PM理論と儀礼論の仮説

このエッセイは、まさに今日思いついたアイデアと仮説を紹介するものです。エモ重視なので、まだ充分な検証はしていません! まずは、それぞれの理論のおさらいから始めましょう。

(読了時間:約3分)

PM理論とは?

PM理論とは、リーダーシップに関する理論のことです。この理論では、リーダーの機能が2つの要素、すなわち、Performance(パフォーマンス:目標達成)機能とMaintenance(メンテナンス:集団維持)機能から成り立っているとします(※1)。

パフォーマンス機能は集団の目的達成を促す働き、メンテナンス機能は集団の輪を良好に保ち、チームワークを強める働きを示します。

この理論を提唱した日本の社会心理学者、三隅二不二(みすみ じゅうじ)は、これらの機能がどちらも高い状態のリーダーシップが望ましいとしました。

※1:パフォーマンス機能は、目標ではなく課題達成機能とする場合もあります。また文章によっては「機能」ではなく「能力」と書かれている場合もあります。

儀礼論とは?

この社会には、無意味なルールが溢れています。お決まりの言葉や動き(あいさつや、内輪でしか通じない秘密のシグナル)、集団の一員としての恰好(制服やユニフォーム)など、なぜそうするのかの理由がない(あるいはすでに失われている)にも関わらず慣習として続けられているだけのものたち。そのような無意味なものの意味を説明するのが、儀礼です。

儀礼とは、人と人とを結びつけるルールのことです。儀礼を守ると、仲間として認められたり仲間内での地位が上がったりします。反対に、儀礼を破ると仲間から外されたり仲間内での地位が下がったりします。

儀礼は身に着けるためのコストが高くなりがちです。なぜなら、複雑で習得が難しかったり、場合によっては実行するコストも高いからです。

儀礼においては、所作の大きさや順番のほんの小さな違いが大きな意味の違いを持ちます。たとえば、おじぎはその角度のちょっとした違いで意味が変わってきます。さらに、一度あいさつを怠ったり不十分な方法を用いただけで関係が険悪になることもあります。

しかし、そのような小さな違いにこだわるのは、ある意味滑稽です。つまり、あるグループの人にとってはその儀礼を守ることは重要なものなのですが、グループ外の人にとってはそのふるまいが風変わりで無意味で非合理的なものに映るかもしれないのです。

ピンときた! なんだか似ているものたち

これら2つは全く接点を持たない理論です。しかし、これらには似ているところがあります。

集団の輪を良好に保つメンテナンス機能と、人と人とを結びつけ集団を維持するルールである儀礼です。これらはどちらも、集団の維持という点で共通項を持っています。

とすると「リーダーシップの要素であるメンテナンス機能を高める方法は、儀礼にあるのではないか?」という仮説が浮かびます。反対に「ルールには2つの種類、すなわち集団の目的を達成するためのルールと集団を維持するためのルールがあるのではないか?」というものも浮かびます。

分からないところ

ということで、私はこの仮説が正しいのか調べることにしました。つまり、メンテナンス機能を高める行動に、儀礼的なものが含まれていないかをググってみたのです。

けれど、PM理論のメンテナンス機能の高め方についての資料を上手く見つけられませんでした。残念。

おわりに

今日はまだ、ここまでしか分かっていません。私は基本的に、このようにアイデアを見つけて、とりあえず記録しておいて、しばらく置いておいて情報が集まったら再び考えるというようなプロセスを経て、1つのコラムを作成しています。

実は、アイデアの状態では間違えていることも多々あります。そのため、そこから収斂して情報を取捨選択してくのが重要なのです。けれど、たまにはこのような過程をお見せするのもいいかと思い、投稿しました。PM理論のことをご存知でしたら、ぜひコメントくださいませ。

よろしければ、スキを押していただけましたら幸いです。



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