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Food|皿の上から空間の価値へ。食はインスタレーションアートになっていく

先日、声で食を見るメディア「Foodpad」のLIVEのトライアル配信ということで、澱と葉の川口潤也さんがstand.fmで話をさせていました。企画をされている麻生桜子さんから聴取のお誘いいただいていたので、聞いていたらアフタートークにお招きいただくことになり、滋賀の麻生さん、青森の川口さん、東京の僕と、場所を超えて話をさせてもらいました(話題のClubhouseネタではないです笑)。

(現在は、リンク切れになっています)

以前から川口さんのnoteをフォローさせていただいていたり、川口さんも僕のことを知ってくださったこともあって、初めましてなのですが、まったく知らないわけでもなく、不思議な感じで話が始まりました。

そのなかで、興味深かったのが「料理はアートなのか」という問いでした。

文化はテクノロジーの発展でブレイクスルーする

料理はアートなのか」という問いについては、これまでもnoteで何度か書いていて、一応、僕の考え方でいえば、「一部を除き」料理はアートではないと思っています。

一方で、「絵画のような料理」という表現については、間違いではないと思っています。そのあたりをちょっと整理してみますね。

絵画と料理は、ある支持体の上に材料がくっついているという点で構造がよく似ています。

料理と絵画

西洋絵画における支持体と材料を歴史を見てみると。

中世 壁画(フレスコ画)
支持体 漆喰の壁 材料 顔料(鉱石などを砕いたもの)を水で溶いたも

中世 壁画(テンペラ画)
支持体 漆喰の壁 材料 テンペラ絵の具(顔料を卵などの固着剤で溶いたもの)

中世~近世(ルネサンス期)
 板絵(テンペラ画)
支持体 板 材料 テンペラ絵の具

近世(ルネサンス期)
 板絵(油彩画)
支持体 板 材料 油絵の具

近世(ルネサンス期以降)
 カンヴァス(油彩画)
支持体 カンヴァス 材料 油絵の具

近代(印象画) チューブ絵の具
支持体 紙や荒い布、段ボール 材料 チューブ絵の具

近代(ポスト印象画)
 支持体・材料からの解放
支持体 紙や荒い布、段ボール 材料 ペンや石、チューブ絵の具

西洋絵画では、支持体は壁から板、カンヴァスとどんどん小さくなっていきながら、それにともない素材は扱いやすく支持体に結着しやすいように変わっていっています。

なかでも西洋絵画の歴史で特出すべき変革点は、近代になってチューブ絵の具の発明です。

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ルネサンス以降300年の間主流だった油絵の具は、チューブ絵の具が発明されるまで、画家が自ら鉱石などを砕いて油で溶いて作っていました。持ち運びが難しかったこともあり、制作はアトリエ内に限定されていました。そのため、写生をしたような風景画も、外でのスケッチをもとにアトリエに戻って描いています。

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しかし、19世紀中ごろにチューブ絵の具が発明されると、外での写生がついに可能になります。印象派がそれまでの絵画よりも断然明るく、光が動くような風景を描けたのは、もちろん画家たちの革新性もありますが、チューブ絵の具というテクノロジーの進歩が下支えになっているのです。

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その後、それまで文字通り「絵の具を支える」役目を果たしていた支持体は、その役目を超えて段ボール(ロートレック)や目の粗い布(ゴッホ)などを用いることで、材料である絵の具に風味を与える材料としての役割もになうようにもなります。

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(ゴッホは、ジュートという粗い布を使ってその効果を試しています)

また素材に絵の具以外のもの、たとえば宝石(クリムト)が使われるようになるのは、それまで現実世界を正確に写すことを目的としていた、つまり絵ではないことを目指していたものが、絵画であること自体を表現しようとする方向に変わっていったことに呼応しています(ちょっと難しいですね)。

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(クリムトの絵、怪物の目は、宝石が埋め込まれています)

この西洋絵画の流れを料理に当てはめてみると、意外と宮廷料理から現代料理へむかうフランス料理の歴史に符合していることがわかります。

もともと貴族に使える宮廷料理人たちが、フランス革命によって王政が崩壊し、働き場所を失い市井に入ったときにレストランは生まれたとされています。

そもそもフランスの宮廷料理では、大人数分を盛った大皿が食卓にいくつも並べられ、それを各自が取り分けて食していました(フランス式サービス)。その後、現在も見られる古典的なフランス料理店のように一人一皿に盛られ、大皿の場合はサービスマンが人数分取り分けるロシア式サービスが19世紀後半に導入されました。

現在のように一人ひとりお皿に盛られるようになったのは、おまかせコース(デギュスタシオン)が主流になったここ数十年のことです。

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そう考えると、支持体、つまり盛り付けるお皿の大きさがどんどんと小さくなっているのがわかります。

材料についても考えてみると、お皿に盛り付けやすさや、料理の形を保持するためにさまざまな工夫がされてきたことは、フレスコからテンペラ、油彩へ向かう流れと似ているようです。

西洋料理の歴史のなkで、チューブ絵の具の発明に匹敵する変革を上げるとすれば、それは流通の進歩です。それまでその土地周辺の食材しか使えなかった料理人たちのもとに、車や鉄道の発明で遠方の貴重な食材を手に入れることができるようになったのです。

テクノロジーの進歩による革命が、料理の中にも起きていたといえます。

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この辺りは1933年にミシュランガイドが三段階の星評価を始めたころに符合していると思います。

その後料理は、近代から現代にむかうなかで絵画の絵画の役目を放棄したように、料理の役目を放棄して、食材以外の材料をお皿にのせていくようになったか、という点については、まだそのような変革は起きていないように思います。

ただ、もしその萌芽があるとすればコペンハーゲンの「noma」がアリを食材に使ったり、日本のフランス料理店「ヌキテパ」が土をスープにしたりということがあげられるかもしれません。

料理そのものを作るシェフは少なくなる

「絵画のような料理」であるとすれば、西洋絵画が近代から現代へ、どのように向かっていったのかを考えることは、構造がよく似た料理の未来を考える上でひとつの指標になっていくと僕は考えています。

中世から近代にかけて、造形芸術において花形の地位をしめていた絵画は、現代芸術において花形といえない存在になっていきます。もちろんピカソやジャクソン・ポロック、アンディ・ウォーホル、バスキアやバンクシーなど、平面芸術を通じて表現をしてきたアーティストは現代アートでもたくさんいます。

しかし、彼らにとって平面造形は、あくまで表現の一部です。絵画だけでなく、造形芸術を設置する空間自体を作品とするインスタレーション・アートが1970年代後半頃から主流になっています。

シルクスクリーンを使った平面芸術で知られるアンディ・ウォーホルは、それまでの画廊を「ファクトリー」と呼ぶ展示空間として位置づけたり、バンクシーは、ストリートという公共の場所でイリーガル(違法)に展示することで独自の展示空間を作っています。

2019年に六本木の森美術館で開かれた「塩田千春展:魂がふるえる」(下)などもインスタレーション・アートといえます。

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日本庭園をインスタレーション・アートと考えることもできるので、それ自体はものすごく新しい展示方法というわけではありません。しかし、ここで注目したいのは、造形芸術そのものではなく、造形物と空間の関係性を表現する方向にアーティストの興味が移行しているということです。

そのことを料理に置き換えて考えてみると、料理そのものではなく、その料理が提供される空間、つまりレストランそのものを表現する方向にシェフの興味が移行することだと思います。

つまり、料理はその単体だけの価値ではなく、その料理と関係するレストラン空間との関わり方が重要になっていく。インスタレーション・アート化していくということです。

では、レストラン空間とは何なのか。従来ではサービスであったり、店内の調度品やカトラリー、花や照明といったものでレストランの世界観を表現してきましたが、今後は、インスタレーション・アートが野外で展示されるようになったり、さらには音楽や映像にも影響を受けたり、ヴァーチャル空間との融合したりといった、さまざまな模索がなされています。

さらには人工知能やバイオテクノロジーといった次世代テクノロジーにも接近し「ニューメディア・インスタレーション」と呼ばれるものも生まれているようです。そういったアートの向かう道をなぞるようにレストラン空間も作られていくのではないか。

これからの料理界はどうなっていくのか?」という議論について、コロナ禍では特に結論が見出しにくいですが、絵画がインスタレーション・アートに取り込まれていった歴史を見ながら、料理をそこに当てはめてみると、ある程度の補助線が引けるのではないかと思っています。

その補助線を使いながら予測できることと言えば「料理そのものを作るシェフは少なくなっていく」ということ。

もちろん、造形物を作れないアーティストがいないように、料理が作れななければシェフになれないとは思います。

しかし、「塩田千春展:魂がふるえる」の赤い部屋(トップ画)のように、赤い紐自体が高級であったり、すばらしい技術が人の心を打つのではなく、あの赤い部屋に入ること自体が圧倒的な表現になっていることを考えると、食材の良し悪しや、料理の技術や精巧さ、美しさによる価値よりも、どれだけメッセージ性のあるインスタレーション・アート(料理を含むレストラン空間)を作ることができるかという方向に向かっていくのではないかと思っています。

そう考えると、食のインスタレーション化の最初の現象は、「皿という支持体がなくなっていく」ということになるはずです。

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(ソウダルアさんの皿のない料理)

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明日は「note」。今週読んだnoteを紹介します。

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