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Food|まかないラブレター

以前、携わっていた料理雑誌で「名店のまかない」という企画をたてたことがある。

客単価1万円以上のハイエンドなレストランを取り上げる専門誌だったので、「高級店で働いている人は、ふだんどんな賄いを食べているのだろう?」という「のぞき見的なおもしろさ」と、賄いは、レストランで働く人たちのQOL(quality of life、生活の質)だったり、人材育成も表すものだと思ったからだ。

賄いが若い料理人にとっての成長の場になる

賄いは、「誰が」「何を」「いつ」作るかで、レストランのスタンスの違いが見えてくる。

賄いのスタンスでもっとも多いのが、料理の修業の一つと捉えて、役職がつかない料理人(主に若い料理人)が作ることだ。じっさいに取材をしたときも、多くのレストランがそのスタンスをとっていた。

ふだん料理のフィニッシュまで担当することが少ない料理人にとって、1食を最初から最後まで作る機会は貴重だ(多くの場合、メインと副菜、汁物を1食で作っていた)。

そこでは、料理の味付けはもちろん、たとえば、暑いキッチンで働く仲間に対して酸味を多用したり、疲れが溜まっている時期には消化によいものを作るなど、食べる人想定したメニュー作りが必要だ。

さらに、営業中では廃棄するような野菜の皮や端材をうまく使ったりすることが求められるレストランもある。くわえて、営業をしながら準備をするため、段取り力なども必要で、賄いをただ作るだけでなく、役職のつく料理人になるためのさまざまな経験も含まれている。

この料理おいしいなぁ、誰が作った?」と、シェフや料理長に褒められたことがモチベーションになって、料理人を続けることができた。

週に1回の賄いで認められたくで、必死に料理を勉強してきた。それが今につながっている。

などという話を、取材でもよく聞いた。また、それを受け止めるシェフや料理長からも、「おいしければおいしいという。それに、賄いから、作る人の力や本気度が見えてくる」という話を聞くと、賄いは、先輩と後輩の間で交わされるコミュニケーションの一つなのだな、ということを知ることができた。

賄いがチームのなかでストレスにならない方法をとる

一方で、賄いをシェフ・料理長クラスが作るレストランもある。

その場合の目的は、店の味をスタッフ内で共有することだったり、高級店では出せないが、シェフの海外修業時代に現地で学んだ家庭料理を、従業員の勉強のためだったりする。

ほかにも理由があるのだが、「現代的だなぁ」と感じる理由を挙げたレストランがあった。

一般的に、就業時間がどうしても長くなってしまうレストランにとって、従業員の仕事の効率をどう上げていくか、とうことが課題になっている。

そのレストランでは、ある種の効率化を前提にレストランのホワイト化を進めるにあたって、「誰が賄いを早く、おいしく作れるか」ということを考えたうえで「役職クラスの料理人が作った方が早い」という判断をしたのだ。

たしかに賄いは、先にも書いたように決められた食材、決められた時間で作り上げなければならなず、料理人に必要なスキルとはいえ、未熟なものにとっては、かなりのプレッシャーになる。

実際にそのレストランでは、以前は、役職のない料理人が作っていたという。しかし、賄い担当のスタッフから「賄いを考えるのは、不安とストレスになっている。先輩やシェフに料理を出すのが怖い」という話を聞いたことで、「賄い作るよりも、店のことでやってもらいたいことは、もっとある。それなら、上の人たちで賄いを作ろう」ということになったという。

レストランのチームの全体で考えたときに、ストレスになるようなことをできるだけ省いていこうという考え方は、とても合理的に見える。選択肢として十分にありえる。

賄いは、ある意味で「練習試合」かもしれない。つねに「公式試合」(レストランの営業)で仕事をしていた方が、得られるものは大きいということもいえるだろう。一方で、練習試合でも本番のように挑むことで、たくさんのことを得られることだってある。

どういったチームを作っていくか、そういった考え方によって、賄いの位置づけが異なってくるのだな、とそのレストランを取材して感じた。

それとともに、根本にスタッフへの愛情が、名店と呼ばれる賄いにはあって、どのレストランも、賄いはきちんとおいしいものを出そうという共有の意識があることも知ることができた。

賄いをおろそかにする店に、名店はない。そう確信している。

レストランのコンセプトそのものを体現する賄い

僕は、毎週木曜に青山一丁目のレストラン「The Burn」というレストランの一席を間借りして、リモートワークをする「MAGARI」という活動をしている。そこでは、時間が合うと、賄いを特別に食べさせてもらうことがある。

The Burnは、日本人だけでなく、フィリピン、フランス、アメリカなど、多国籍なスタッフが集まる店である。そのため、宗教上食べられない食材などもあり、国籍や宗教を越えてみんなで食べられる賄いを作っている(The Burnでは、若いスタッフが賄い担当)。

以下は、The Burnの賄いコレクションだ。

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The Burn の店のコンセプト自体もサステナブル(持続可能性)をテーマにしている。多様な食文化をもつ人々が一緒にテーブルについて楽しく食事がとれることを目指していて、NYスタイルの炭火のステーキを出す一方で、ヴィーガン向けのメニューもあるというレストランだ。

そのコンセプトから見ると、The Burnの「賄い」は、まさにサステイナブルで、多様性に富んだものであることがわかる。

そうしたなかでも、上の画像のように「中華麺」(3枚目)だったり「お好み焼き」(4枚目)のようなメニューもでてくるのもThe Burnらしい。

スタッフ間のコミュニケーションとしての賄い。レストランの哲学を宿した賄い。賄いには、本当にいろいろな役割がある。「レストランは、そこで働くスタッフによってできている」。レストランの賄いを見ているとそんなことを感じさせられる。

毎日の弁当は妻からの手紙

賄いは、作る人と食べる人、そしてその両者の関係性全体をあらわすものである。それはじつは、「弁当」に似ているのではないか、と僕は感じている。

ここ3年ほど毎日、昼と夜の弁当を妻に作ってもらって出勤している。

というのも僕は、たいてい終電まで仕事をしている(その変わり、朝は遅い)。もともとは昼のみだったお弁当が、夜弁当も作ってもらうようになったのは、糖尿病の克服のため。夜帰って深夜に食事を摂るのをやめて、昼は13時30分、夜は19時30分に食事を摂るためにも、2食を持たせてもらうようにしたのだ。

ランチミーティングや夜の会食などがあって弁当を持っていかない日があるとはいえ、年間250食を、毎日2食も作ってくれている妻には、本当に感謝しかない。

そのなかで、毎日弁当を食べていると、弁当のなかにさまざまな情報が詰まっていることに気づかされる。

たとえば、珍しい野菜が急に入っていたら「実家から送られてきた新しい野菜かな?」とか、豚の生姜焼きとか、ピーマンの肉詰めとかは定番のおかずなのだが、まえぶれなく「牛ステーキ」とかがくると、「今日はどうしたww」となったりもする。もちろん、おいしかった料理とか、「今日から揚げ食べたいと思っていた」ときにから揚げが入っていたときなどは、うれしくて、LINEに感想を送ったりもする。

仕事柄、朝しか話す時間がなかったりする夫婦にとっては、弁当が大事なコミュニケーションツールだったりするのだ。

もちろん喧嘩をしたり、僕のだらしない部分で嫌気がさしている日もあるだろう。それでも、多彩な品数を弁当箱に詰めてくれる。それが「許してやるか」という意味かどうかは別として……。

料理を作る人と食べる人の毎日の積み重ねによって、両者の関係が生まれてくるという点では、賄いと弁当は通じることがある。

そういう意味では、僕にとって毎日の弁当は、妻からの“手紙”なのだろう。僕は、その“手紙”に、返事ができているのかな。受け取りっぱなしではなくて、きちんと”返事”をしなければな、と思った。

(注)
弁当の画像は、妻からの許しが出ず非公開です。

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