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Art|葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》「赤富士」は誰のもの?

東京都美術館で開催されていた「The UKIYO-E 2020 ― 日本三大浮世絵コレクション」の会期が本日終了になりました。

行きたいなぁと思っていたら、日時指定の入場券がすべて完売になっていて、行くことができませんでした。これからも日時指定の入場制限が続くでしょうから、行こうと思ったときにいかないと、毎度毎度見に行くのを逃すことになる危険性があります。気を付けなければいけません。

勝手に書き換えられた赤富士

浮世絵といえば、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」シリーズは有名ですよね。なかでもまるで生きているかのように波が立ち上がる《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》はよく知られています。ビデオの一時停止がない時代に、波の姿をあそこまでデフォルメしながらも説得力を持たせて表現するあたり、北斎おそるべし、と言わざるを得ません。

冨嶽三十六景」シリーズは、関東のさまざまな場所から見た富士山の姿を描いた版画集で、全46図。1831~34年に版行されたものです。

そのなかで《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》には及びませんが、《冨嶽三十六景 凱風快晴(がいふうかいせい)》、通称「赤富士」も有名で、一度は見たことがあるという方も多いと思います。

じつはこの絵、2バージョンあることをご存じでしょうか?

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葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴
1830年 ケルン美術館

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葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴
1890/1899年? ケルン美術館

上の方の作品が初版、すなわち最初に摺られた版画で、下は、明治時代に摺られたもので、版が異なるわけです。

多くの方が「赤富士」のイメージから下の絵の方を見覚えがあると思います。初版を見ると「赤富士」というには、ちょっと中途半端のような。

じつは、この変更、当時北斎から版画の原板を受けて印刷・販売していた「版元」と呼ばれる出版業者が変更したものだとされています。しかも、北斎には無断で勝手に。

勝手に作品を変更されて北斎はやり直せてといわなかったのか(実際にはクレームを入れたのかもしれませんが)? それは、当時の版画の世界では、作家よりも版元の方が力が強かったためです。

当時の版元のやりかたはけっこう強引で、とにかくいろいろな作家にバンバン作品を発注して印刷・販売しては、売れなければ即販売終了。北斎も「百物語」というオバケを題材にしたシリーズを制作した際、おそらくタイトルから100図のシリーズを見越してスタートしていたと考えられているのですが、実際に現存しているのは5図のみ。オバケがあまりにリアルすぎたために売れず、即打ち切りになったといわれています。

いまでは日本だけでなく、世界中の人に知られる「HOKUSAI」ですが、好きなものを好きなように描いたアーティストというわけではなく、「どうしたら人々の心を掴んで、売れる作品を作れるか?」と必死に頭をひねっていたわけです。

売れるものと、作りたいもののはざまで悩みながら、時には編集者(版元)の力を借りて、190年後の私たちを唸らせる作品を作ったと思うと、なんだか勇気をもらうことができます。

そんなこともあって、2枚の「赤富士」のエピソードが僕は大好きなんです。

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明日は「Food」です。先日の「」に続いて、心に残るレストランがありました。「プリズマ」というレストランについて。

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