家というもの、食卓を囲む幸せ。
帰る場所、安心、自分の生息地。
そんなところが脅かされたらどうしますか?
常に緊張していなければいけない。この人には弱いところを見せてはいけないんだと、いつからだろう、食卓がリビングが気を張る場になったのは。
私の家庭環境は、よくなかった。
小学生の高学年の頃、気がつけば両親の喧嘩が聞こえてきて、
悪いことをすると、責められ叩かれた。それが恐くて、ショックだった。
中学生になると、父が癇癪のようにひどい怒鳴る声と、母が泣いてた。
原因は、わからない。わかりたくない。
亭主関白、俺様、潔癖、嫉妬や他人を支配したい、元ヤンで戦争映画や小説が好きな野蛮な人間だ。
一番初めに覚えてることは、小学生の時に父がしてるパソコンゲームを後ろから覗いてた時のこと。
画面が変わって終わったのかな?と見てると
「えり、盗み見って言うんだよ」
確か、そう言うことを言われたと思う。突然言われて、とっても傷ついた記憶がある。
そして、私にとってたった一人の嫌いな人間。
掃除は1日1回。ハタキをかけて、掃除機だけではなく、水拭きもする。
父が仕事から家に帰ってきて、掃除してないと、たちまち不機嫌になり怒鳴る。
帰ってきてご飯ができてないと、怒る。
ご飯が弁当だと、怒る。
テレビの主導権は父。
お風呂を自分のタイミングで入れないと、怒る。
寝てる間にゴキブリが出てもうるさい邪魔するなと、怒鳴る。
自分の思い通りにいかないと、怒る。
極めて理不尽なことでも言い返すと、必ず言われるのが、
「誰のおかげで(お金で)飯食ってると思ってるんだ」
恐怖政治だった。
学生時代の私は、何もできなかった。
家から逃れるように、吹奏楽の部活が心の拠り所で、ただただ依存してた。
だから上手くなれなかった。
自由な発言ができる場でもなく、笑顔になれる場でもなく、感情を抑圧され奴隷のように、生活を握られて行動を強制される。
だんだん、自分を守るようになった。この人に心を、弱みを見せてはいけない。
感情表現が下手で、誰もが共通して思う正しいことを信じるような自分が自分じゃない人間になった。
愛情とか、あたたかい心とか、優しくすること、思いやり
なんて言葉を持ってなかった。
前置きが長くなってしまったけれど、そんな私が他人のお家にお泊まりした時に起こった話。
舞台公演が大阪であり、劇団の座長の実家(大阪)に数人とお泊まりした時のこと。
クリスマス公演だったので、前日のイブの夜。
ご家族と出演者と食卓を囲んで夕食。ケーキを食べて、クリスマスの歌番組を観てました。
公演の準備をしながら他愛のない話。
話さなくても心地よい空間。
飾らなくても、受け入れてもらえる自分。
何もなかった。
緊張も考え事も、いることを許されてる、何もない時間。
優しい世界。
流れるプールに身を任せて、息を止め水の音だけ、でも心地よく感じる。
きっと溺れたら助けてくれる、手を差し伸べてくれる。何があっても大丈夫。
(これが幸せっていうんだ…)
胸の中に太陽の光が差したように、温度が上がったのを覚えている。
今思い出すと、最高のプレゼントだ。
24歳にして初めて知った愛情だった。
心に太陽を持てるようになるのは、もう少し後の話。
いま、こうして記事にできるくらい、心が充足し感性が色づいたのはまた別の話。
だから、自分の心や感情を我慢せず嘘をつかず、個性を大切にすることの素晴らしさを伝えたい。その人の役に立ちたいと思って、これからリアルの場へ挑戦していく。
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