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森口充子  自己紹介



個人事業主、職業→森口充子です。

今、主にやっている事。

☆アドレスホッパー
家を持たず、旅をしたり気に入った場所でしばらく滞在してみたり。
憧れだった移動生活してます。

☆ヒッチハイカー
1年間で色々な所でヒッチハイクをしました。
今や、日本で走る車は自分の車か?!のような錯覚するくらい、私の交通手段の1つとなってます。

☆なんちゃって農業家
神奈川県と長崎県壱岐島に畑を作りました。
手をかけなくても野菜は育つ事を知り、放置農法、
なんちゃってで野菜作り出来てしまいました!
また、お気に入りの場所に出会ったら畑作る予定です。

☆画家
気が向いた時だけ、たまに絵を描きます。
学校には行ってませんし、習ってもすぐ飽きるので、我流です。
が、描くのは大好き。

☆宿泊施設の管理人業務
長崎県壱岐島に1ヶ月間滞在する予定で来てみたら、滞在先があまり手入れされていなかったので、掃除の日々を過ごしてました。
すると、オーナーさんにこれからもお願いしますと言われ、そのまま無料で滞在させてもらえる事に。
また、旅には出ますが、ここは私の帰れる場所の1つとなりました、笑。

と、色々やってますが、
今までやった事のない事にチャレンジして、これが新しい自分の仕事!といえるものを創っていきたいと思ってます。
そのために色々お試し中。



★1971年 2月生まれ 京都府生まれ、育ち。

★昭和の躾と言う名の虐待育ち。
小学校までは、アトピー性皮膚炎、癲癇持ち、肩凝り頭痛持ち、などで病院によくお世話になりました。
母からの折檻で、自分を表現する事が出来ず、痛みや恐怖から逃れるため、自分の意識を飛ばしたり、空想の世界に浸ったりしてました。
少し吃りもありました。

死んだらどうなる?とそっちの世界の事を考えるのが好きな子供で、読書もよくしましたが、1人空想の世界で考えるのが好きな、物静かで無口で友達もほとんどいない子供時代でした。

★12才、小学6年の時両親離婚。
京都の山奥育ちで、本家、分家などあり、兄弟の多い父と結婚した母は、田舎の風習とは相性が合わず、病弱だったりもして孤立し、とてもヒステリックでした。
そんな母の状況は子供ながらよく理解していた私は
母が何も言わずにある日突然家を出て行った事が
ある意味良かった、と思いました。
私にとっても折檻がなくなった、と思うと嬉しい気持ちもありました。
その反面、うすうす母の気持ちはわかってはいたものの、突然何も言わずに出て行かれたことは、
見捨てられた、ととてもショックでした。


★中学3年間は父と3つ下の弟と3人暮らし。
中学卒業後、高校に行きたいとは思わなく、特に夢があった訳でもなく、でも一応世の中の流れに合わせ、もし高校行くなら絵の学校なら行ってもいいと思って受験はしました。

絵の高校を受験するのは私1人で、常に浮いた存在。
実技は美術の先生に習い、実技は合格。
ペーパー試験はダメでした。
勉強はダメな子供で唯一好きな科目
は国語でした。

絵を描くのを好きになったのは高校受験をするために習い始めてからです。
結局、美術の高校には行けず、画家への淡い夢もなぜか諦め、被服科の専門学校へ行く事になりました。


★そして、その時の記憶がもう定かではありません。今、思い返してもどうしても思い出せないや。

1年間専門学校へは行ったのか?
それとも学校へ入る前だったのか?

父が自殺したのは私が、16才の時だったと思います。
そのあたりの年数は覚えてません。
記憶から消し去ったのか。

私と弟は2人実家で過ごしましたが、親戚の人達が入れ代わり来てくれていました。
が、私はその環境に耐えられず、弟を置いて家出したのです。
しばらくして帰ると弟は親戚の家へ。

私は実家で一人暮らしを始めました。


★家に帰った頃からアルバイトをしだした会社で知り合った人と結婚する事になりました。
特に私は望んだ訳ではありませんが、まぁ、成り行き上です。
お相手が事故を起こし看病に行っていた結果、結婚という流れになり、1人の寂しさもあったので流れに乗りました。
それが19才です。
20才で1人息子を授かりました。
正直、結婚願望はなかったので、結婚生活はすぐにおかしくなり始めました。


★子供が出来て3才くらいになる頃には過食症が始まってました。
中学生で母がいなくなってから、タガが外れたようによく食べるようになり、太っていたのですが、
太っている事が嫌でダイエットを始めたのが中学生くらいからです。

ダイエットの延長線上に、短い期間の拒食があったのが子供を産む前と、産まれた後です。
授乳中は自然と痩せましたが、その後もそれをキープするために、食べる事は我慢していました。
太る事が何よりも怖かったからです。

その我慢もたぶん限界を越えたのでしょう。
ある時からたくさん食べ始めました。
でも太りたくないから食べて吐く、という行為を覚えてしまったのです。
それからみるみるそれにハマっていきました。

子供を育てながら、パートにも出るようになり、
そのかたわら、毎日毎日、食べては吐くという事をしてました。
今から思うと地獄でした。

ある時、精神科の病院に1度だけ行った事があります。
その時の先生に言われた言葉が、
「食べる事はやめられないのですか?」と質問されたのです。
それが出来なくて一大決心をして、元夫に付き添ってもらい受診したんですがね。ショックでした。
精神安定剤だけもらい帰りましたね。

その後、元夫も何事もなかったかのように、過食症の事には触れる事なくいつもの暮らしでした。

私は、薬を飲むのは絶対嫌だったので捨てました。
医者も誰も頼りにできない、自分で治すしかないと思いました。

それからは、自分で色んな精神世界本を読み漁りました。
が、読み漁ったところでそう簡単には過食症は良くなる事もなく、悪くなる一方でした。

過食症に明け暮れ、家庭は家庭別居状態でパートも増やしたりして、自分で自分を痛めつけ、おまけに
自分が育てられたように息子にも同じような育て方をしたくないけど、してしまっていました。

自分ではどうする事もできず、ただ、なぜ過食症になったのか?
その理由をずっと1人模索し続けてました。

★そんな生活にもほとほと疲れ果て、
結婚生活にもピリオドを打ちました。
それが、34才くらいかな。

息子が中学3年間、一緒に暮らしました。
その時も変わらず、過食症は続いてます。

もうその頃には過食は生活の一部で、歯を磨くのと、お風呂に入るのと同じように生活の中に組み込まれ、もうこのまま治らなくていいや、と思うようになってました。

治らないだろう、と。


★息子が高校生になる年に、父親の元で暮らすようになりました。
それから私は1人暮らし。
そしてある人と同棲も2年ほどしました。

その頃は、変わらず過食症は続いてましたが、
ある程度、なぜ自分が過食症で苦しんで来たのか?
わかり始めてました。

1人になった事で自分の内面に目を向けられるようになり、同棲していた人との関係がとても温かいものだった事もあり、少しづつ癒やしが起こっていたのでしょう。

その頃からスピリチュアルカウンセラーだったり
癒やしのセッションをしている人だったり、
自分が会いたいと思える人に会いに行ったりするようになりました。

ずっとずっと1人で悩み苦しみもがきながら生きてきた自分が少しオープンに生きれるようになったのです。

その行く先がだんだんと関東になっていったので、
京都に長年住み続けてはいるけど、いなくてはならない理由もなく、
思い切って関東に住んでみよう、と京都から出たのが、45才くらい。


★45才にして、狭い狭い自分の殻から脱出し、

神奈川県に住む事にし、箱根→茅ヶ崎→横浜と転々としながら、横浜に落ち着きました。

箱根では、温泉ホテルでしばらく働き、すぐに次の茅ヶ崎に移動しました。
その時から、熟女キャバクラで働き出し、
2019年8月までは横浜、東京と熟女キャバクラを渡り歩きながら、横浜に住み、過食症とも仲良くしてました。

もう、その頃には一生過食症と付き合っていこうと、それで自分が楽に生きれるならそれでいいと思ってました。
特にしたい事もなく、たいした夢があるわけでもない、とにかく楽に生きれればそれでいい、と。

でも、心の底、ほんの何%かは、やっぱり過食症を治して生きたい、という気持ちもありました。
が、まぁ、無理ならそれでいいと、諦めてました。

それと同時に、長年それこそ25年以上(もはや、何年続いたのかも定かではない)は続けてきた過食症で
体がきついのと、そろそろ飽き飽きしてきてた面もあり。

それだけ続けて、どこも体悪くなってないってのがまた凄い。
丈夫な体に生んでもらって感謝です。

↑↑↑
熟女キャバクラで働いてた頃。



★そんな折、たまたまか、必然か、出会った
八木さやさんの「自分ビジネス」。
御存知の方もいらっしゃるでしょう。
御存知でない方はググッてみてくださいね。

とにかく、これならやってみたいと思った私は、
決断したのです。

それまで長年だらだらと続けていた過食症も、
なんの目的もなくやり続けていた熟女キャバクラも
今までの人生、ここからリセットしてやり直そうと思いました。

そして、2019年8月、自分自身への誓いのために
頭を丸め、綺麗さっぱり過食症も熟女キャバクラもやめてみるか!となったのです。

そして、まずは個人事業の届けを出しに行きました。

何をしていいのかもわからず、先は不安でしたが、まずは今までの活動を全部ストップさせ、ゆっくりと家で過ごし、自分の心地良さだけに従って行動するようにしたのです。

そして、過食症は見事にストップしました。
それ以後1度も元には戻っていません。

自分自身の心の声が聞こえるようになると自然と次の自分の行動が見えてくる。
常に自分に意識を向け、自分の中から湧き上がってくる、
こうしたい、ああしたい、これはしたくない、あれは嫌だ、という声に注意深く耳を傾ける。

先々の不安に押しつぶされそうになる時もあるけど、自分の声に忠実に動く事によって、
絵を描き始めたり、オンラインで飲み会をやってみるなど。
始めたばかりの自分ビジネスで収入も得られ事もありました。

↑↑↑

熟女キャバクラを辞めた直後、
頭を丸めました。
坊主頭〜!(≧▽≦)


★そして、2019年12月。
いつの頃からか、ぼんやりと思っていた
「旅をしながら自分にしかできない仕事をする」
という事を現実に始めてみようと、ある人のコーチングを受けている最中に思い立ち、即行動に移したのです。
今まで色んなものを手放してきましたが、
住んでいたマンションも解約し、手放す事を決めました。

2019年12月27日、なぜかその日付けは覚えてます。
その日に、3年間住んだ横浜のマンションを明け渡し、旅人になりました。

個人事業を始めたとはいえ、何かが軌道に乗った訳でもありません。
ありませんが、まずは動きたかった。

動きながら考える、とういうより、感じるかな。
感じた方向へまずは進む、まずはやってみる、です、私の場合は。

見方によってはただのホームレスです。
まぁ、私は自分の中で幸せを感じれているのなら、ホームレスであろうが、何であろうがそれでいいと思ってます。


今の私は、自分の中から溢れ出てくる思い、
それが不安だろうが、恐怖だろうが、喜びであっても、何であっても
それと向き合い、しっかりと聞いて受け止める。

そして、自分にとって心地よいことを選び取って生きれるようになりました。

感情は今の自分を知る1番のツールであり、
そして、自分を知り、自分はどう在りたいのか?
は自分で選べるのです。

その事は色んな本を読み漁っていた時に読んで知ってはいました。
知ってはいたけど、その知識を使いこなすことができず、ようやく使えるようになったのが今です。

30年近くかかりましたね、笑。


まぁ、今でもブレブレになる時もありますが、
遅かれ早かれ、自分はどう在りたいのか?
という所に戻れるようになりました。

ここさえブレなければ、しっかりとわかっていれば
何があっても大丈夫なんです。


という感じで今は生きてます。



↑↑↑今現在の私。


★2020年12月現在。

職業、森口充子。

やっている事は色々です。

画家
旅人
家無し
ホテル暮らし
時には人の家に居候
神社巡り
youtuber
ヒッチハイカー
時にはスーパーカブで旅人
宿泊施設の管理人業務
なんちゃって農業家

今後も色々やる事は増えると思います。
何かとお試しをやりながら
やる事が定まってくるかなと思います。

収入になる事もあるだろうし、物々交換になる事もあるでしょう。
もう少し自分の軸となる収入源を作っていくため
色々やっていこうと思ってます。

その1つとしてnoteを活用していくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。


応援するよ〜!
とか
元気もらえた〜!
とか。

思って下さる方は、サポートして下さい!
大歓迎です。

私も素敵だなぁ〜!と思う人のサポートしていきたいと思います。

気軽に出来るといいですね!


このnoteを利用するのは初めてで、
機能をうまく使いこなすまで少々時間かかるかもしれませんが、少しづつ進めていこうと思います。

何だか色んな機能があって面白いと思います。


色んな事を楽しみながら、自分のペースで自分らしくやっていこうと思います。



そんな私から何か感じてくれる人がいたら嬉しいな。





これまでの私の人生は偏りしかなかったし、
我慢の人生でした。
とてつもなく狭い世界で生きていた。

自分で自分を縛っていた。
自ら牢獄で生きることを選んでいたのです。
その事に何十年とかかりましたが、気付く事ができました。

そして、自分の意思でそこから出てきました。

もう、2度とそこには戻らない。



ようやく自分の意思で歩く事が出来るようになりました。

これからまだ見たことのない世界、
いや、本当は知っている本当の自分に出会う旅をしようと思います。



囚われる事なく
流れる水のように
そよ風が吹くように
どこまでも自由な自分でいたい。




最後に。


結構な重めのハードな内容かと思います。
でも、なぜか、書き留めておきたかった。


長文の自己紹介を最後まで読んで頂き
ありがとうございます。



今現在は明るくフワッと生きております、笑。



これから出会う皆様、どうぞよろしくね。

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