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ローズとシトラス

 皮膚が乾燥する季節になってきた。
 我がユニットでは、利用者様の入浴後、全身を保湿するためボディークリームを塗っている。モイスチャーがキツめのそれを新調し、ユニットの職員で手と腕に試し塗りをした。
 これからの季節に合うモイスチャーっぷりに満足しただけでなく、エレガントな香りにも満たされた私達は、早速ユニットの利用者様に使用した。
 
 入浴介助から戻ると、ユニット内はエレガントな大人の女性が何人いるのか!? とツッコミたくなる程の良い香りに包まれていた。
 私は思わず、
 
「うっわ~! おとなエロいイイ香り~!!」
 
 気分が良くなり大きく深呼吸した。
 香り一つでいつもの空間が新鮮に思えるから不思議だ。
 
「これは職員は使ったらダメなのか?」
 
 ユニットの男性職員が聞いてきた。
 大抵介護士の手は荒れている。
 一作業一プラテをし、作業が終わる度にハンドソープで手洗い後、アルコール消毒をする。それを一日に数えきれないほどに行っているからだ。
 美しい手を保つには、こまめな保湿が必要となる。こまめにしていても追いつかず、指紋は薄くなり、スマホの指紋認証は鈍くなる。最近では指紋認証をする度イライラが募るので、最初から暗証番号をタップしているほどだ。
 
 彼の手をチラ見すると、相当手が荒れていた。ぜひとも使わせてあげたいところだが、
 
「使いたいけどユニット費で買ってるやつだからダメでしょうね。使う度に横領してる気分になりたくないし・・・」
 
 と、そのボディークリームを利用者専用の塗り薬入れの棚に置いた。
 
 
 
 翌日、彼はポケットマネーで職員用のボディークリームを買ってきた。それはカウンターの上に堂々と置かれてあった。そのたたずまいは上品で、一目でお高いボディークリームだと分かった。
 
「良さげなボディークリーム買ってきたぞ。職員用だ。みんな勝手に使っていいぞ」
 
 アラフィフの彼は誇らしげに、洒落たボディークリームを指し示した。
 私はそれを手に取りまじまじと見つめた。
『ローズ』という文字が目に入った途端、笑いの感情が私を攻めてきた。
 男気のある逞しい彼がこれをチョイスし、レジにて購入する姿を想像し、笑ってはいけないと思えば思うほどに苦しくなった。
 その低い声で『これください』とレジのお姉さんに言ったのだろうか。メンズ用の男っぽい香りのするものなら似合いそうだが、エレガントな女性用のパッケージのローズを、どんな顔をして買ったのだろう。
 私は笑いを抑えて封を切った。
 
「うわっ、ロ~ズ~。これ利用者用より高級なやつですよね?  嬉し~い! ありがたく使わせてもらいます!」
 
 私と女性職員はそれを手と腕に塗り広げ、
「やっぱローズの質が違うわ~!」
 と喜んだ。
 アラフィフの男臭がしそうな彼も、その荒れた手と逞しい腕にローズの香りを塗り広げて満足そうだった。

 ユニット内は高級ローズの、おとなエロカッコイイ香りに包まれた。

 香りと潤いに満足していると、ローズの香りを放ちながら彼が聞いてきた。
 
「カウンターに色んな香りを並べておきたいんだけど、香りのリクエストあるか?」
 
 香りのリクエスト・・・!?
 私は、まさかの彼の質問にどう答えようかと脳をフル回転させた。
 カウンターに色んな香りを並べる・・・?
 
「・・・そうですね~。・・・柑橘系とかは?」
 
 正直、このローズが無くなってから買えば良いのではと思った。彼のポケットマネーの使い方は独特だといつも驚かされる。

 例えば、彼は気に入ったマンガ本はディスプレイ用と自分用と人に貸す用の3セットを買う。気に入った小説などの新書は一度に10冊買い、貸出システムではなく『読んだら感想を言ってくれ』と配るシステムだ。
 ほとんど本を読まない私だが、読みたいと思った本は一気に読むタチだ。
 彼は自分のお気に入りの本を今まで何冊かくれようとしたが、興味の無い本は1ページも読みたくないのでその場で返し、心から読みたいと思った1冊だけ貰ったことがある。感想も一言だけで合格をいただけるので、読みたい本の場合だけはこの先も貰うつもりでいる。
 そうやって気に入った本を10冊買い、人に配るという彼のポケットマネーの使い方は独特で気味悪いが、とても親切だ。私には真似できないと常日頃思っていた。
 
 まさかボディークリームも香り別に10本並べるつもりだろうか。そうやってユニットのカウンターをショットバーみたいにするつもりだろうか。ローズが一本あれば事足りるのに・・・。
 
「とりあえずミカンか? ミカンの香りがいいのか?」
 
 本当に増やすつもりらしい。
 彼の本気度が伝わってきたので、これは真剣に答えねばと思った。
 
「シトラスって書いてあるのを選べば間違いないですよ」

「シトラス? この種類にシトラスの香りがあるのか?」

「そこまでは分からないけど、シトラスの香りはストレス発散効果があるらしいです。やっぱりストレスケアって大切ですよね?  人手不足時のイライラとか、その他のイライラ。陰に入っても明るく前向きな笑顔でいなきゃならない面倒臭さ。香りでストレスケアが出来たら私たちにとって有益ですよね?」
 
「確かに。シトラスか・・・」

 納得したように彼は呟いた。
 
 
 翌日、我がユニットはフレッシュなシトラスの香りに包まれた。
 
 
 

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