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■Twitterのある生活

今日、iPhoneでTwitterアプリを立ち上げたら、こちらのお知らせが届いていました。

どうやら今日が私の【Twitter開設日】で、Twitterの世界に飛び込んでから13年という年月が経ったようです。

13年というと、そのとき生まれた子が中学生になるだけの時間なわけで。

そう考えると、えらく長い時間が経った気もしますし、一方で、体感としてはあっという間という感覚しかありませんし。「現実味がない」というのが本音かも知れません。

私は「ゲーム」というものに、ほとんど馴染まずに成長しました。初めて「ゲーム」をプレイしたのは、確か大学生の頃で。かなりのゲーマーだった妹に誘われたのがきっかけだったと思います。

初めて手にしたゲームが何だったかはもう覚えていません。ですが、そのたった一度のプレイで、思考回路とも言えるものが、一気に変化したのです。そのときの、もぞりとした感覚は未だ体の奥に残っています。

そう考えれば、Twitterも私の思考回路を如実に変化させただろうと予想できます。

駄菓子菓子。

それがどんな変化だったのか。どの程度の変化だったのか。一切合財、分からないんです。

もしかすると、それがSNSのこわさの一端なのかも、と改めて思ったりもして。

すでに、Twitterなしの生活に戻ることなどできません。あるいは、それができたとして、それが「Twitterに出合う前の私」であるとは限りません。というか、きっとそのときの私とはまったくベツモノでしょう。

そう思うと、これから出合うものに対して、「己の変化」に自覚的であるのは必要かなと思ったり。とか言いつつ、実はその変化が怖すぎて、話題のChatGPTに手を出せずにいるのはここだけの話(笑)

兎にも角にも、Twitterを始めて13年。思考回路の面はともかく、他の部分でも少なからず変化しました。前置きが長くなりましたが、今日はそんなお話です(笑)

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