子供部屋の手記3―僕、再生産なるか?

生まれ変わる子供部屋

ここ数ヶ月で僕の子供部屋は大きく変化した。
やりそうもないエロゲーや完全に使う機会もない持て余していたグッズの類を纏めてブックオフや駿河屋送りにして、逆にやりたいと思っていたのに出来なかったゲームのためにレトロハード(ドリキャス)を買った。
多分近いうちにPS2も買う気がする。

それに加えてL字配置していた机とプリンターの配置を変えて、単なる物置き場状態だった場所から、まともな書き物と調べ物ができる机に生まれ変わらせ、ついでに位置的にやや持て余してた古いCDラジカセをパソコンと繋ぎ、妙に音質の良いパソコン用スピーカーに再誕させた。
(イヤーマフを付けていると意味は無くなるが、さすがはラジカセだけあって音質はすこぶる良い)

そして前々からよくテレワークや発達障害向けアドバイスとして「オンオフ切り替えの仕組み」としてオフゾーンを作る事を書かれていた。
が、僕の子供部屋はライティング用のパソコン=自分の私用パソコンで、ゲームもパソコンのサブモニターと共用仕様。
しかも我がPCはライティングソフトだけでなくPCゲーやブラゲー、SNSにサブスクに動画サイトという「オフのツール」まみれで、更に僕の心配事検索癖も相まって「オンとオフのモザイク」になっていた訳だ。
一応オフゾーンとして死蔵されてた座椅子を読書用に添えてみたが、しっくり来ない。

ならばオンとオフを別けるツールと、立派なオフゾーンを用意すりゃいい。

ヨクアツ・リコイル

10月7日、僕は半ばヤケになってジモティーで格安の新しい年式の24型テレビを譲って貰う契約をした。
もう金がない時間がない、オンオフ切り替えられないと自分を呪っていた抑圧の反動だった。

翌8日には僕はレンタカー屋に出向いていた。
格安レンタカー屋は前日には予約が全滅していて、普通のレンタカー屋でなかなかの値段のプランを選ぶ羽目になったが、テレビの送料込みの値段に比べても誤差範囲だ。

数年ぶりにハンドルを握り、勝手の違うクルマを転がして、まず向かったのが北大近くのリサイクルショップ。
前からヤフオクで目をつけていた、カリモクの一人がけソファー(Kチェア)のある店だ。
中古で傷や擦れがある上に一万五千円を上回る高価なソファー。
躊躇う気持ちはあったし同じ店にあった安いポエング辺りでも買えばいいと言う気持ちすら直前まであった。それでも僕の反動は、覚悟していたのだからこれしか無いだろとKチェアを購入した。
(それにしてはクレカ10回分割払いという、恐ろしく意気地のない買い方をしてるのだが)

そのままにわか雨に降られながら僕の運転するレンタカーはモエレ沼の更に東、札幌の果てみたいなテレビの引き取り先に向かう。
久々の車の運転は緊張と高揚で満ちていて、忘れていた車の運転の楽しさと、道路には教習所で習わないし原付ではなかなか感じないトラップだらけな事を思い出させてくれた。
(キープレフト運転をしていたら高速に乗りかけてしまう等……)

札幌の果てみたいな場所ーー引越会社の倉庫で僕は多分単身赴任の誰かが引越の際に手放したテレビを破格値で引き取り、100均でメタルラックとポールとを買い込み、自宅に車を走らせ、Kチェアとテレビとメタルラックを部屋に運び込んだ。

母からは「なんでレンタカーなんか使うの、(叔母)ちゃんに頼めば良かったのに」と言われたが、叔母は普段から僕に良くしてくれているからこそ、札幌の果てまであちこち連れ回してハイヤー代わりに使うのが僕は嫌だったのだ。
ついでに「車を運転したかった」と言う僕の長年の反動の結果だ。

ついでに帰りにテレビ用のマルチタップ(長さが足りず結局パソコン用に流用したのだが)やwifi中継用ルーターも購入し、僕の反動は椅子代を除いても一万近い出費と土曜日一日を使い切って、「オフ空間」の創出という形で結実したのだった。
これで僕は休憩用のオフ空間を確保した訳だ。


リコイルの果てに生まれた僕のオフ空間

それでも治まらない焦りと恐怖とモザイク

「まあ、こんだけ好き勝手やったらさぞかし幸せなんでしょう」と言われそうだし、僕も幸せになれそうかなとも思った。

だけど僕の焦りとオンオフモザイクはまだまだ続いた。

原因は明白で、書き上げた応募作の推敲と駆け込みで始めた艦これイベント後段だ。
特に後者は前段でバケツの無駄遣いをしてしまったせいでバケツ貯めをしてる間に終了告知が舞い込み、急遽バケツ貯めを切り上げ低難易度駆け込み攻略を開始し、その並行で推敲したり、絵や他の応募作を書いていた訳だ。
そうなるともうオンオフなんて無い。就労支援と食事と風呂と以外は僕はパソコンに向かいっきりになり、ライティングソフトと艦これの専ブラに釘付けになっていて、夜1時くらいに電池が切れたみたいにベッドに突っ伏して眠るのだ。

そして推敲をすればするほど、僕はこの作品が落とされるのが怖くなってしまっていた。

もともと別の賞で三次落ちした作品をブラッシュアップした作品なのだが、一年はかけて書き直し、しかも最初の締切に間に合わなかった時には余りの自分の何も出来なさを呪って死すら考えた作品だ。
勿論誇りを抱いているこの作品が落とされたら、僕の一年は、そして遠回しに作家としての自分は再び否定されることとなる。
しかも三作打ち切りの時以上に、非情な形で。僕はもう怖くなっていた。

もう一つの応募作も水物の流行で書いた作品故に、序盤で止まっている現状や迫る締切に焦りを感じて仕方ないでいる。
半年後、この内容は通用するはずがないのだ。

そして、Twitterでは僕と似たような境遇のバイク乗りの方や、最前線で活躍していた絵師さんの自殺が話題になっていた。

僕の希死念慮は、かなり優生思想寄りだ。
『才能のある人間と、社会に組み込まれている人間は生きて然るべきで、何も出来ないし何も果たせない、税金ばかりかかる社会の迷惑でしかない欠陥人間は処分されるべき』
そんな考えで僕は夏以降も遅遅として変われない僕を否定していた。

もし僕の一年のリライトの結果が新人賞落選に終わり、もう一つの賞も締切を逃して水物の題材を腐らせれば、もう僕の大きな価値の一つは消え去る。

そしてそうなれば就職に何の目処もつかずただダラダラと就労支援に通うだけになっているような今の僕は、ほとほと処分されるべき欠陥人間でしかない。

小説新人賞は受かる方が稀だし、リライト前の時点で僕の作品は題材が少し周回遅れだ。
水物の題材の作品は締切一ヶ月半前でまだ序盤しか書けてない。
欠陥人間の烙印は簡単に押されるだろう。

僕が僕自身を処分したいと言う度に、母からは迷惑だからやめろとか、火葬費を出せとか言われるが、迷惑なのは社会で何の役にも立たない、唯一秀でた才能も界隈のボーダーラインを切っている欠陥人間が税金漬けで生きてる事の方だ。

それなのに才能ある人が自殺し、僕のような三作打ち切り・復帰も七割がた失敗しそうな作家もどきの欠陥人間が他人に甘えて生きてる事が僕には許せないし、死ぬべきは僕のような欠陥人間なのだ。

他人に甘えてばかりで、何の役にも立たないし才能もない欠陥人間の社会貢献として、そして何も満足に出来ない欠陥人間として生き続けることの苦痛から逃れるための自死を、せめて受け入れて欲しいと僕は思っている。

今の僕が望むのは理解あるパートナーよりも、僕を処分場に送ってくれるアルゲマイネSSだ。

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