。)

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