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偽らないことと、人の縁

「すごいね」と言われたその瞬間
あ、いま、一線引かれてしまったな、と気づく。

そんなやりとりを何十回も体験するような人生を送ってきている。


仕事にしても何にしても「もっとできるんじゃないか」と思ってしまう私は、いつだってやるべきこととその言い訳を両手にフルマックスに持って生きている。

その結果、めちゃくちゃ働くアラサー女子が爆誕したし、今住んでいるフィジーも英語勉強だけでは飽き足らず、日本から仕事を持ち込んで学生とフリーランスの二足のわらじを履いている。

こんなに頑張る必要は無いことなんてとっくの昔に分かってるし、せっかく南国に来たんだから、暇を謳歌すればいいとも思う。

それでも、私はそんな生き方しかできない自分自身を慈しんでいて、その苦しみや努力が今の私を作ってきたことに少なからず誇りを持って生きている。

だから「すごいね」という言葉の裏に見え隠れする「自分とは違う」というニュアンスにはいつも、すこしだけ寂しさを覚えてしまう。

その言葉は、私のことを受け入れた証ではないことを知っているから。


フィジーに来て3ヶ月、海外に出ればそんな言葉を投げかけられることもないんじゃないか?なんて儚い幻想はよそに、げんなりするほど「すごいね」を聞くハメになった。今更そんなことで感傷的にはならないけど、期待ハズレだった感は…正直ちょっとだけある。

でも、そんな中にも少しくらいは正面からいいね!って言ってくれる人もいるもんで、今日はそんな物好きなことを言ってくれる子と、3時間くらいおしゃべりして、彼女と一緒に仕事をしようと決めた。


「すごいね」の言葉の威力のおかげもあって、仕事なんて持ち込むんじゃなかった、みんなと同じように暇な時間をたっぷり作って現地の生活を謳歌するんだった…と少しだけ後悔してたけど、私が仕事をしていなかったらきっと彼女と深く関わることもなかったんだなぁと思うと、やっぱりこれで良かったんだとも思えたりもする。

私が自分を偽らず私らしく在ることは、こうやって人の縁をつないでくれるんだなぁ、とちょっと感動したり。

そして今日もフィジーの夕焼けは綺麗だから、私の留学生活はきっと上々。

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