春は、まぼろし。
「妖精の踊りを見たことがあるでしょうか?西の山にはたくさんの妖精が住まうというものです」
アラサー女性に違いない、「西の少女」のツイートはとても良い。物語のような文体が、どこか違う世界に誘ってくれる。生暖かい風が吹く夜のベンチ。こんな季節には、浮世離れした文を吸いたくなるものだ。
少し遠くでブランコが揺れている。湯気の上がる飲み物を抱えて、気まづそうに、もしくは照れくさそうに目を合わせる男女。女の子の髪に白い花びらがついている。私は多幸感に包まれながら空を見上げる。朧月夜である。
突然、水がシンクに打ちつけられる音が鳴り響いた。目を開けると、給湯室。鏡に見慣れた白髪交じりの頭と薄い顔が映っている。先ほどまでの美しい世界は消えてしまった。
この季節になると、どこか遠くへ行ってしまいたくなる。気まぐれで頼りない自分。せめて可憐な中高生だったらよかったのだが、私は植松博司(54)である。
窓の外に噴水が見える。小さい鳥がとまっている。種類はわからない。
「植松さん、朝礼始まりますよ」
通りかかった若い社員に声をかけられた。
「そうだな。ありがとう」
そう言い、給湯室を出る。
さぁて、田舎にでも行くか。こんな季節なのだ。グレーのスーツを着た熟年男性はビルの外に出る。焦った様子でかけこんできた青年とすれ違った。青年の髪には花びらがついていて、植松はまた安らかな気持ちになった。
妖精の踊りを見に行かなくてはならない。きっと今しか見れないものだ。世界のどこかにあるはずだ。植松は多くのサラリーマンが行きかう街を、上機嫌に歩いていく。右を過ぎていった喫茶店では、苺メニューの看板が輝いている。もうすぐ駅だ。駅に着いたら切符を買おうと思う。ICカードを持っているから意味はない。意味なんていらないのだ。
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