私たちは誰に何を伝えられるのだろうか
「たった8ヶ月しかタンザニアにいれなかった私が、タンザニアについて話していいのかな?」
昨日の同期とのHarmoniā Caféで、タンザニア派遣の友達がこんな話しをしていた。
私たち2019年1次隊で派遣されていた同期たちは、コロナウイルスの感染拡大に伴い8ヶ月前後で日本に帰国した。
8ヶ月というと、これからの活動計画を立ててようやく活動自体が本格始動するという時期。
自分が派遣された国についても、活動について語れるにはまだまだこれから。
彼女の話を聴いて、私も含めてそう思っている同期は多いんじゃないかなと感じた。私自身も心のどこかで「ルワンダのこと自分が話していいのかな?」と思う場面が多々あって、悩んだ時もあった。
確かに、協力隊経験者や先に派遣されていた隊員、又は現地で活躍されている協力隊OBOGや日本人の方々と比べてしまえば圧倒的に経験値は低い。
それでもこの8ヶ月派遣国で過ごした日々の中で自分が見たこと感じたことは、他の人が同じように経験することができないことなんだと思う。
たとえば同じ任地(自分の配属された地域)に他の隊員がいたとしても活動先によっても違うし、全く同じではないはずだ。
2年間のうちのたった8ヶ月だったかもしれないけれど、そこで出会った人々、見た光景、活動した日々は事実であって、自分にしか知り得ないことではないだろうか。
もちろん、「ルワンダは〜」「ルワンダ人は〜」といった大きな主語に関しては初めてその国の話を聴く人にとっては、その国に対しての第一印象になってしまうから注意が必要だけど、“私が見た”、“私が知った”という自分の視点を加えるだけで、私というフィルターを通してのその国の話になる。
では、誰に伝えるの?
報告会や講演、イベントといった不特定多数ではなくって、自分の周りの人に自分の国について知ってもらうだけでも十分な社会貢献ではないだろうか。
誰が言っていたか忘れてしまったけれど、人が共感する一つの要因に“知っている人”からの影響があると聞いた。自分とのつながりが大きいほどより影響力があるのだ。
自分を知っている人たちに向けて、自分の肌で感じた派遣国についての話はきっと誰かの心に響く。知らない誰かの話を聞くよりも、”あなたの話だから”と聴こうとする姿勢が芽生える。
これは学校現場でも同じことが言えて、「〇〇先生だから授業が楽しい」とか「〇〇先生の授業だったからこの教科が好きになった」ということはよくある。先生というフィルターを通して、生徒の授業や教科への関心意欲が変化する。
こんな経験はないだろうか?
「あ、このコーヒーは〇〇さんが行ってる国が産地だ」
「〇〇さんの行ってる国がテレビでやってるよ!」
「〇〇さんの行っている国ってどんなところなんだろう?」
その国ではなくても“アフリカ”、“中東”、“アジア”といったように大きな括りで海外に興味を持ってもらえることもある。
自分とつながりがある人たちが、自分というフィルターを通して派遣国について知る。
たとえ小さなことであっても、自分が派遣国に行ったことで、知っている誰かに伝えれることがたくさんある。
「国際協力」とか「社会貢献」とかって言葉が先行しがちで何か大きなことをしないといけない気がしてしまうけれど、決してそんなことはないと私は思っている。
多くの人に影響を与えられることも大事かもしれないけれど、身近にいるつながりのある人たちに自分というフィルターを通して派遣国のことを知ってもらい、興味を持ってもらうことだけでも◎。
だから、“たった8ヶ月”だからとか、“全然活動もできなかった”からといって後ろ向きになったり、消極的になったりする必要はどこにもなくって、夢物語で終わらずに周りの人に伝えていくということも大切なんだと私は思う。
私自身もルワンダにいたことを夢物語で終わらせたくないし、ルワンダでのプラスのこともマイナスのことも全てひっくるめていろんな人に発信して、知ってもらいたい。
私が今できることは発信したいという想いのある人たちのお手伝いをすること。
“人と人とをつなぐ場を作りたい”
今自分がやってる「ハルカの知りたい世界」や「Harmoniā」も少しでも話す人たちや参加者が前向きになれる場にしていきたい。
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