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■7月20日 梅雨が明けました

今日、東海地方が梅雨明けしました。

昨日、空を見上げると、あまりにも突き抜けた青色をしていたのです。それは、梅雨の頃にほろ見せる屈託がすべて取り払われて、「全開だぜ!」と言わんばかりの「青」でした。

「きっぱりと夏がきた」

そう判断せざるを得ない空が突如出現したのです。心なしか蝉のわしゃわしゃ具合も盛大になっています。空気の匂いも含め、「あ~これは夏だね」と五感で感じるものたちがその判断を支持していました。

そして明けて今日、気象台から発表された梅雨明け宣言。「やっぱりね」と思うとともに、陽射しの明るさに容赦のなさが突如加わったのを見て、「うわぁ」とおののいていたのでした。

季節って、グラデーションのように姿を変えていくものだと思っています。たとえば、冬から春に変わるとき。寒さと暖かさを行きつ戻りつしながら、「寒戻らなくていいよ…」と悪態をついているうちに、少しずつ暖かさが優勢になっていきます。そして、そっと桜が咲き始めて、春を宣言する。

そんなふうに少しずつ色相を変えながら、季節は変わっていく。そう認識していたのですが。

夏だけはマジで別で。

「昨日までは梅雨でしたが、今日からは夏です。夏と言ったら、夏なんです!」と熱血な真顔で、しかも全力全開で宣言してくるので、いつも吃驚している間に夏バテをしてしまうのです。

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名古屋城に通うようになってから、10年以上経ちます。その間に知ったこと―お城に通ったのでなければ知らずに終わったことはたくさんあります。

たとえば、サクラにたくさんの種類があること。私たちがいつも「城」と思っているものは、正確には「天守」で、「城」はそのあたり全体を指す語であること。そして、季節ごとに空の色は明確に異なること。など。

相変わらず、戦国時代の歴史に関わる内容―誰が誰の家臣であるとか、どういう敵対関係があるとか―そういったものには疎いのですが(笑)それでも、「城」という場所だからこそ感じられるモノたちには敏くなったように思います。

昔の人は、こういった言語化される少し手前のほんのりした感覚に対して、もっともっと敏感だったのでしょう。だからこその、季節の行事だったり、地域の風俗だったりするのではないかと。

もちろん、「昔はよかった」などと大雑把に賛美する気持ちはありません。ですが、そういった「物質としての空気」の細やかな変わりように敏くあった時代をほんのり羨ましく思うことがあります。

それらの時代は、今のように「暑い!」「ジメる!」「降り過ぎ!」のような大きな括りで感慨を語れるような大まかな天候でもなかったことでしょう。

私たちがその変化のこまやかさを感じられなくなったこともありましょうし、同時に、空自体が、昔よりずっと雑な変化しかしなくなったこともあるのではないかと思います。また、語ることばを失い続けていることも大きな理由でしょう。

でも、そういったことたちをすべて含めて、「今ここにあるもの」たちをていねいに受け取り、できる限り細やかに愛でること。

ご自愛とか引き寄せとか、そういうのではなく。そういった目的とか手段とか、ごちゃごちゃしたものはとりあえず脇に置いて、ただただ目の前にあるものたちをじっくりじんわり味わうこと。

そんなことを心掛けたいなと思う梅雨明け宣言でした。

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今日もここまで読んでくださり
ありがとうございます。
今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。

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