見出し画像

Art|ゴッホ《ひまわり》 創られた狂気の画家

日頃、食の話題をnoteに書くことが多いのですが、本業の雑誌・書籍編集者としては、アートの本も作っています。そこで、毎週火曜は、Artをテーマにしています。

今井真実さんから、Art記事を楽しみにしていることのことですので、江六前といえばアートだよねって言われるまで投稿を続けてみたいですね。

「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」のスター作品

今井さんから、ぜひ3月3日から国立西洋美術館で始まる「ロンドン・ナショナル・ギュラリー展」の出展作品の中から、注目の作品を紹介しようかと思います。

今回のロンドン・ナショナル・ギャラリー展は、出展61作品がすべて初来日という貴重な展覧会です。そもそもロンドン・ナショナル・ギャラリーの作品がまとまって国外で展示されること自体が異例なので、世界が羨む展覧会といえます。

その61作品のなかでももっとも見るべき作品は、間違いなくフィンセント・ファン=ゴッホの《ひまわり》です。

画像1

フィンセント・ファン=ゴッホ《ひまわり》
ロンドン・ナショナル・ギャラリー 1888年

あれ、ゴッホの《ひまわり》って日本にあるんじゃなかったけ? と思ったあなたは、なかなかの美術通です。

確かに今回来日する《ひまわり》とほぼ同じ構図とサイズの作品が、東京・新宿の東郷青児記念 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館にあります。

画像3

フィンセント・ファン=ゴッホ《ひまわり》
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
1888年

さらに、アムステルダムのゴッホ美術館でも見たぞ!なんて人はいよいよ美術好きな方ですね。

画像3

フィンセント・ファン=ゴッホ《ひまわり》
ゴッホ美術館(アムステルダム)
1888年

そうです。このゴッホを代表する作品「ひまわり」は、ほぼ同じ構図、同じサイズの絵が3点存在するのです。

花瓶に活けた「ひまわり」は全部で7点

いやいや、ゴッホの花瓶にいけたひまわりは、もっとあるよ」ってツッコミ出来る方は、もうすごい美術通。ゴッホは花瓶に活けたひまわりを7点描いています。さらに、ひまわりの花びらだけや、風景のなかに描いたひまわりを合わせると、生涯で十数点を描いており、「ひまわりの画家」と呼ばれています。

画像4

(左から)
3本 1888年8月 個人蔵(アメリカ)
5本 1888年8月 焼失(山本顧彌太旧蔵) 通称:芦屋のひまわり
12本 1888年8月 ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)
15本 1888年8月 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
15本 1888年12月 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館(東京)
15本 1889年1月 ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)
 
12本 1889年1月 フィラデルフィア美術館(フィラデルフィア) 

この7点は、南フランスの古都アルルで芸術家村を作ろうと計画していたゴッホが、憧れの画家ゴーギャンを招く部屋を飾るために制作されたものです。なかでもロンドン、東京、アムステルダムの3点は、黄色い背景に描かれています。制作時期は、ロンドン版が最初で、それを模写したものが東京版とアムステル版です。

そもそも、ゴッホが「ひまわり」シリーズを制作したきっかけは、憧れの画家ゴーギャンのため。アルルの前に活動していたパリで描いたひまわりの絵をゴーギャンが気に入ってくれたことがうれしくて、アルルにやってくるゴーギャンの迎え花して制作したのです。

そのため、ひまわりとゴーギャン、ゴッホの物語は、その後に起こるゴッホの耳切事件とともにいたるところで語り継がれ、狂気じみたゴッホを象徴するエピソードとしてよく知られています。

画像6

フィンセント・ファン=ゴッホ《星月夜
1889年 ニューヨーク近代美術館

耳切り事件自体は、事実ですし、そこまでゴッホが錯乱した状態であり、以降は精神的な不調をきたしたことも、診断結果と含め資料が明かにしています。それは37歳で自殺とも事故ともとれる死を迎えたことに、なんらかの影響も与えていたと思います。

しかしそれだけで、ゴッホの37年の人生全てを、通り一遍に「カンヴァスにその狂おしい苦悩を塗り込めた魂の画家」として、上の《星月夜》のような絵を例にして解説するのは、ちょっと違うのではないかなと思っています。

西洋絵画を日本人が受容する上で、ゴッホの劇的な人生は、物語として伝えやすかったこともあったのでしょう。ゴッホは、昭和から平成にかけて脚色され続けて、もはや虚像になってしまったように思います。しかし、日本人の西洋美術への造詣が成熟してきたいま、虚像ではない「本当のゴッホ」を、自分たちの目で見極める段階にきたのではないでしょうか。

ゴッホは、論理的で実験思考の画家だった?

ゴッホは「感情のおもむくままに描いた画家」では決してありませ。近代絵画(当時にしたら前衛美術)の先を冷静にとらえ、実験的思考をもとに作品を制作した知的な画家でした。「ロンドン・ナショナル・ギュラリー展」で来日する《ひまわり》、さらには、東京版、アムステルダム版の3枚の「黄色い背景のひまわり」からそれを読み取ることができます。

黄色い背景のひまわり」の実験性については、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館の学芸員、小林晶子先生が拙編集の『ゴッホへの招待』(小林晶子監修)と、2003年の展覧会図録『ゴッホと花』(千足伸行監修)で詳しく語ってくださっています。

それによると、黄色い背景のひまわりは、それ以前に描かれた「青い背景のひまわり」への挑戦だったといいます。

色彩検定など色に興味を持っている人なら「補色」という色の組み合わせ効果をご存知かと思います。下の12色位相という図のなかで、対向する色、たとえば赤と緑、黄色と青のような組み合わせは、お互いの色を引き立てあう色の関係にあります(補色の関係)。これらは、18世紀後半にはすでに学術的に理論化されていました。もちろん、理論化される以前でも芸術家の間では、経験則として知っていたことでしょう。

画像5

ゴッホ自身も、ロンドン版を描く前に、補色の関係を使って、鮮やかに黄色が飛び込むようなひまわりを描いています。その上で、次に補色の効果をつかわず、黄色の上に黄色を重ねた一つの色でひまわりを描いたのです。

ぼくはすでに、黄色をたくさん使ったひまわりの絵を仕上げた。黄色い壺にいけた14輪の花で、黄色の背景に描かれている。これは前に描いた青緑の背景の、12輪の花とはまったく別のものだ。
ゴッホの手紙 ウィレミーン宛(1888年8月27日頃)

ゴッホは、14輪と手紙に書いているが、実際に描かれているひまわりの本数は15輪。14という数字に意味がありそうだが、理由は定かになっていません。

この手紙で重要なのは、手紙に書き留めるほど意図的に黄色い背景にひまわりを描いていた。ゴッホにとっての挑戦だったということです。

ではなぜ、それまでの絵画のセオリーを無視して、ゴッホは、黄色の背景にひまわりを描いたのでしょうか。

絵の表面、テクスチャーに意識を向けたゴッホ

それを理解するためには、まず西洋絵画の前提条件を知ることが必要です。

西洋絵画は、18世紀中頃に写真が社会実装されるまで、唯一の現実世界ほ保存する記録メディアでした。そのため、額縁の中に本物の世界が広がるような、3次元世界を再現することが求められました。

ですので、絵の表面に筆跡が残ったり、塗り残しがあるなんてもってのほか。そういった作品はすべて「未完成」とされてきました。しかし、写真が登場すると、絵画がもっていた使命が失われ、絵そのものの存在意義が問われるようになります。

18世紀後半の画家は、表現の方法は違えど、二次元のカンヴァスに絵の具を置く絵画で何を表現するのか、を問い続けます。

黄色い背景のひまわりを見ると、絵の表面はボコボコと盛り上がり、筆跡によって、まるでひまわりを画面に押し花のように押し付けたような表現画目立ちます。

ゴッホは、前衛芸術を推し進める一つの解答として、筆遣いや絵の具のあえて強調して物理的に画面に立体感を出したり、色の組み合わせではなく色の明暗によって世界を描き出そうとしたのです。

3次元、つまり額縁のなかに奥行きを表現することを目指していたそれまでの絵画の常識を捨て、絵の表面に着目し、むしろ奥ではなく手前に絵の可能性を求めたところに、前衛画家ゴッホの論理的思考の深さ、そして考えるだけでなく、それを現実できるだけの力量があったことがわかります。

黄色い背景のひまわりの最初の作品であるロンドン版の《ひまわり》は、絵画史が近代から現代に入れ替わった瞬間、そのものが描かれているといえるのではないでしょうか。

日本に黄色い背景のひまりが2枚そろう奇跡

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が始まる3月3日からは、上野と新宿に2枚の「黄色い背景のひまわり」が接近します。2つの美術館を訪れて、ぜひその2枚のひまわりを見比べてもらいたいです。じつは、この3枚の黄色い背景のひまわりにも、ゴッホの創意工夫のあとが見えるからです。

オリジナルと呼べるロンドン版の《ひまわり》に対し、東京版は、全体的に厚塗りで背景はややくらい黄色です。東京版の後に描かれたアムステル版の《ひまわり》は、ひまわりの花の中央部分(種ができるところ)は、絵の具を毛羽立たせて立体的にして、ひまわりそのものの物質感を表現していて、背景も3枚のうちで一番明るくなっています。

このことから小林先生は、東京版、アムステルダム版ともに、ロンドン版の単なる複製ではなく、それぞれが実験的性質をもつ1つの作品と見ることができるといいます。

こうした、新しいゴッホ像は、これまでの劇的な神話ともいえるような物語を理解しつつも、その神話の妥当性を、あらゆる資料で検証し、さらに、作品については、あくまで画面の表現とゴッホ自身の手紙という事実をもとに読み解いていく。絵画史の世界では、そういった研究の方向性が見られるようになってきました。画面をx線などを使って、塗りつぶした絵までみることができたりします。

古い絵だから、新しい発見はないでしょう?」なんてことはありません。実証的な研究が進むことで、過去の神話が否定されることもあります。

絵画鑑賞で大事なのは、さまざまな解説を読んだ上で、絵の前に立ち、「その説って本当なのか?」と、絵の前で確認することです。きっと、納得できないこともあるし、別のことに気がつくこともあると思います。その自分のなかから湧き起こる発見が、何より大事です。

ぜひ、2枚の「黄色い背景のひまわり」が日本で観られる今春、「狂気の画家ゴッホ」という思い込みが本当なのかを、ご自身の目で確かめてみてはいかがでしょうか。

それと、最後にもう一つ。7点の「花瓶に活けたひまわり」が全て揃ってみることができる夢のような場所が日本にあります。

徳島県鳴門市にある大塚国際美術館です。7点の「ひまわり」を陶板によって、実物の大きさや画面表現の立体感も再現しています。第二次世界大戦の空襲で焼失した「芦屋のひまわり」も陶板名画で復活しています。

ゴッホの思考と表現の変遷に興味を持たれた方は、ぜひ大塚国際美術館に行って0みてください!


料理人付き編集者の活動などにご賛同いただけたら、サポートいただけるとうれしいです!