ウエディングプランナーになって20年目に『心に届くケーキカット』を探し求めて深海まで潜ってみた件 最終稿
ケーキカットのことを書こうと思う。私が生きている『結婚式』という世界では、『定番演出』と言われる、あのパーティでのコンテンツです。とても美しくて、幸せな雰囲気に包まれる瞬間。実施される方も多いので、結婚式、というとケーキカットのシーンを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?また、定番とか王道とかっていうのも、私は嫌いじゃないです。時代に淘汰されても残るものには、やっぱり理由があるから。ただですね、あまりにも表面上だけを頻繁に目にすると世間からは『テンプレート』『予定調和』と評価されてしまうこともあって。もう少し噛み砕いて世間の声を表現してみると、『結婚式って毎回毎回同じようにケーキカット見せられて、飽きるよね』という意見もあるよね、と言う事実。
その評価自体は、ある意味間違いではなくて、全く時代に合った自然な価値観だと思うのだけれど、やっぱり扱っている人間としては、少し悲しい気持ちになるんですよね。それは、事業者としてそう言われたことが辛いとか嫌だとか言う感じでもなくて。でもなんでこんなにも悲しい気持ちになるのかなって考えた時に、行き着いた思い・・・ウエディングプランナーである私は、その『ケーキカット』に込められたカップルさんの想いを自分の目ではしっかりと見ていたはずで。その大切な想いを自分のせいでどこかになくしてしまったみたいな気持ちになって、私は一体何をしていたんだろうって、自分の至らなさを突きつけられたような気持ちになるからだったのかな、と今は思っています。
たいていの結婚式準備って、ゲストに喜んでもらいたい!楽しかった!美味しかった!良い日だった!来て良かった!と思ってもられるように、準備の入り口にはその『誰かへの想い』があって始まるんですよね。どんなカップルさんも、自分たちを見て欲しいという気持ちよりも、『皆さまに喜んでいただきたい』、そちらの気持ちの方が強くて。そして、ケーキカットの入り口も、もちろん例外ではありません。お二人は、自分のたちのためにあの大きなケーキを用意しているのではなくて、やっぱり、ゲストのために用意している。ただ、結婚式当日の『出口』で『ケーキにナイフを入れているシーン』と言うビジュアルになった時に、その想いがもしかしたらぽこっと抜けてしまっているんじゃないかなと、喜んでいただきたいという想いは、届けるべきところまで届いていないのではないか、と、『テンプレート』という言葉を耳にした時のもやもやを、ずっと三年くらい抱えていて。
打ち合わせという<入口>で瞳をキラキラさせながら『ゲストに感謝の気持ちを伝えたい』『喜んでもらいたい』と語ってくれた美しかったあの『誰かへの想い』。その想いは、当日という<出口>での段階にたどり着けずに、もしかして準備から当日までのトンネルのどこかに、置き忘れてきてしまっていたのだろうか。いつの間にか空中分解して、どこかに消えてしまっていたのだろうか。想いを形にして伝えることが私の仕事なのに、ケーキに想いを乗せることが、全くできていなかったのだろうか、って・・・
そのもやもやを、抱えながらの三年間、『どうしてあんなに美しいはずのものが、テンプレートと言われてしまうんだろう』『どうして祝福の気持ちで見てもらえないんだろう』『何かが足りないと思うけど、一体それは何なんだろう?』そんな風に思いながらも答えが見出せないまま、何組ものカップルさんと打ち合わせではケーキカットの話になりました。
実はカップルさんたち、お二人とも『ケーキカットしたい!』というテンションの方はとても希なのです。私、結婚式の押しつけは極力避けたいので、したくないことはしなくていいよって、例えば、ウエディングパーティの『新郎新婦のご入場です!』とかも、したくなかったらしなくていいよってお伝えし、固定概念を外してからお打ち合わせを進めるのですが・・・
それでも一番多いのは、こちら。
パターン1:お二人『あれ、結構恥ずかしいですよね』『でも、私は(僕は)やりたいな。』となるタイプ。やっぱりあの象徴的なシーンに憧れがある。どちらかの願望に合わせてます。
意外とあるのが次の感じ。
パターン2:お二人とも『あれ、やりたくないよね』私『そしたらやらなくてもいいんですよ』二人『でも、ケーキって楽しみにしている人もいますよね』私『じゃあ、飾っておいて無理にカットしなくても。デザートタイムに切り分けますよ』二人『いや、でも、ケーキあるのにカットしなかったら、あの二人、なんでカットしなかったんだろ?ってなりませんか?写真撮れるシーンだから、見たい人もいると思うし。親とかも。』・・・となってケーキカットなんかをしているお二人。結構いらっしゃいます。ケーキカットに意味は見出せないけど、ケーキは欲しい!ゲストのために。
で、一番少ないのが二人とも『やりたい!やりたい!』というテンション。全くの肌感だけど、1割もいないと思う。二人とも自分軸で『やりたい!』って思っている人って。だって誰しも結婚式準備で自分のこと、考えてないから。相手を想ってひとつひとつのコンテンツを決めているから。(ちなみに、もちろん『やらない』って人もたくさんいる。少なくとも私がこの仕事を始めた20年前くらいからは確実に存在しています。私の母数と、参列経験から語られる方の母数を比べて語るのはナンセンスなのでアレですけど、毎回ではないってことだけは一応お伝えしておきたい。)
で、上記のような会話を、私は過去に何度も何度もかわしてきました。私自身も、麻痺していましたね、完全に。『やるか、やらないか』そこだけに囚われていた。もちろん、やるにしてもやらないにしても、お二人にとっての意味付けが必要な場合、やる価値やらない価値についてある程度は語るけど。でも、何かが足りなかったわけで。そのことを深海から戻った今はとても反省しているから、いま、これを書いています。
この想いを、ふと相談させていただきました。フリーウエディングキャプテンの唐木裕介さんがお話されていたいたルームにて。
お客様の望むものを吸い上げる<入口>を担当するのがウエディングプランナーなら、ウエディングパーティの現場を取り仕切って<出口>を担当しているウエディングキャプテンに、『ケーキカットを深めたいんだけど、もっと私たちにできることってあるのかな』って。その相談をきっかけに、唐木さんは、Clubhouseのルームを立ち上げてくれました。
佐伯さんの悩みをみんなで解決しよう🌈✨『ケーキカットをもっと深めたいんだけど🤔』を考察する部屋(2021,3,25実施済み)
このルームにはキャプテンが3人、MCさん、PAさんが入ってくださり、私のもやもやに対して、結婚式の現場で、<入口>と<出口>を司どる別の視点から検証してもらえることになりました。
ちょっと、この話私の中では壮大すぎて、長くなるかもしれないな。20年見つめてきた結婚式で3年間悩んでいたことだもんね。前後編にしよう。前半後半で終わるかな?終わらないかもしれないな。でも大事なことだから、自分の至らなかった部分、恥ずべき部分にもちゃんと向き合って丁寧に書きます。2時間半くらいのセッションだったんだけど、私はずっと苦しくて苦しくて。自分の何かが剥がされていくような、目を背けたいもの向き合わなくてはいけないような。物事の本質に向き合いながら、伏線としてまた違う視点も生まれたり。様々な意見が飛び交う中で、いつもそこそこの言葉で割と語れるタイプ(と思っている)私の思考が止まってだんだん言葉が出なくなるほどに。それだけの、深い海での出来事でした。
またあとで筆が進む時に続きを書きますね。よかったらお付き合いください。
ちなみに、唐木さんのアカウントはコチラ。 【拝啓、結婚式さま】という真っ直ぐなnoteが私は大好きです。
ここから追記です。(3/27sat深夜です)大事なこと忘れちゃいそうだから、がんばって書きます。
まず、みんなで、『お客様たちがケーキカットをされているかどうか』『やらない場合には、こんな他の演出をしている』みたいな話やら、キャプテン、MC、PA、サービスマンそれぞれの目線から『その時、何に、どこにこだわって場づくりをしているか』みたいなことをシェアしていただきました。
皆さん、現場ではめちゃくちゃこだわってくれていた。なんとなくはわかっていたつもりだったけど、でも私の想像以上にケーキカットをしているお二人だけでなく、親御さんや、ご友人や、ゲスト一人一人に目や気を配って、小さな感情の動きもキャッチして、進行表上は『ケーキカット』としか書いていないシーンでも、そこに合わせた言葉を添えたり(時にはゲストの気持ちを代弁したりする)、音楽で緩急をつけて感情に訴求したり(微妙な空気に合わせてタイミングやボリューム変えて雰囲気作り)、ゲストの心情をくみとって細々と声をかけて動きやすくしてくれたり(写真撮りたそうな親御さんに、『お近くにどうぞ』って声をかけて迷いを解消してあげるなど)、実に様々なことをし、現場のメンバーはその時間空間にたくさんの価値をつけてくださっていること、改めてわかりました。
・・・Clubhouse聴きながらやっていたら、スピーカーに呼んでいただいたので、今日はここまで。すみません・・・。また続き書きますね。
3/28昼間。少し続きです。
そうなのです。みんな現場では最大限、その場の価値を高めるためのパフォーマンスをしてくれていることがわかって。想像以上だった。素晴らしかった。そんな細やかな気遣いまで、と感動すら覚えた。でも、何かが足りない・・・。ぐるぐると頭の中で考える、何かが欠けている。みんなは、現場の様子を細かく教えてくれる。みんなの頭の中の現場は完成している。だけど、私の頭の中の現場はどこか不完全。そこにあるはずの何かが見つからない。私が知っていて、現場にないもの。一体、なんだろう。
この時に、ぼんやりトンネルのイメージが生まれました。トンネルのこちら側、当日から時間が遡り、入り口で私はサロンで打ち合わせをしている。ケーキカットの由来だとかを織り交ぜながら、お二人と一緒に、ゲストが喜んでくれる顔を想像しながら。見た目にも可愛くて、美味しくて、ゲストを幸せな気持ちにするためのケーキを選んでいる。
もう一回掘り下げたい。ケーキカットの由来。そもそも、ケーキカットってなんでするんだっけ?その話題になった時、携帯が鳴りました。LINEが入っていることに気が付く。ある業界の先輩が、おそらくの日本で初めてのケーキカットの様子を知らせてくれている。私は文字を読み込む。同じLINEは同時に唐木さんの携帯にも届いている。唐木さんが気がつき、声に出して読む。初めてのケーキカットのシーンを想像しながら、今までのことを振り返りながら、みんなで、ケーキカットを細かく切り刻んで因数分解していく。胸が苦しい。あと少し。あと少し。私はトンネルの中を進んでいる。遠くにパーティ会場の明かりが見える。早く呼吸がしたくて、急ぎ足になる。そして、もう少しで出口というところに差し掛かった時、手になにも持っていないことに気がつく。『ねぇ、二人の気持ちは一体いつ、どこに行っちゃったの?』一瞬、空気が固まったような気がした。
これを送ってくださった方は、数日前にも私にLINEをくださっていました。『佐伯さん、ケーキカットのヒントかもしれない。』と。私はもう一度そのLINEまで遡る。歌人 穂村弘さんのショートショートを撮影して送ってくれた、一枚の写真。その作品のタイトルは『憧れの沢庵漬け』。
『もしかしたら、何か見えるかもしれない。私、読んでみてもいい?』
・・・一旦ここまでにします。このあとちょっと出かけなくてはならず、夜、戻ったらまた向き合おうかと思っています。
結婚式で新郎新婦が行うウエディングケーキ入刀の儀式とは、実は数十年後の沢庵漬けの予行練習なんじゃないか。若い二人は暖かい部屋で、綺麗な服を着て、たくさんの人々に祝福されながら、プロが作ったケーキにナイフをいれる。一方、遠い未来の二人は風のなかで、普段着姿で、二人っきりで、自分たちの沢庵を漬けている。 『お二人の初めての共同作業です』と讃えられるケーキ入刀は、実際はその気になればどんなカップルでも行うことができる。でも、北風のなかで冗談を云い合いながら共同作業ができる九十代の夫婦がどれだけいるだろう。ケーキ入刀の儀式には、そして人々の祝福の拍手には、そんな未来への暖かな憧れと願いが込められているんじゃないか。今この瞬間の二人の愛が無事にそこまでたどり着けますように、と。
3/29の深夜に向き合ってみる。
プロの司会者さんがいるなかで、とても恐縮だったけど、私が読ませてもらいました。拙い朗読をみなさんが静かに聞いてくださいました。
そして、この作品を受けて、いただいた言葉。
『ケーキカットをやるやらないの選択の前に、どんなケーキカットをしたいのか、どんな世界を見たいのか、ケーキカットを通してどう見られたいのか、自分たちはどんな想いを持ってケーキカットをして、未来の自分たちにこのシーンをどう残したいか、をプランナーがしっかりと引き出して、それを司会者さんや音響さん、キャプテンにしっかりとお二人の思いとともにリレーしていくことが大切なんじゃないか。僕たちはそれを受けて、最高のパフォーマンスをするべきなんじゃないか。』
と、こんなふうに言っていただけました。でもそこで私が言ったのは、本当にダサくて情けないんだけど、『だってみんなイレギュラーって嫌じゃないの?そんなことし始めたら、毎回違う形になるんだよ?大変になるんだよ?』と言う言葉でした。
なんかね、意識せずすごく心の奥の方から出てきた言葉でした。自分でもびっくりするくらいに。もちろん、模範解答は、『お客様のどんなご要望にもお応えします』なのですし、みんないつもそう言ってくれます。でも、イレギュラーってね、本当に大変なことなのです。もちろん、どんなイレギュラーにも冷静に対応できることが理想なんだけど、一つイレギュラーを差し込んだことで、全体のバランスが崩れることもある。実際は経験も完成も違う人間が作るものだから、個体差が出るし。そこを、どうクリアしていくか。理想論の押し付けになっていないか。希望を通すことだけが正解なのか。
もちろん、お客様の要望を押し殺して来たと言うことではないのです。一つ一つをくみとって、現場の皆さんに伝えてきたし、形にしてもらってきたのですが、多分、ずーっとどこかで不安な気持ちがあったのでしょう。私の潜在意識のどこかに。キリスト式や神前式など神職者が司式するセレモニーは別として、それ以外の人前式やウエディングパーティなどでは、基本的にプログラムにおける最終意思決定はプランナーに委ねられることが多い。自分が最大限にできる想像力を使って、『これだ!』と思うプランをお客様には提案をするのですが、これを推すことで、別の何かを崩してるんじゃないか。現場のメンバーはいいよって言ってくれているけど、本当は困らせているんじゃないか。何か別のもっと良いアイデアがあるのではないか。結婚式というかけがえのないステージで、この意思決定は、本当に正解だったのか。いつもそんな不安な気持ちが表裏一体で。
4/2です。深夜を回って4/3ですが、続きを書きたいと思います。
『だってみんなイレギュラーって嫌じゃないの?そんなことし始めたら、毎回違う形になるんだよ?大変になるんだよ?』
これは20年間、孤独に意思決定をしてきたと思い込んできた、私の心の声でした。今思うと子供みたい。恥ずかしい。だけど多分、他にもこれを思っているウエディングプランナーさんはいるんじゃないかと思ってる。もちろん強い意志を持って、自分を信じて、突破し続ける人もいると思うけど、私の場合は若手の頃は逆にそれができたけれど、歳を重ねて、プロフェッショナルのプロフェッショナルたる努力を知ってからは、正直、そんな簡単にお願いすることができなくなっていました。
その時に唐木さんはこんなことを言ってくださいました。『そんなこと、プランナーにはプランナーにしかできないことがあって、お客様の想いを引き出すことは佐伯さんにしかできない。僕たちにはできない。その想いをMC、PA、キャプテンやサービススタッフにきちんとリレーして僕たちはそれを理解した上で動いて、そうすることが、最終的にお客様の心をケーキカットに乗せて、ゲストに届けるということだと思う。そして、ゲストからまた二人におめでとうの気持ちが生まれるのではないでしょうか。』と。今、冷静にこうして文字に起こしてみると、本当にその通りですよね。これこそが予定調和。このスキームこそテンプレートにしなくてはいけないものだったのに。
私はあの日、もしかしたら皆さんをガッカリさせてしまったのではないか、と思っています。私が、現場を信じていなかったと。必ず受け止めてくれると信じて、委ねることができなかったから。もちろん信じていなかったわけではなくて、信じていなかったのは自信を持てなかった自分自身のことで、そこに問題があるのですが、とにかく、頼るとか、甘えるとかができない性分で、でもそれってもしかしたら自分のためだったかもしれなくて。
結婚式を創るって、どうしてこんなにも痛々しくて苦しいのに愛おしいのでしょう。私がいつもやっているのは、一つのシーンに対して、最高にうまくいったパターンと、最低に失敗したパターンと、その間の様々な可能性を想像しながら、最適解を見つけていく作業。二度と同じカップル、同じゲストで行うことはないので、その都度が一期一会。やってみないと正解不正解がわからなくて、そして、絶対に不正解を出したくない、出してはいけない現場。だからなるべく高い成果を得るために、トンネルの入り口でお客様の想いを引き出したプランナーと、途中でその実現方法を探りながら、出口まで持って行って形にしていくクリエイター陣と。それが、パーティのケーキカットのシーンで、お二人、ケーキ、会場装飾、音楽、照明、MCの言葉、キャプテンの動作、全てにおいて心を乗せることができていれば、きっと結婚式の参列が何度目でもそのシーンは『二人の美しい門出のシーン』としてゲストの心に届き、『おめでとう』の気持ちが湧き上がって心からの笑顔と拍手を作り出すはずなのに。
結婚式は、文化でした。それが、産業となって成長し今がある。自宅で行われていたものが、ビジネスとなる。結婚式の醍醐味はどこにあるのか。なぜ私たちがこの仕事に魅了されるのか。それはきっと、誰かのために、頭を使って体を動かし、心を砕き、祈り、捧げるという、私たちの人に尽くしたい心も満たしてくれるものだから。それは本来、ご家族や近親者のものであったはずなのに、そのとてもクリエイティブでやりがいのある部分を、私たちは産業にさせていただいたタイミングに手間と一緒に引き受けたのです。
私がやるべきことは、たった一つ。お二人から、本当の想いを引き出して、それを丁寧に現場を創ってくれるパートナーたちに伝え、委ねていくこと。また逆に、ご家族やゲストの想いを引き出して、二人にきちんと届けること。表現するだけの結婚式ではなく『お祝いした』『お祝いしてもらった』をきちんと感じられる時空を創り、その空間でお二人とゲストの心が何度も何度も交わりあい、その『想い』をお互いの心に色濃く染め重ねていく結婚式を。そして、結婚式は一人では創れない。人が人を想う心を集めることで、創ることができる。それを集めて動かしていくのが私の仕事。そんな当たり前だけど大切なことに改めて気づかせていただいたルームでした。
ここで得たものは、思考回路の枝葉です。解は唯一無二。そのお二人とウエディングプランナーの間にしかない。自分のなすべき仕事を丁寧にしていきたい。結婚式が文化として人々から長く愛され、産業として必要とされるために。20年めの節目に、大切なことを考えることができました。一緒に結婚式を創ってくれるクリエイターたちが、たくさんのことを教えてくれました。これを糧に私はまた、次のステージに進まなくてはと、いま思っています。長文をお読みいただきありがとうございました。皆様にとってもこれからの『ケーキカット』が少しでも深まったら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございます。 いただきましたサポートはより良い結婚式創りのために大切に使わせていただきます。結婚式には、誰かの幸せを増やす力があると信じています。結婚式に触れることで、人々の心を温め続けることができる世界を目指しています。