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安倍元首相射殺事件で暴露された日本社会の構造

信じられないニュースが世界中を駆け回った。
元首相が公衆の面前で、しかも手製の銃により暗殺された。
その後の政治家やメディアの右往左往ぶり、そして一般国民の野次馬根性、まさしく二発の銃弾で日本社会の構造が暴露された事件であるといってよいだろう。

犯人の動機や残されたTwitterなどの言説より、統一教会により家庭を破滅させられたことへの復讐というのは間違いなさそうである。
「では統一教会関係者を狙えば良かっただろう」という巷の声をチェリーピッキングすることでメディアは潮目を変えようとしている。
この許されざる犯行は、統一教会と政治の癒着のハブである安倍元首相を狙ったものであり、恐らく数年かけて綿密に立てられた計画であると思う。
色々なところですでに言われているように、この計画は押井守監督の「機動警察パトレイバー the Movie」における帆場暎一を思い起こさせる。
帆場暎一は劇中開始直後に自殺する。彼はある国家プロジェクトを担当するプログラマーでありながら、それを破壊する一種のテロ行為を行う。
その始まりが自殺なのだ。この物語は世界を嘲笑しながら自殺する犯人の姿から始まる。
帆場暎一は自分の生きた形跡に少しずつ犯行動機のヒントを隠していた。
警察が必死にそれを追い続けることで、真相にたどり着く。
まさにゲームのようだ。

今回の銃撃事件の犯人も、この帆場暎一のように綿密に計画を立て、そして犯行後の憎き社会の動きを予想しているように思う。
Twitterのアカウント名や事件直前に送った手紙など、情報という餌を散りばめ、社会が食いつくであろうタイミングまで想定している。
犯人の犯行動機は統一教会への復讐だ。
現時点で復讐は大いに成功している。
犯人は安倍元首相への政治的テロではないと断言している。
すべては復讐のためであり、そのために安倍元首相でなければならなかったのだ。
その復讐相手とは、世間の無関心である。

おそらく、統一教会の人間を射殺したところで政治やメディアは動かない。
自己責任原則が渦巻く日本において、政治力を持つ団体への忖度も働き、その犯行は個人の問題として処理されただろう。
犯人は、この東京電力やオリンピックやモリカケ問題で繰り返された権力の横暴と国民の無関心をどうすれば暴露できるかを考えた。
その答えが、安倍元首相だったのだ。
安倍元首相はまさに戦後日本社会の申し子である。
祖父岸信介元首相から繋がる利権談合人脈=日本の権力(政治)のまさにハブなのだ。
戦後日本の権力とはムラ社会的な人脈ネットワークであり、アメリカ様に配慮した上での談合的分配で執り行われてきた。
統一教会はこのネットワークにしっかりと食い込み、自民党だけでなく野党議員やマスメディアとも連携している。
このネットワークに主義主張はなく、利権分配のテーブルの席順を円滑かつ功利的に決めるためのパワーバランス装置である。
そしてこのムラ社会から漏れ出たものは、自己責任原則で処理されてしまう。
それは病気や犯罪や無視という形で処理される。
それは特定の個人ではなく、氷河期世代のように世代という大きな枠組みで処理されることすらある。
このムラ社会はまだ金があった時は良かったのだ。バブル崩壊までの日本では、潤沢な資金をバラ撒くことでムラ社会の構造への批判をかわすことが容易であったし、排除されるものも少なかった。
今回の事件は、貧困に喘ぐ庶民を露骨に無視し、未だムラ社会の村人だけで権力を恣にしている権力側と、そんな現実を見ないふりしている国民の無関心への告発である。

だからこそ安倍元首相なのだ
安倍元首相はムラ社会の象徴でありネットワークのハブである。
そして国民が無関心でいることができないインパクトを与え、マスメディアも無視できない国民の大きな情報渇望感を惹起し、そのすべてのエネルギーが統一教会へと流れ込む。
山が動けば普段無視されている言説が「真相」として世間にバラ撒かれ、それを無視してきたことで権力側に立っていたものの立場が苦しくなり、結果ムラ社会全体の構造が暴露される。
ムラ社会の住人が一番恐怖することはただ一つ、ムラ社会にかかる霧が流され、その全貌を国民が目にすることで無関心ではいられなくなることだ。
無関心は巧妙かつ時間をかけて作り上げてきた空気感であり、政治と官僚とマスメディアと上級国民がそれを恒常化するため日々苦心している。
東日本大震災、コロナウイルスのような社会現象ですらわずかばかりしか崩せなかったこの牙城が、たった一発の銃弾で一気に暴露されたのだ。

犯人はどこまで読んでいたのだろうか?
この周到な計画は、しかし個人的な恨みでしかない。
目標はあくまでも統一教会であり、だからこそ権力側の談合ムラ社会が暴露される必要があっただけなのだ。
マスメディアが右往左往しているのは、この順番が逆であるからだ。
普段であれば最終的にはムラ社会へ矛先が向く。だからこそ東京電力やモリカケ問題のように長い時間をかけて有耶無耶にし、忘れた頃にトカゲの尻尾切りすれば「落ち着く」のである。
だが今回は違う。トカゲの尻尾がないのである。
犯人が突いたのは、統一教会と政治の癒着へのマスメディアの無関心でもあるからだ。
故に落とし所がない。個人的な下手人はおらず、あくまでも統一教会自体とその関係性であるからだ。
東京電力であれば「時間」に逃げた。モリカケ問題は下手人探しが容易だった。
今回は犯人は犯行動機を非政治的かつ団体への復讐とし、安倍元首相は殺害され、政治家やメディアも共犯関係なので多くを語れず、そしてすべては統一教会へ流れ込む。
安倍元首相を狙った動機こそが、この問題を大きいままで動かせなくするためだったのだ。
このままではいつもの牛歩戦術も尻尾切りも使えない。
犯人は、ムラ社会の唯一の強みである人脈ネットワークをターゲットにしたのである。

いま、犯人は帆場暎一のように嘲笑しているであろう。
彼は犯罪者として社会的な自死を遂げた。
だが、逃げも隠れもせず捕まり、そして生き続けることでムラ社会への殉教者となった。
これからますます経済が悪化し、ムラ社会の分配が滞ることで、今回の事件以上の問題が社会に降りかかるであろう。
犯人はその引き金を引いた男として歴史に残り続ける。

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