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共依存~服従が支配の手段になるとき

このコラムでは、支配(コントロール)の手段の分類と、共依存のメカニズムについて説明しています。

(読了時間:約3分半)

強いコントロールと弱いコントロール

他者を自分の思い通りにコントロールする方法には、強いものと弱いものがあります(※1)。

強いコントロールは「強制」で、義務と禁止から成り立ちます。「○○しなければならない」と「○○してはならない」、別の言い方をするなら、行動の強制と不行動の強制になります。

それに対して、弱いコントロールは、賞罰から成り立ちます。賞と罰は「○○したら、××をする」という点で共通していますが、「××」がポジティブかネガティブかが異なります。欲しくなるような「いいもの」を与えようとするなら賞、避けたくなるような「嫌なもの」を与えようとするなら罰です(※2)。

※1:強さや弱さはコントロールの有効さではなく、不自由さによって便宜上そう名付けました。

※2:弱いコントロールは、さらに2つに分けることができます。積極的なものと消極的なものです。積極的な弱いコントロールは、上記で述べたような賞罰を与えるものです。消極的なものは、今まで与えていた「いいもの」や「嫌なもの」を与えなくすることです。

服従は賞の一種

服従は支配の手段になることがあります。つまり、誰かを支配しコントロールするために、逆に誰かに支配されるという方法を取ることがあるのです。

これは、服従もまた賞の1つになるからこそ成り立つものです。服従は、社会的財(お金にはならないけどやり取りできるモノ)です。当人が得たいと思っているにも関わらず、持っていないものを得ようとするならば、どうしても他者の力を借りる必要があります。すなわち、他者に依存するということです。

よって、誰かを支配したい(思い通りに動かしたい)と欲している人に対して服従することが、逆に相手を服従させる方法にもなるのです。相手が自分に依存するわけですからね。

このような、服従している対象を支配している状態を「共依存」といいます。

人は何故、支配しようとするのか?

人が他者を支配しようとするのは、他者を介して自分の欲求を満たすためです。一見すると、服従している人だけが支配者に依存しているように見えますが、実は支配者もまた服従している人に依存しています。

なぜなら、自分の力で欲求を満たせるならば、わざわざ不確定要素の多い他者に頼るというリスクを取る必要がないからです。支配と服従が相補的(どちらかがなければ、どちらも成り立たない)だからこそ、支配者は服従する人に依存せざるおえないのです。

まとめ

コントロールには強いものと弱いものがあります。強いコントロールは強制(義務と禁止)、弱いコントロールは賞罰を与えることです。

服従が支配の手段になるのは、それが賞の一種だからです。服従している人が、逆にその相手を支配している状態を「共依存」と呼びます。

支配する人もされる人も、他者なしには欲求を満たせない状態、つまり他者に依存しているのです。

おわりに

依存そのものは悪いことではありません。しかし、依存対象をコントロールしようとするのは悪いことです。なぜなら、コントロールは他者の持つ自由(選択肢)を狭め、制限する行為だからです。

そもそも支配や服従は、協力の1形態にすぎません。ならば、支配や服従ではなく、一般的な意味の「協力」の方が望ましいのです。なぜなら、自由があり、より大きな信頼をやり取りできるからです。

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