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いつだって、最高のひとつ手前の花束を

プロフィール欄に臆面もなく「ライター」と書いてるけど、実はライター仕事なんて数えるくらいしかしたことがない。

私の本職は別にあって、生計はそれで成り立っている。
それでも文章を書く仕事を諦められなくて、何年か前「ライター なる 方法」で調べたら「『ライターになりたいんです』って願望を言う奴より、はったりでも『ライターです』って言う奴のほうが発注するほうも仕事頼みやすいからとりあえず名乗っとけ。名刺も作っとけ。それから仕事を取れ」みたいなことが書いてあるサイトを見つけて、そんで一度もライター仕事なんてやったことなかったけどプロフィールにライターと書くようになった。その時名刺も作った。

その後、たまたま知り合いの紹介やら売り込みやらで本や映画のレビューを何度か書いたけど、実績はその程度。あとはブログとか文学フリマとかnoteで商業ではない文章を好きに書いてきただけ。
それが私の名乗る「ライター」の実態だ。
つまりめちゃめちゃペラペラのペーペーの、嘘っぱちと言ってもいいような肩書だ。
だけど、それで細々やっていたら、先日信じられない媒体から信じられない仕事を頂いた。

それはほんのひと月ほど前、友人相手に「いつかここでこれについて書きたい」と、夢物語として語っていた内容そのものだった。
それは私の憧れの媒体で、私が大好きなアーティストのライブレポートの仕事だった。
信じられなかった。
信じられなかったけど本当だった。
嬉しいなんて言葉では追いつかないほど嬉しかった。
その話をもらった後、私は帰り道をふらふらと歩きながら、熱に浮かされた頭で何度も何度も思った。

最高の文章を書きたい。
自分史上一番いい文章にしたい。

一方で、降ってわいた夢そのもののその仕事に強烈なプレッシャーも感じていた。
死ぬほど楽しみにしていたライブの前に、死ぬほどナーバスになって、比喩じゃなくてリアルに部屋の隅でうずくまって膝を抱えた。

私に書けるのか?
好きなように好きなものを書いてきただけのなんちゃってライターの私に、プロとしてお金をもらうに値する、読者を、アーティストを喜ばせられるものが本当に書けるのか?

不安で仕方なくて、それでも私は強欲だった。
これは絶対に私が書きたい。
誰にも渡したくない。

ライブ当日まで、死ぬほど楽しみな気持ちと死ぬほど不安な気持ちが上になったり下になったりと頭の中をぐるぐる転がりまくった。

*

ライブは本当に楽しかった。
最高に楽しかった気持ちを、参加したファンに、参加しなかったファンに、何より最高の時間をくれた私の大好きなアーティストに届けたかった。届けられるそのチャンスをもらったんだ、と改めて思った。そのことは、やっぱり叫びだしたいくらい嬉しかった。

最高の文章を書く。
自分を洗脳するように唱え続けながら、私はまる1日かけてレポートを書き上げた。
書き上げて、その3000文字を前にして、私は思った。
これは本当に、私に書ける最高のテキストなのか?
仕事としてじゃなく、ただ趣味で勝手に書いていたレポートの方がずっとずっと生き生きしてなかったか?
私、「最高の文章を書きたい」という気持ちに振り回されてないか?

*

突然だけど、『ハチミツとクローバー』という漫画が大好きだ。
好きなシーンやセリフが数え切れないくらいあるんだけど、今になって鮮烈に思い起こされる、はぐちゃんのモノローグがある。

“「辿り着きたい場所」をもった時 無私の心で描く心を失った”

高校生当時、私はふうん。としか思わなかった。
だって、はぐちゃんは天才なんだから、たとえ無私じゃなかったとしたって、いいものが描けるんじゃないの?

10年以上の時を経て、この言葉が私を貫いた。
もちろん私は、はぐちゃんみたいな天才じゃない。
でも、こんな文章を書きたい、あの人に読んでほしい、読んで喜んでほしい、そんな「辿り着きたい場所」を持った時、あっという間に私はその欲に絡め取られた。

最高の文章を書きたい。
仕事をもらってからレポートを描き上げるまでの数日間、何度そう思ったかわからない。
でもそれは誰のためだったのだろう。
アーティストの、読者のためではなくて、私の自尊心、それを満たすためだけの願いだったんじゃないのか。

私は書きあがった文章を読み直して、もっと上手く書けるはずだ、と思って、消しては書き、削っては足した。
まだ、まだ最高の文章じゃない。
もっとうまく書ける気がする。
それでも、何度読んでも、もうどこを直したらいいのかわからなかった。

『原稿が出来上がりましたのでお送りします』

メールでそれを編集の方に送って、それから悔しくて悔しくて泣いた。

*

謙遜はかったるくて好きじゃないから言うけど、私は自分がそこそこ文章を書けることを知っている。
こういうものを書きたい、と思えばある程度思った通りに書ける。文体も使い分けられる。言葉なんてコントロールできる。つもりでいた。
とんでもなかった。
私の腕なんて、こんな欲ひとつでこんなにも簡単に揺さぶられるほど脆くて未熟だった。
何年ぶりかわからないほど久しぶりに、そして今まで感じたことがないほど強烈に思った。

もっと上手くなりたい。
なんでも書けるようになりたい。
読んだ人ひとり残らず感動させたい。
こんな感情に揺さぶられず、いつだって最高のものを書きたい。求められる期待に応えたい。期待を超えた驚きを与えたい。
「満島さんに書いてもらってよかった」って、そう言ってほしい。
いつだって最高の言葉の花を束ねて贈りだしたいのに。

*

校正を終えて、戻ってきた赤字はほぼゼロだった。
編集さんのメールには「素敵な文章でした」と書かれていた。
お世辞かもしれない。でも私はほっとしてまた泣いた。
今までは、好きなように書いて、書いたものにOKを出すのも自分だけだから知らなかった。自分の書いたものがお金をもらうに値するのかどうか。自分の文章が他人の目から判定されるということ。
今まで、本当に一人っきりで書いてきたんだなあと思った。
だから受理されたことに安心した。
及第点は取れていた。少なくとも。

*

この文章を、「私史上最高の文章です」って言って公開したかったよ。
そんな風にツイートする自分を、仕事をもらった直後から妄想してた。
でも、そんなこと到底言えない。今もまだそれが悔しくてたまらない。
本当に、本当に悔しいけど、それでもやっぱりこれを私に書かせてもらえたことがうれしくて、この記事は一生の私の宝物です。
だから、虚勢でも胸を張って言う。

これが私の仕事です。
私の大好きな大好きな人たちのことを書かせていただきました。
今の私にこれ以上の文章は書けない。そういうものを書きました。
ぜひ読んでください。



*

最高のやつ、書きたかったよ。
私史上一番の文章を贈りたかったよ。
でも、「もっと上手くなりたい」って思った私は、まだ先に行けると思う。
次は必ず、もっといいやつを書くよ。その次はもっともっといいものを書くよ。
ずっと、最高にはなりきれない自分で、それでも一つ前のものよりも必ずいいものを書く。
見ててください。


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ハッピーになります。