Art+Food|クリムト《ベートーヴェン・フリーズ》 絵画はいつ絵画になるのか?
19世紀末~20世紀のウィーンの画家、グスタフ・クリムトの代表作に《ベートーヴェン・フリーズ》という作品があります。
1902年にウィーンで開催された「分離派展」と呼ばれる前衛芸術展覧会のために制作されたもので、コの字の部屋の三面に配された作品です。
それぞれの面には1つひとつテーマがあり、全部を合わせると、人間の戦いと勝利が描かれています。
《幸福への願い》
《敵対する力》
《歓喜》
作品の意味などについては、いろいろなとことで紹介されているので、いまさら僕が書く必要もないんじゃないかなぁ笑。
しかし、1つだけ強く言いたいことがあります。
じつは、この絵には、女性の装飾品に実際の貝殻やガラス、貴石が使われています。
「だから何?」と思われるかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。
たとえば、フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》の耳飾りには、本物の耳飾りを着けていません。なぜなら、画家の腕の見せ所は、光り輝く美しい宝石を絵の中に再現することですから、そこに実際のものを嵌め込むなど、本末転倒。画家の技術の放棄といってもいいほどです。
クリムトは、工芸品の影響を受け、絵画に装飾性を取り入れることで、「実際の世界の再現」という絵画の限界を突き破って、工芸品のように飾り付けながら「絵画とは、平面芸術である」という根本の課題に挑んでいます。
そもそも絵画とは、「布の絵に油絵の具をのせたもの」です。
しかし、私たちは美術展に行くときに「布の絵に油絵の具をのせたもの」を見に行こう、なんていいませんよね。
クリムトの絵も、貝殻やガラス、貴石が使われていますが、なんなら二次元の芸術である絵画という思い込みから、それは実際の装飾品のように見えます。
それでは、いったい布の上の絵の具はいつから風景になり、いつから人物になるのでしょうか。
絵画とは、ひじょうに高度に私たちをだましている。そんな気がしてなりません。
食材はいつから料理になるのか?
料理のなかでも同じような疑問が沸き起こります。
布や絵の具にあたる食材がいつから料理になるのか、という問題です。
絵の具が絵の具でなくなったときに絵画になるように、食材が食材になったときに料理になるのでしょうか。
料理は、どうやらそうではないようです。食材の方に、多くのひとは価値を見出しています。
それは、工芸品のように、ダイアモンドのカラットや、土の魅力が引き出された陶磁器など、素材が見えるものの方が価値があります。
そういった意味で言えば、料理は、絵画よりも工芸品に近いかもしれません。
実際、世界でもっとも稼いでいる現代アーティスト、ダミアン・ハーストの代表作「For The Love Of God(神の愛のために)」は、約2kgのプラチナを使用して制作した18世紀の頭がい骨の鋳型を8601個のダイヤモンドで覆った作品などは、牛肉の上にウニをのせたような作品にも見えます。
アートのような料理とはいったい何なのでしょうか。この問いに、ひとつの道筋をつけるようなことを一生かけてできたらと僕は思っています。
ーーーーー
明日は、「Food」です。石川、新潟と旅をしてきたので、その記録を数日にわたって記録しておこうと思います。
料理人付き編集者の活動などにご賛同いただけたら、サポートいただけるとうれしいです!