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アチョンドの山奥から久しぶりの大都会に出る~ビルバオ・グッゲンハイム美術館へ

スペイン5日目の朝。滞在して初めて、アンボット山が霧に覆われて見えない。ちょっと寂しい。

今日はバスク最終日。最終日にして、初めて何も予定がない日でもある。今までの旅日記では書いていないが、この日は2月19日の日曜である。日本との時差は8時間。朝8時の時点で、日本は夕方の16時。あと8時間もしたら月曜になる。

これが何を意味するのか。そう、金曜の夜とかに「週明けでお願いします!」といわれた月曜朝の締め切りが、すぐそこまで来ているということである(日本時間の)。

前日は、まるまる取材とシードル醸造所視察(というなの飲酒)で作業はできていない。朝早く目覚めたのは、ちょこちょこ進めていたとはいえ、日本の仕事を消化せねばならなかったからだ。

朝からこちょこちょ進めながら、前日の夜に「ビルバオに行こう!」という話にもなっていたので、出発前になるべく進めておきたい。血走る目をしながら作業を進め、昼前に出発するころには、「納められそう」というくらいまで終えて、宿を出ることができた。

5日ぶりの都会へ、バスク最大の都市ビルバオ

ビルバオへは、バスと電車を乗り継いで2時間ほどの小旅行。まずは、近くのバス停に向かう。

バスが止まる場所を示す標識

じつは、日々の散歩や移動で、バス停をいくつか見てはいたが、どこも時刻表がないのを不思議に思っていた。気になって哲郎さんや哲郎さんの奥さんの奈緒美さんに聞いてみると、バスの時刻は出発バス停の時間しか決まってないという。

乗りたいバス停にいつ来るかはわからないので、出発時刻を逆算して余裕をもってバス停で待つというのがスペインのスタイルだそうだ。

これは斬新、さすがスペイン、ヨーロッパ!」という感想が頭をよぎるが、いやいや思ってみたら日本のバスだって、バス停にある時刻表はあってないようなもので、都内のバスはだいたい遅れてやってくる。そのうえ、どうせ遅れるだろうと思って、ギリギリなのにのんびりしていたら、すーぅっと横をバスが通り過ぎていくなんてことがあるから、同じようなものと考えることもできる。むしろ、時間通りにこない前提の方が、余裕をもってバス停につく習慣ができて、いいのかもしれない。

10時50分、アチョンドの山のなかから、街へ向かうバスに乗る。20分ほど揺られ(意外と乗り心地はいい)「Trañabarren」で降りる。そこから5分ほど歩いて、ビルバオに向かう列車に乗るため「Traña」という駅を目指す。

日曜日ということもあり、乗っている人は少ない。
2両編成でかなり大きい。
街中のバス停。
バス停から駅までの道
駅。基本的に無人。

30分ほどホームで待った後、到着した列車に乗り込む。ここからビルバオまでは1時間ほど。まとまった乗車時間を利用して、仕事の続きをしながら列車旅を過ごす。

ビルバオに着いたのは、12時30分頃。「Matiko L3」という駅で降りた。しかし、電車・バスの時刻表から駅・バス停の位置、さらには最短のルート検索まで、Google mapがすべてやってくれる。4年前で海外旅行経験が止まっている自分にとって、性能の向上にとても驚かされる。ツーリストにとってすごい味方だ。

羽田を出てから、久しぶり(6日ぶり?)の都会。建物が高いし、人も多い、道も入り組んでいる。この旅で初めてのヨーロッパの都会なので、スリに遭わないように気を引き締めて歩く。

ビルバオでは、グッケンハイム美術館に行くことになっていた。山の斜面にあった駅から、街の中を降りていくとビルバオの街を流れるネルビオン川にでる。

ビルバオの街。
ネルビオン川

川岸には緑が植えられ、デザイン性の高い橋や遊具、アート作品も展示され街中を歩いているだけで楽しい。ビルバオ自体がアートの街といえる。山の中の生活が続いたので久々の都会に懐かしさを感じた。

グッゲンハイム美術館と聞くと、ニューヨーク・マンハッタンにある近・現代美術館が有名で、ビルバオにあることは知らなかった。調べてみると、グッゲンハイム美術館は、ニューヨークとビルバオのほか、ヴェネツィアにもあるようだ。

アメリカの鉱山王・ソロモン・R・グッゲンハイムのコレクションを展示するために開かれたのがニューヨークのグッゲンハイム美術館で、ビルバオは、その分館にあたる。ちなみにヴェネツィアの方は、ソロモン・R・グッゲンハイムの姪にあたるペギー・グッゲンハイムのコレクションを収容する美術館だそうだ。

館内では、草間彌生氏のインスタレーション作品の展示が行われて、長蛇の列ができていた。

さまざまな展示作品を観たなかで印象に残っているものをいくつか。

Alex Katz《Smiles》
1993–94, Oil on linen, 243,8 x 182,9 cm

こちらに向けてまっすぐな笑顔で目線を向ける女性たちの肖像画。1枚1枚を見ると、非常にポジティブに感じる肖像画が、高さ2mを越す絵画シリーズ9枚が展示室の一面に並ぶと、とたんにぞわぞわと異様な空気感を感じた。

支持体がリネンの布というのもおもしろい。

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Julian Schnabel《Spain》
1986, Oil, plates, and Bondo on wood, 333 x 580 x 23 cm

今回は器の旅でもあったので、お皿が素材として使われている作品は興味深く感じた。

絵画自体は、スペインの闘牛をテーマにしており、何者かの頭部が闘牛場のなかに置かれている。

なぜ皿を素材にした絵画が「スペイン」というタイトルなのか。

作者のシュナーベルは、1978 年にバルセロナを訪れた際にカタロニアの建築家アントニオ ガウディのモザイクに出会い、そこからプレートを使った絵画の着想を得たという。解説によると、パブロ・ピカソの作品を思い出す人もいるというが、作家自身は、エル・グレコやメキシコの文化的工芸品など、さまざまな情報源から描いているという。

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Miquel Barceló《Cabrit i cabrida》
Mixed media on canvas, 297 x 250.5 x 6 cm

オスとメスの山羊」(英語でMale and Famale Goats)というタイトルの絵だが、シャイム・スーティンの肉屋の肉シリーズ(下の絵)や、伝統的な静物画の構図などの西洋絵画の文脈から、この絵は死体の山羊を描いていることが伝わってくる。

Mixed media」とだけしか書いていないのでわからないが、実際の毛のようなものを素材として使っているのも印象的だった。

Goatsの文字をみると、「Goats Head Soup」(山羊の頭のスープ)というThe Rolling Stonesの不気味なジャケットのアルバムを思い浮かべることもあって、一層この絵が不穏に見えた。

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Julian Schnabel《Fakires》
1993, Oil, resin, and cardboard on cotton drop cloth,
305.6 x 244.5 x 7 cm

皿を素材に選んだシュナーベルの別の作品。今度は段ボールを素材に使っている。

Fakires=貧しい」という文字が強烈。文字がもつ情報量の多さというか、意味を決定づける(定量化させる)エネルギーを強く感じた。

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Anselm Kiefer《Das Sonnenschiff》
1984–95, Sunflowers, lead, ash, asparagus, and emulsion on canvas, 330 x 570 x 73 cm

英語タイトルは「Sun-Ship」なので、太陽の船とでも訳そうか。紙飛行機のようにもみえる鉛の物体が宇宙船なのだろう。背景には、畑が描かれていると解説にある。

船にはヒマワリのドライフラワーが添えられている。さらに、素材の一つにアスパラガスが使われている。

太陽と土と、農業。ドイツ人アーティストのキーファーは、第二次世界大戦後、ナチス政権が終わったドイツを農村風景に求めたとみることもできるようだ。

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Christian Boltanski《Humans》
1994, Photographs and lights, Overall dimensions variable

小さな部屋のなかに、無数の写真がびっしりと飾ってある。その数は1,100 枚以上になるという。

写真1枚1枚を見ていると、モノクロ写真であることや、写真の不鮮明さから50年から60年ほど前の写真ではないかと推察することができる。印刷物であることの証である網点が出ていたり、記事の一部や見えていたりするので、オリジナルの写真ではなく、なんらかの資料物を撮影したものであることもわかる。あとから読んだ解説によると学校の卒業アルバムや、新聞の写真、警察の登録簿などを接写しているという。

年齢は老若男女さまざまである。どのような選定理由でこの部屋に置かれたのかどうか、そういった類の解説はない。しかし、おそらく多くの人はこの世にはいない、生前のポートレイトなのだと感じたのは、何の脈絡がない人々が集まっていることの不自然さにある。

つまり突発的な事故であったり、天災に遭った人々、もしくは戦争の犠牲者というような不穏な条件を想起させられるのだ。

日本でも戦争の遺構を残す場所などに行くと戦没者の名前がずらりと書かれているような場所がある。単なる文字であり、自分とは関係のない人の名前であるとわかりながらも、その文字の向こうに人生があることを感じた瞬間に、とたんにその文字は一人の人間の生涯を帯びたようなエネルギーを感じて圧倒されてしまうことがある。

このポートレイトの部屋も、そのようなエネルギーを強く感じた。

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帰りは、美術館前からトラムにのってSan Mamésという場所まで行き、そこから高速バスに乗って帰ることにした。googleMapが案内していくれたルートだったが、ここでハプニング。ルート案内のバスが10分たっても20分経ってもやってこないのだ。

バス停を間違えたのか、今日は臨時休業なのか、理由はさっぱりわからない。困り果てて、奈緒美さんに連絡をして、San Mamésの地下ターミナルからアチョンド方面行きの高速バスが出てるのでそれにのって、高速道路下まで迎えに来てくれることになった。海外でのバスは、なかなかスムーズにはいかない。日本でも高速バスに乗るのは、ちょっとドキドキするくらいだから、当たり前といえば当たり前か。

バスク最終日は、tixspaの厨房で最後のディナー。元薪鳥新神戸のはまちゃんが焼き鳥を焼いてれた。「バスクに来たのに焼き鳥でいいんですか?」と哲郎さんは心配してくれたが、どこかに食べにいくよりも、最後の時間をのんびり他愛もなく過ごしたいというのが、3人の希望だった。焼き鳥こそ最高の晩餐なのである。

さやさんがデザートまで用意してくれた。

哲郎さんはもちろん、Txsipaのスタッフ3人に、奈緒美さんと小春ちゃんの前田ファミリーも来てくれて賑やかにすごす。料理の話とか、新店舗の話とかしながら5日の振り返る。

翌日、朝4時に起きるためにも飲みすぎないようにと自制心と、もう少し飲みたいという悪魔のささやきの板挟みにあいながらも、楽しい時間を最後に過ごすことができた。

(2023年2月19日)

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