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日々、全力迷子です。

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原稿書きを生業にしている重度の活字中毒者のエッセイです。基本毎日更新しています。日々思うこと、起こることなど、試行錯誤な右往左往を繰り返し、全力失踪する毎日を綴ります。
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#日本史がすき

■お城をめぐる旅②―姫路城に行ってきました(2)

えりたです。 先日、所用のため立ち寄った姫路で、少し時間ができたので、姫路城へ行ってきま…

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えりた
11日前
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■お城をめぐる旅①―姫路城に行ってきました(1)

えりたです。 先日、所用があり姫路に参りました。用事自体はすぐに終わりましたので、残った…

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えりた
2週間前
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■信長公忌に巡る旅⑤―最後に辿り着いたのは「跡」でした

えりたです。 6月2日は織田信長公の忌日です。この日の未明に、いわゆる「本能寺の変」が起…

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えりた
3週間前
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■大河ドラマ『光る君へ』を巡る旅⑨―紫式部さんに会いに行ってきました

えりたです。 大河ドラマ『光る君へ』も第26話までやってきました。何だかもぅ…毎回感情をぶ…

えりた
4週間前
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■信長公忌に巡る旅④―建勲神社で京を眺める

さて、今年の6月2日、いわゆる「信長公忌」に京を旅してきました。天正10年(1582)6月2日…

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えりた
1か月前
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■信長公忌に巡る旅③―大徳寺総見院

6月2日は本能寺の変が起きた日であり、信長公忌にあたります。今年は思い立ったら吉日的に、…

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えりた
1か月前
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■信長公忌に巡る旅②―阿ぶり餅と今宮神社

えりたです。 先日、京都で織田信長公にまつわる地を巡ってきました。その日はちょうど6月2日で、本能寺の変が起きた日、つまり、「信長公忌」でした。 信長公が生きられた戦国時代の都は「京」です。公は、安土に拠点を置きながらも、何度も京を訪れています。ですが、京に屋敷を構えることはなく、大概は妙覚寺にお泊りになっていました。 信長公というと「本能寺」のイメージが強いですが、実は本能寺を宿泊場所としてお使いになったのは、ほんの数回なのです。 ですが、6月2日は「本能寺の変」の

¥200

■信長公忌に巡る旅①―まずは本能寺へ

天正10年(1582年)6月2日未明、明智光秀さまの軍勢に急襲された織田信長さまは多勢に無勢、…

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えりた
1か月前
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■8月4日 軽率上等!な心持ちで

今日から1泊2日で京都に来ています。明日、京都で行われるイベントに参加するため、張り切っ…

えりた
1年前
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■7月24日 せいしょこさんのお祭り

今日は熊本城初代城主加藤清正公のお生まれになった日です。また、亡くなった日でもあります。…

えりた
1年前
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■7月13日 雀百までずんどこどっこい

先月、信長(さま)戦国歴史検定の2級と3級を受検しました。 我が最愛の推しさまである、名…

えりた
1年前
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■7月2日 『どうする家康』見ています

今日の名古屋は真夏を思わせるほど、太陽がぎらついていました。それは、窓の外の眩さを感じる…

えりた
1年前
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■6月4日 「一夜漬けの帝王」の面目

今日は「信長(さま)戦国歴史検定」の受検日でした♪ 私は3級と2級、二つの級を受検予定で…

えりた
1年前
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■6月3日 今宵、ふたりでうつけよう

朝起きたら、紛うことなき台風一過な青空が広がっていました。昨晩のごうごうとした雨は夢だったのかと思うほどに、それはそれは清々しく晴れていて、少し気持ちが追い付かないでいました。 でも、風はとても強く横殴りに、大きなボリュームを持って吹き付けていて。お昼にスーパーへ買い物へ出かけたら、薄っぺらい私はすぐに飛ばされそうになったのでした。ばびゅーん。 そんなところに、台風の名残はあって。「野分」とはよく言ったものだと納得しながら、うぬぬと踏ん張り帰宅しました。 ・ ・ ・